第4話

 恐らくかいは、大輔だいすけのいった「後付けできる条件」に恵まれすぎていた。


 BBQに使う食材を買い込んだ大輔の愛車が向かった先にあるのは、100坪超の土地。地方都市のベッドタウンであるが、土地代で1000万程度になる。カーポートは2台分だが、庭に乗り入れれば合計6台は駐車できる程。


 そこに建っている家が天然素材にこだわった建坪たてつぼ50坪の住宅となれば3800万くらい。


 外構も含めれば約5000万は必要と、これだけを見れば裕福な家庭といえる。


 この家から、介は私立の幼稚園に通っていた。介が通う市立松嶋まつしま小学校は、市立保育園から上がってくる児童がほとんどであるのに。


「お父さん、お母さん。来たよ」


 ビニール袋を両手に二つ持った大輔が、玄関から奥のリビングルームへ声をかけた。


「おぉ」


 返事をした男は、介の祖父であり大輔の父である哲治てつはる


 リビングダイニングと廊下を隔てる引き戸を開けて、ハゲ頭の老人が顔に刻まれた皺を更に深くして笑みを見せ、


「お帰りお帰り」


 重いだろうと、大輔へと左手を伸ばすのは、哲治が左利きだからという理由ではない。


 廊下を歩く時でも右足を引きずるように歩いているのは、右半身付随だからだ。脳梗塞の後遺症である。


 そんな哲治へ、大輔は介へとアゴをしゃくる。


「俺は大丈夫。それより、介くんの方、頼むよ」


 介が持っている荷物を持ってやってくれというが、当然、大輔が持っている方が肉や野菜、飲み物などが入っていて重いが。


「おうおう」


 哲治は大輔の横を擦り抜け、孫の荷物へと手を伸ばす。介が持っているビニール袋に入っているのは食後に食べようと思っているカットフルーツくらいであるから、右手が不自由な哲治でも持ちやすい。


 だが介は「大丈夫」と手を翳して止めた。


「僕も持てるから」


 フンッと心持ち、強く鼻息を吐いた介は、祖父の手を借りるまでもないとばかりに背を反らせて荷物を持ち上げた。


「力持ちじゃなぁ」


 哲治は益々、笑みを強める。


 リビングダイニングに入ると、隣接された和室に置かれた介護用ベッドの上から祖母の年恵としえが手を振ってくる。


「お帰り。大輔、ありがとうね」


 こちらも哲治と同じく、息子と孫へ満面の笑みを向けていた。


 この二人を見るだけで、介が必死でイジメという現実を隠そうとしている理由が分かるというものだろう。



 この優しい祖父母の顔を、自分の「非日常」で曇らせたくないのだ。



 だから隠す。文字通り必死だ。


「そうか。うん」


 哲治の返事は常に笑みと共にあるのだから、介の隠し事が成功しているか失敗しているかを推し量る事は難しい。


 その隠し事を薄々、大輔が気付たのは経験による所が大きかった。


 ――まだ、そんな事してるのか、あの学校は。


 OBだからこそ知っている、市立松嶋小学校の秘密。



 何代か前に持ち込まれ、持ち込んだ教師は出世して校長になった悪魔のシステム「40人中39人のユートピア」――。



 誰か一人をと決め、その一人に全ての責任を押し付ければ、40人のクラスで39人は何の不満も持たず、団結するというシステムだ。イジメの中心に教師がいて39人が守るのだから、これは絶対に発覚しない――とは言い過ぎか。


 ――俺が入学する何年か前に、大々的に暴露される事件があったっけ。


 その校長が築いたシステムそのものは崩壊しているのだが、しかし一度、付いてしまった道筋は、そう簡単になくなるものではなかった。「40人中39人のユートピア」は崩壊はしたが、消滅にまでは至っていない。


 その犠牲者が、大輔であり、介だ。


 大輔が足繁く介の家を訪れているのは、ここに両親が住んでいるからという理由だけではない。


「姉さんが帰ってくるの、6時くらい? 用意、始めとくよ」


 冷蔵庫から炭酸飲料を取り出した大輔は、一度、カレンダーに書かれた姉の――介の母親の勤務に目をる。


 母子家庭である鷹氏たかし家を支える介の母親の仕事は看護師。暇な職業ではないが、市立病院に勤める彼女の収入は、介一人を大学までやるには十分である。


 それに加え、介の亡夫が残した邸宅はノーローンというのも、鷹氏家を裕福な家庭だと見なせる理由になるはずだ。


 私立幼稚園に通っていたで、親がシングルマザーだというのに貧乏でない家庭にいる……とまで考えた所で、BBQグリルを用意しながら大輔はひとつ。


「わかりやすいじゃないか」


 40分の1に選ばれる理由など選ぶ側にしか分からない事であるから、大輔がどれだけ頭を使っても、できる事は「主観に基ずく公平とは言い難い想像」でしかないが。


 ――ま、いいさ。


 よくはないと思いつつも、「ま、いいさ」と断じてしまった大輔は、大事な事は「味方」が一人でもいてくれれば、何とかなる事を知っているからだ。


 介の時にはいた。優しいクラスメートと、頼りになる先輩が。


「なら、俺が代わりをする」


 BBQコンロをセットし、その横に七輪を仕掛ける大輔は、頼りになった上級生を思い出す。その上級生に比べれば、頼りない事この上ないとは自分でも思うし、大輔は介の兄というには年を取り過ぎているし、父親というには覚悟が足りない。


 ――こういうのも、多分、得意だったんだろうな。


 BBQコンロとは別に用意した七輪へ発火剤と木炭を入れるのは、大輔は大きなBBQコンロで火を起こすのが苦手だからだ。七輪で木炭を熱し、白熱した木炭をBBQコンロへ移していく。


「この辺も、世のお父さんは得意なんだろうな」


 ライターで点火し、空気口へとうちわで風を送る。煙突効果を狙って立たせてある木炭は、割と簡単に着火剤とクズ炭の炎であぶられ、火がつく。


 火加減を見ながらうちわを振る強さを加減しつつ、かたわらに置いてあるペットボトルの炭酸飲料を口に運ぶ大輔の横顔へ、介の声が飛んできた。


「大輔叔父さん」


「ん?」


 大輔が顔を向けると、介は通学路で見かけた時と同じような落ち込んだ表情をしていて……、


「今日はごめん」


 何に対していっているのかほ察するのは簡単だった。


 母親と祖父母には隠し通すつもりの介も、大輔とは少し距離が違うのか隠しきろうという監護が足りていない。


 その上、OBである大輔である。


「まぁ……」


 介の身の上を想像できている分、大輔はどういう顔をしていいのか、またどういう言葉をかければいいのか迷う。


 迷うが、言い淀んでいては介が気にしてしまう。決してバレてはいけない身の上なのだ。


「クラスで一人くらい、友達がいるだろ? その子が、こうすればいいって思ってくれるような事をしてればいいさ」


 上手い言葉は浮かばないが、自分の時はそうだった事を思い出した。

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