第2話 水を得た草のよう
「え?」
急な私の推論にイネスは驚いたようだったが、もっと驚いていたのはジョクの方だった。不思議な生き物でも見たかのように目を丸くしている。
「すごい、なんで分かったの? パパやママも気付かなかったのに」
「まずはその肩の擦り傷ね。チラッと見えたの」
私は彼の服を少しだけ引っ張る。左肩の一部が赤くなっていて、少し皮が剝けていた。
「肩を出してなきゃこんなところ擦らないわ。普通に服を着ていたらこうはならないから、肩までまくり上げたか、あるいは上半身裸だったか、そんな感じで遊んでたんじゃないかなって。傷も新しい感じだから昨日の夜とか今朝できたものだと思うしね」
ジョクは少ししょげたように頷いている。どうやら図星らしい。
「あとは、いつも一緒の妹がいないことね。はじめは、お父さんお母さんが妹ちゃんに
で、最後は持ってる飲み物ね。結構暑いのにコップから少し湯気が出てる。寒気してるのかなと思ったの。特に咳とか鼻とか目立った症状はないみたいだけど、まあこれだけヒントがあれば風邪かなって分かるわよ」
「シャルロット、ホントにすごい! 魔法使いみたいだよ!」
キラキラと目を輝かせて彼は叫ぶ。イネスも胸の前で小さく拍手をしてくれた。
「今朝起きたら少し寒気がしてね。でも外には出たいと思ったから、ママが沸かしてたお湯をこっそりもらったんだ」
「だったら良いものをあげるわ!」
ついてきて、と言って家までジョクを案内する。そして部屋の真ん中に置かれたテーブルに彼を待たせ、薪に火をつけて釜戸が温まるのを待ちつつ、キッチンで調合を始めた。
「風邪だから、と……カキドオシを使うわ」
「カキドオシ?」
手伝うつもりで隣に来てくれたイネスが、聞き覚えがないとばかりに首を傾げる。
「暖かくなると紅紫色の花をつける薬草よ。前世にもすっごく似てる草があったの。根本の茎から上の部分を取って、そこから花を取り除いて使うの。採取した草を水で洗って、陰干しにするの。これが陰干ししたやつね。で、こうやって完全に乾燥したら、好みで
「ロッティー、さっきジョクを風邪って当てたときより早口になってるわよ……」
水を得た魚、もとい水を得た草のように活き活きと話す私に苦笑しながら、イネスは火を起こしてお湯を沸かす準備をしてくれた。
水に焙煎したカキドオシを入れて煮沸させる。水の色がほとんど変わらないけど、まるで上質なお茶のような香りが漂ってきた。
「なんか良い感じじゃない? これで完成?」
「ううん、基本的にはこれで完成なんだけど……」
「何か気になるの?」
「子どもには苦いと思うのよね。ちょっとアレンジしようかな」
「出た! アレンジ!」
なぜか喜んでいるイネスと一緒に廊下に出る。
「広い家だよね」
「そう。お父さんとお母さんが残してくれたものだから大事にしたいとは思うけど、一人で使うにはちょっと管理が大変かな」
廊下の突き当り、奥まった部屋に行き、ドアを開ける。
「うわっ、すごい! というか臭い!」
私に続いて入ってきたイネスが苦草を嚙み潰したような顔で部屋の中を見回した。
「どう! この楽園!」
「楽園どころか草に乗っ取られた部屋みたいな印象ね……」
入口を除く三方向に棚を設けて、そこに草の種類ごとに分けて入れた大量のカゴを置いている。分類が終わってない草は大量に床に置き、もはや床から草が生えているよう。この匂いが堪らなく良いのだけど、イネスはお気に召さなかったようで鼻で呼吸をしないようにして詰まった声で話している。
「えっと、確かここに……あった!」
「それ、太陽の実じゃない。
真っ赤な実をジッと見つめるイネスに、私は「そう」と笑って見せる。
「でも、使い方はそれだけじゃないのよ」
キッチンに戻り、太陽の実を瓶の底で叩いて潰す。さらにナイフで細かく刻み、それをカキドオシのお茶に入れた。
もう一度煮立たせながらかき混ぜていくと、徐々に赤くなっていき、大分オシャレな色合いになった。香りも少し変わったようだ。
「少し前に試してみたんだけど、太陽の実との相性がいいのよ。苦みが消えるわ。あとはせっかくだから可愛くしたいわね。
コップで注いで持っていくと、ジョクは真っ赤なその液体を一瞥して「えっ」驚いたように目を見開く。
「何これ、ジュースみたい!」
「そう、見た目も飲みやすいようにしようと思って」
前世ではこれをカクテルと呼んでいたっけ、と思い出しながら親指をグッと立てると、彼はコップを手に取り、おそるおそる口をつけた。
「あ、苦くない。これなら大丈夫!」
「良かった、飲みやすいよに調整したから。風邪に効くと思うから、あとは温かくして過ごしてね」
「うん、ありがとう、シャルロット!」
「みんなには内緒だからね」
立てた人差し指を唇に当ててシーッのポーズをすると、ジョクも「分かった」と仕草を真似して見せた。
内緒にしたのは、医者でもない私が彼の両親にも黙って勝手なことをしているから。もう一つの理由もあるけど、それは私にはどうでも良かった。
「私が体調崩したときもこんな風に作ってくれたわね」
「そうそう。イネスは『なんか色がイヤだ』っていうから、赤くしてあげたんじゃない」
「確かに! あの時の私、ぐったりしてたくせにワガママだわ」
からからと笑うイネスに、私とジョクもつられて笑った。
こんな生活がゆったり続けばいい。草の研究をして、たまに誰かの役に立って。
そんな風に思っていたのに。
「すみません!」
家の外で声がする。どうやら私の家に向かって呼びかけているらしい。「はーい」と返事をして玄関を出ると、三十代くらいの立派なヒゲの男性が立っていた。
「君が、マテュー・シャルロットか?」
「ええ、私ですけど……何か……? あ、不要な草の引き取りなら喜んで受けます!」
そうではない、と彼は笑って首を横に振る。
「私はクジャン村に住んでいるリンゲというものだが、薬草や毒草に詳しい一般人がいると聞いてね。少し、うちの村に来てもらえないか」
生活が少しだけ変わりそうな予感が、心の中で草のようにニョキニョキと伸び始めた。
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