第9話

 宣言通り昼食までゲームをして過ごした後、かい大輔だいすけに連れられてショッピングモールへ来ていた。介が生まれる少し前に造成された埋立地にある、スーパーマーケットと併設されたところだ。ウォーターフロントといえば聞こえがいいが、商業、工業地として造成した埋立地に誘致が進まず、地元スーパーに格安で譲ったというのが真相らしいが、それは大輔にも介にも関わりのない話である。


 そのスーパーマーケットの方で、大輔は片手に持った買い物籠にインスタントのパスタソースを入れていく。


「パスタソース、何がいい?」


 大輔が買うのは大抵、たらこか明太子で、ここは介と違う。曾祖父は辛いものに目がなく、大輔もそうなのだが、介には大輔が好むくらいの味付けは辛すぎる。


「えと……」


 ただ自宅でパスタ料理をした事がない介は、自分の好みかも分からず、思わず大輔も苦笑い。


「あぁ、姉さん、あんまスパゲッティはしなかったか」


 看護師ともなれば土日関係なしの仕事であるし、三交代制の夜勤もある。土日の昼食は年恵としえが作っていたが、年恵もパスタ料理はあまりしてこなかった。


 その苦笑いを、大輔は自分で強めてしまう。


「今度はナポリタンにしてみるか。ウィンナー炒めて、目玉焼き乗せて」


 大輔は同じようなメニューが続いても気にならないが、休みの昼食を全てパスタにするというのは、面倒くさがりの独身男性あるあるに思えてしまう。


 ただ大輔が提案してくれたという点は、大いに解の助けになる。


「目玉焼き……いいね。好きだよ」


 卵料理が嫌いな子供は少ないはずだ。


「明日、作ってみようか」


 パスタソースを買い物籠に入れながら、大輔はククッと喉を鳴らして笑い、


「ただし、タマネギは増し増しな。タマネギの甘さが好きなんだ」


 野菜は嫌いかも知れないが、と少々、悪戯イタズラっぽさと挑発的な光を宿させた視線は送ったが。


「僕も嫌いじゃないよ」


 これは会の本音である。ここは母方の血なのだろう。佳奈かなが好きだったから、介も好きだ。


「まぁ、目玉焼きは……俺はサニーサイドアップしかできないけどな」


 目玉焼きといえば、サニーサイドアップ――片面焼きが一般的だが、佳奈や年恵はターンオーバー――両面を焼いた目玉焼きを作っていた。


 これが大輔は苦手だ。


 ――食えなくなったら、食いたくなるぞ。


 そう思って出した大輔の言葉だったが、介は目を瞬かせ、


「いいよ、別に」


 思えば、この目玉焼きも敬香けいかたちにからかわれるネタだった。


 大輔も多くはいわず、「そうか」とだけ残す。



 ***



 このスーパーの帰りに立ち寄る。


 陽が陰り、周囲がオレンジ色になった景色の中では寂しさを増してしまうが、介の自宅だったところだ。


 警察と消防の現場検証が終わったのか終わっていないのかは分からないが、黄色と黒のロープこそ張られているが、立ち番の警察官はいない。


「いいの?」


 車を停め、焼け跡に入っていく大輔の背へ介の疑問が投げかけられたが、大輔は顔だけを振り向け、肩越しにいう。


「辛かったら、車の中にいろ。何かあるかも知れないだろ?」


 炎でできた旋風の中にあった自宅であるから、何が残っているという訳でもないのは一目瞭然であるが、大輔は焼け跡に入っていく。


 ――酷いもんだ……。


 どんな炎に襲われたんだと眉を顰め、未だ漂っている気がするきな臭さに鼻を摘まみたくなる中を大輔は歩いた。


 二階は完全に焼け落ち、介の部屋など跡形もない。一階のLDKや年恵が養生していた和室も、区切りが曖昧になってしまう程、焼けている。


 テレビを載せたローボードと、その横にDVDなどを入れたキャビネットがあったのかと思わされる残骸を余所に、年恵の和室へ向かう大輔。


 ――先週だぞ。


 軽量鉄骨製だったから残っているカーポートと、最後にBBQをした庭を一瞥いちべつする。


 その視線に入ってくるものがある。


「あ!」


 大輔が思わず声を上げて駆け寄ったのは、庭の隅にあるからこそ助かった小型プレハブの納屋だ。


「介くん! 介くん!」


 納屋を開けた大輔は、車に残ろうか、ついて行こうか迷うような顔をしていた介へ手を振った。


「来て!」


 呼ぶ。


 呼びながら開けた納屋の中身は、ほぼ無事だったからだ。


 介が駆け寄ってくる。


「これ……」


 駆け寄り、見たものは、介の目に涙を浮かべさせてしまう。


 納屋に入れられているのだから、大事にとっておいたものではない。


 大事にとっておいたものではなく、処分するのを忘れていたものなのだが、そこにあったのは――、


「お祖父ちゃんの、釣り道具……」


 覚えている。年恵が身体を壊す前、哲治てつはるは介と大輔を連れて、夜も明けないうちから県境まで釣りに出かけていた。年恵と佳奈は、「朝早くから……」と迷惑そうな声を出していたが、それでも弁当のおにぎりを握る表情には、三人に対する深い愛情が満ち満ちていた。


 哲治が趣味にしていた釣り道具の中で、大輔が手に取ったのはクーラーボックス。断熱効果に優れ、また耐熱構造でもあるクーラーボックスは、中身を熱によるダメージから守ってくれている可能性が高い。


「これ……」


 その中から大輔が見つけたのは、夜釣りの際、疑似餌に蓄光させるブラックライトだった。


 微かに紫色の光が灯るのは、この小さなブラックライトは無事だという事。


「介くん」


 そのブラックライトを介へ渡す。


「お祖父ちゃんの形見だ。大事に持っていよう」


「……うん」


 たまらず介の両目から涙が溢れた。


「お祖父ちゃん……」


 涙が零れた先には、いつの間にか黒猫がいて……、


「なーん」


 か細く鳴く声は、まるで「泣かないで」とでもいう様。


「ありがとうな」


 大輔が手を伸ばし、黒猫の頭を撫でる。野良ネコだが、気にしない。甥を慰めてくれているのだから。


「裏山から来たのか?」


 車の中にある買い物袋から、小腹が空いた時に食べようと思っていたサラミスティックと、ミネラルウォータを取り出し、焼け跡の残骸から皿代わりにできそうなものに乗せる大輔。


「ほら、ありがとうな」


 野良ネコへの餌やりはマナーとしては最低だが、この黒猫には、大輔も頭の中からマナーなど退けてしまう。


 黒猫は、少し遠慮した様子だったが、介も「お食べよ」といえば、サラミスティックと水に口をつけた。


 その姿に、介が呟かされる。


「……かわいいな」


 動物をゆっくり見たのは、いつ以来だろうかと考えても思い出せない。


 少し――とはいえないくらい救われた。


 救われたが、救われてしまったが故に、今、自分たちへ向けられている目がある事に気付かない。


「……」


 見ていたのは中津川なかつがわ真誠まこと


 思っていたのは……、


 

 ――ケイタカ、もう一回、あいつを死んだ方がマシな状況でも、生きていける強さを身に着けてもらうチャンス、あるじゃない。



 とびきりの歓喜だが、その歓喜は常に介の涙とバーターである。

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