第5話

 確かにかいにも一人はいる。


 その一人、野村のむら聡子さとこは目を引く程の美少女という訳ではない。


 勉強も運動も平均的で、長身とも低身長ともいえず、太っている訳でも痩せている訳でもない彼女だが、特筆すべき点はある。



 聡子は「皆のため」という言葉を錦の御旗として扱わない。



 男女別に分かれて踊る運動会のフォークダンスでも、介の指を摘まむ様にして持ち、決して手を繋ごうとしない敬香けいか毅世子きよこと違い、手を繋げる。


「……」


 介が授業中、ちらりちらりと聡子の方を盗み見る様に視線を向けるのは、週末に大輔からいわれたかも知れない。


 ――優しいから。


 趣味が合う事を、介はそう思う。少年マンガを読んでゲームをする趣味のある聡子は、介と普通に会話してくれる。それは必然的に敬香たちへのカウンターとなり、聡子が介と同じ立場へ落とされてもおかしくない――毅世子たちならば愚行というだろう――それくらいの行動だ。


 ――こうすればいいって思ってくれる……。


 頭の中で繰り返している大輔からもらった言葉は、まだ介は消化できずにいる。


 ――しっかりしなきゃ……。


 そう思って昨日、鏡の前で構えてみた自分の腕は、どう見ても細く、敢えていうならという擬音が自分でも浮かんでしまう程だった。


 ――すぐに泣いてしまうのは、身体の鍛え方が足りないから?


 気が沈むと、頭が重くなり、視線が下がるのは必然だ。


 それでは聡子の姿を見つける事はできないが、小さく動いている階へ聡子の方が気付いた。


「?」


 授業中だから声を掛ける訳には行かず、聡子はノートに物差しを当てて小さく切り取ると、そこにえんぴつを走らせた後、小さくたたんで――、


「ごめん。回して」


 介へ回してくれといわれると、女子も男子もいい顔はしないのだが、それを途中で握りつぶすような事はしなかった。


「はい」


 隣の席に座っている女子からの声はは素っ気ないものだったが、きれいに折られた紙片に書かれている字で、何もかもがすっ飛んでいく。


 ――野村さん!


 聡子の字は分かる。


 折り畳まれている紙片を開くと、


 ――今日の給食はカレーだって。食べて、元気出して。


 他の者がいったならば、「それくらいで元気なんて出ないよ……」と落ち込むところだが、聡子だけは別だ。


 子供会のバザーにも率先して参加する聡子は、おやつ作りや料理が上手い。無論、給食は聡子が作ってくれる訳ではないが、聡子から食事の話が来ると、ハの字になっていた眉が元に戻る。


 ――お腹、空いたな。


 いい事だ。ストレスで食べれない場合もあるのに、それを脱したのだから。


 だが、その日の配膳係は――、



「ケイタカ……」



 嫌な予感は9割が当たらないというが、この時、その1割を引き当ててしまうのが介だ。


 介の机に運ばれてきたカレーは、みんなよりもずっと少ない。


 ご飯とカレールーを混ぜて食べるもののはずが、介の皿には「お情け」程度に黄色く色づいた白ご飯が乗っている。プリンもぐちゃぐちゃに潰されていたし、そのカレーやプリンを食べるスプーンには、ご丁寧にチョークの粉が山盛りにされている。


「……」


 顔を上げると、敬香は「ニヒニヒ」と笑っていた。


「いたーだきます!」


 敬香の号令で給食が始まるのだが、カレーとはいえない「黄色いご飯」を前に、介は鼻の奥がジンと痛んだ。涙が出る予兆で、鼻が詰まろうとしているのかも知れない。


 だが、食器とスプーンがぶつかるカチャカチャという音を、唐突に遮った音があった。


鷹氏たかしくん、取り替えよう」


 聡子である。注目を浴びようと思わずとも、力の入った両手は机を叩いてしまい、その「異音」が給食の時間を中断させた。


 聡子のカレーは普通盛り、プリンはまだ食べていない、スプーンも銀色のまま。


「取り替えよう」


 自分のトレイを持って、聡子が介の元へ来ようとすると、いよいよ貝の目から涙がこぼれ落ちそうになってしまう。


「……」


 介は一瞬、顔を上げた。涙をこぼさない様にだ。


「泣け、泣け」


 誰かがいう。誰か判別できないくらい小さな声で。


 しかし介は顔を降ろすと、とっさにチョークだらけのスプーンを握りしめた。


 ――どうでもいい!


 聡子と交換などできない。この「特別メニュー」を、この教室でただ一人、友達だと思っている女子児童に渡せるものか。


「――ッ」


 味など分からなかった。そもそも殆ど噛まずに、がぶがぶと飲み込む様に掻き込んでいくのだから。


 カレーを平らげ、プリンを喉に流し込み始めると、教室の中に雑談はなかった。そればかりかスプーンと食器が当たる音すら消えている。


 その沈黙を破ったのは、やはり聡子。


「……プリン、あげるね」


 自分のプリンを介の机に置く。


「今度は、ゆっくりかんで食べて。おいしいよ」


 優しい声に聡子が込めたのは、「頑張ったね」という賞賛だ。



 頑張った――しっかりした――これ以上の言葉が有ろうか!



「ありがとう、野村さん」


 聡子にいわれた通り、介はゆっくりプリンを食べた。


 しかし敬香はいう。


「……何だよ、あいつ」


 言葉と視線を向けているのは、ゆっくりプリンを食べている介だ。


 勝利を誇っているつもりは、介にはない。


 介にはなくとも、敬香はそう見る。


 兄と姉から向けられる、「お前は劣等なんだよ」といいたそうな目で。

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