第2章「悪魔の紋章編」
第7話
卒業して30年振りに訪れた
天井が高く、トレッキングシューズを履いている大輔ですら、コツコツと足音を立たせてしまう。
――実は卒業生でして。
大輔に言葉を飲み込んだのは、案内してくれる教員の態度が歓迎していない雰囲気を出しているからか。
教員は大輔が急いで集めてきた着替えや手続きに必要な書類を入れた大荷物を持っているからといって、ゆっくり歩いてくれるようなこともなかった。
――ま、男だしな。
どうでもいいと思った大輔が、小柄な女性というのであれば兎も角、180に届こうかという身長の男となれば、両手に鞄と複数の紙袋を持っていても気遣いは本来、不要。
階段を上ったところにある養護室の前で教員は立ち止まった。
「こちらです」
その言葉も事務的であるが、大輔は「どうも」と一礼し、紙袋を持っている手で器用にドアノブを回す。
養護室へ入って、大輔が最初にした発言は――、
「この度はご迷惑をおかけしました」
養護教員に対し、頭を下げながら発する事になった。
養護教員も何もいわず、黙って会釈をするくらい。
――いいさ。
大輔も会釈を繰り返し、教員の相手よりも大切な事に向かう。
「
ぼんやりした表情で椅子に座っている甥だ。
昨夜、自宅から焼け出され、消防に保護された後、学校へ連れてこられた介は、顔や手足に付いた
「怖い思いしたな」
介に視線を合わすために膝を突く大輔は、甥の表情に眉をハの字にした。
詳しい事は大輔にも不明である。警察や消防が現場検証で何をどう判断したのかは、身内にも詳細は伝えてくれない。そして生存者である介が支離滅裂な言動――祖父は誰かに炎の中へ引き摺り込まれ、家の外で笑っていた同級生が犯人など、まともに取り上げられない話だ。
介も大輔も知らない事だが、警察と消防が今、出している答えは、入浴介護中、
火事の原因は老朽化した太陽光発電のパワーコンディショナからの発火、ブレーカも同様の理由で作動しなかった、というところで落着させるのだろう。
切断された足の骨だけは合理的な説明が付かないのだが、そもそも何者かに襲われたのならば、足首を切断するなどというのは不条理である。
一家全滅という状況であるから、介には過度の精神的、また肉体的なストレスがあり、証言を採用できない――それだけは確定している。
「介くん」
大輔はもう一度、努めて穏やかに、介へ言葉をかける。
「今日から、俺が一緒にいる家族だ」
手を伸ばした大輔は、少し強めに介の頭を撫でた。
「では、今日は色々と支度があるので……」
「はい。早退ですね」
遠慮がちな大輔の声に対し、教員の返事はあまりにも無味乾燥であったから、大輔はいえた。
「……実はOBなんですよ、俺。ここのね」
小首を傾げ、教員の顔を見上げるようにして視線を送る。
「変わらないですね、ここは」
皮肉を込めたつもりだったが、介よりも若干、若い教員には意味が通じてはいなかった。
――まぁ、いい。
長くこの場にいたら口癖になりそうだと思いながら、大輔は介を連れて廊下へ出る。
「今日から、俺が一緒の家族だ」
廊下を歩きながら介の背に手を遣った大輔は、軽くポンポンとノックする様に動かす。
「宿題したら、毎晩、眠くなるまでゲームしよう」
安心しろというジェスチャーと共に、同じく安心しろと取り留めのない言葉をかけていく。
介は……、
「……ずっと一緒にいてくれるの?」
少しだけしゃべれた。
大輔は少し驚いたような表情を浮かべたが、すぐに歯を見せて笑う。
「彼女なんて、ずっといないから心配すんな」
彼女がいるなら、足繁く姉の家に遊びに行ったりはしない。
「中学に上がって、高校へ行って、大学出て、就職して、一人暮らししたい欲が溜まるまで一緒にいるぞ」
「……」
介も、少し笑えた。
ならばと大輔も笑う。
「ああ、高校じゃなくて高専もいいな。工業でも商船でも。昔は高専から車の開発に行くのも珍しくなかったんだ」
二人で少しずつ笑う。
笑いながら――、
「……死なないでよ」
介は冗談で口にした訳ではない。
「当たり前だ」
その予定はないと冗談めかしていう事もできたが、大輔は真面目に答えた。
***
そんな二人が校舎から出て、来客用の駐車場に停めてある車に乗り込むのを、3階の教室から見下ろす目がある。
「……」
窓から見下ろしている
――荒療治になるけど、死んだ方がマシな状況でも、生きていける強さを身に着けてもらう。
だから家を焼き、家族を殺したはず。
だが今、大輔に連れられた介は死んだ方がマシだろうか?
「違う」
真誠は介が乗り込む大輔の車を見ていた。
白いナンバープレートがついているのだから、軽自動車ではない。
そして都道府県名の横についている数字が3から始まっているのだから、2000cc以上のエンジンが搭載されている。
「高級車じゃないの」
車の車種名がわかる程、詳しくはないが、いくつか知っている知識を組み合わせると、大輔の車は500万前後。
真誠のイメージでは高級車である。自分の父親の年収が、その車代に届いていないのだから。
「死んだ方がマシ?」
そんな状況だろうかと考えた訳ではない。
「家族が死んでくれた方がマシだった?」
介は劣った存在でなければならないのに、そうなっていない事が頭に来ているのだ。
「何なんだ、アイツ!」
家を失い、家族を失って尚、何故、こんな余裕のある男が出てくるのかと歯噛みする真誠の視線が自分たちへ向いている事など気にしない、気付きもしないまま大輔の愛車は市道へ出て行った。
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