第2話
そんな酷い夢を見た
――何だろう? あれ……。
夢ならばあっさりと頭の中から消えるだろうに、嫌にハッキリと頭の中に残ってしまっている。
漠然としたイメージは外国というだけで、どこかも、いつの事であるかもわからない。
何より小学校5年生の介には、そういうものが舞台のマンガすら守備範囲外だ。
「フーッ」
回りに聞こえない様に深呼吸したのは、寝ていたのが教室だったから。
帰りのホームルームが終わろうとしている頃だった。
――居眠りしてた。
それが
「以上」
丁度、ホームルームの終わりを告げた担任が、介に気付いたかどうかは曖昧だった。
学級委員も介の事より、放課後が訪れる方が大事なのだから、担任の声に続いて「起立」と告げる。
「礼」
「さようなら」
「はい、さようなら」
生徒の挨拶に担任が返したのと同時に、介は机の横に掛けてあったランドセルを手に取る。
帰るつもりだった。
しかし思っていた事は――、
――逃げなきゃ。
鞄を掴み、そそくそと教室から出て行こうとする。
「鷹氏! そんなに急いで、どこへ行くのよ!」
呼び止めたのは女子。昨今の事情により女子は名札をつけていないが、クラスメートなのだから名前は分かる。
介に、
「……」
振り返らず、なるべく聞こえない振りをして教室から出て行く。女子が掛けてきたのは友好的な声ではなかった。大声で、それも怒声に近い。
何かをしようとしているか一目瞭然というものなのだった。
介は逃げる。
廊下へ出て、階段へ届く角を曲がったら、一気に駆け下りるつもりで――、
「慌てなくてもいいでしょ。どうせ帰っても一人なんだから」
介が前につんのめってしまうのは、ベルトを掴まれたからだ。
「一緒に、遊んでいこうよ」
ショートカットで切れ長の目を持つ敬香は、その風貌通り勝ち気だ。小学校5年生という成長期に入った女子であるから、背も高い。
歯を剥き出しにして笑う――何でもない他者から見れば、見せているという程ではないが、介からは剥き出しにしているように見えてしまう――のを見て、介はゾッとした感情しか抱けない。
抵抗しようという雰囲気を出せるのは、せめてもの抵抗の意味しかないのだから、出せるのは一瞬だけ。
「明日、土曜日だから叔父さんとゲームするんだ。準備しないと……」
はっきりと突っぱねる言葉ではない。
それどころか、前面に出ている「逃げたい」という気持ちは、敬香の気持ちをより強くする。
「5年にもなって、叔父さん? ダザッ」
敬香からは極々自然に出て来た言葉だが、言葉の意味は全否定である。
「……」
介が小さくなってしまうのは、何も言えなくなった証拠だ。
そして相手の沈黙を、自分にとって都合のいい解釈をするのが敬香という女児。
「鷹氏も一緒に遊びたいって!」
沈黙は首肯だと、敬香は教室へ残っている仲間に大声で呼びかけた。
「ホント!」
飛び出してきたのは、敬香よりも縦にも横にも大きな女児。
「一緒に遊んでいこう。ちょっと遅くなったって、何もする事ないんでしょ」
毅世子は太い腕で介のランドセルを押した。こうなると逃げられない。
逃げようとすればどうなるか、介はこの2年間で嫌という程、知った。
両脇を掴まれて、校庭の砂場へ行く。
そこにはまた5人の女子がいて、その雰囲気は「待ち構えていた」という風。
「鷹氏は、身体を鍛えなきゃ。体育の登り棒。全然だったもんね」
嘲笑をぶつけながら、敬香はアゴをしゃくった。
「……うう……」
介が上げた抗議の声は、ただただ小さい。
一年生の頃から、ずっと続いてきた事だ。この状況に反抗しようとしたら、もっと悪い事が起こるに決まっている。
敬香と毅世子に引っ張られて行かれる先は砂場で、そこには残り5人の女子が待っていた。
5人に目配せした後、敬香が介を見下ろす。
「鷹氏なんて、もっと身体を鍛えないとダメでしょ。ねェ、毅世子」
介と敬香の身長差は、本当に僅かの差で敬香が高いものの、この時、介を見下ろせたのは、介が小さくなっていたからだ。
「そうそう」
毅世子は校庭に落ちていた枝を手に取り――、
「え?」
枝が折れる瞬間を見て、介はゾッとさせられた。
毅世子の前で枝は折れたのだが、枝の両端を握って折ったのではない。
毅世子が片手で持っていた枝が、突然、切断されたかの様に折れたのだ。
言葉を失っている介へ、砂場にいる5人の内、比較的小柄で、日に焼けた女児――
「もやしっ子」
もう親の世代ですらない、祖父母の世代にあった俗語に含まれる、体力のない子供を
「いや、違うでしょ。もやしに失礼」
真誠に笑いかけるのは、痩せた丸顔の
「萌やしっ子。ゲームばっかりして、ゲームの中でモテモテにしてるんでしょ。ぴったり」
ケラケラと皆が笑った。敬香も毅世子も真誠も、7人みんなが。
「だからみんなで、鷹氏を鍛えてやろうっていってるの」
敬香は念を押すようにいい、鷹氏のランドセルを開けた。
――やめろよ!
介はそういおうとしたが、声が出なかった。
正確には、自分で飲み込んだ。
落ちている木の枝を折る等、普通は何の事もないものなのに、それが暴力を暗示させる行動の様に思えてしまうのは、介が場の雰囲気に呑まれているからだ。
そんなことなど、系やや毅世子が考慮するはずのない萎縮。
「砂入れ、始め!」
敬香がそういうと、7人が全員、一斉に会のランドルの中へ砂を詰め込んでいく。
中心にいる敬香は、目元と口元を震わせ、涙を浮かばせる介へ向かって――、
「大体、鷹氏は身体がヘロヘロだから、すぐ泣いちゃうんだよ。みんな、心配してるんだぞ。なあ、みんな」
顔を覗き込む敬香が、果たしてどんな顔をしていたか、介は見る事ができない。
――じっとしてたら、すぐ飽きるよ。
それが介の処世術――といってしまうと、小学生が身に着けているものとしては悲しすぎるものになってしまうう。
そして何より、その処世術は無駄だ。
抵抗しないからこそ、敬香や毅世子は介を狙っている。
敬香は笑っていた。
「砂入れ。続行!」
敬香がいうまでもなく、6人が介のランドセルへ砂場から砂を救い入れるスピードは落ちない。砂といいつつ、砂場に入れられているものは埃が立ちにくい様に粘土や砂鉄を含ませたもの。
介がしゃがみ込んだのは、文字通り石みたいに重くなったランドセルのせいばかりではない。
自分が何かしたかと自問自答してしまうと、自然と両目に溜まってしまった涙が、膝を折らせたからだ。
「ほら、足も鍛えなきゃダメみたい」
前屈みになって介の顔を覗き込むのは、敬香の号令で真っ先に介へ砂をかけていた
「ね、ケイタカ」
健沙が敬香に顔を向ける。香という字が「タカ」とも読める事からついたニックネームは、女児につけるには
「足も鍛えなきゃ」
「そうそう」
敬香が笑うのは、靴にも砂を入れろという意味だった。
7人は笑う。大きな声でワッハッハッではなく、女児らしい、音量は低いのに、高いからやたらと耳に付くクスクスクスクスという笑いで。
「もう泣いてるし」
介の頭に涙が砂を貼り付けている様子に、中津川真誠は口を大きく開いて嘲笑を作った。
「脳みそも鍛えた方がいいんじゃない?」
その真誠と並んだ
笑う、笑う、笑う、笑う、笑う、笑う、笑う、泣く――。
これが、鷹氏 介の今である。
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