「また肉の話してる」

———視点、三人称。


「部長ってああいうのが好きなんですね」


 放課後の新聞部室。一週間ぶりにドアを開けた近衛槙は早々に、音琴千咲の好みの話を切り出した。


「あー、もう行ってきたのね? どう、すごかったでしょ」


 音琴が近衛に出した取材命令———外れにある、元ボディビルダー世界チャンピオンが営むカツ丼屋を取材せよ。

 近衛はその結果報告をするためだけに部室に訪れていたのだった。


「すごかったです。まずボリューム」

「わかる」

「それにすっごい焦げ色」

「でしょ」

「何より熱気」

「でっしょ~?」


 うんうんと頷く音琴の机に近衛はレポートを置いた。


「辺鄙なところにありましたけど、あんなお店どうやって知ったんですか?」

「ふふ……聞いて驚きなさい。実はね」


 音琴はパチンと指を鳴らし、かっ、と口を鳴らして答えた。


「ラーメン屋と間違えたの」

「お疲れ様でーす」


 いつのまにか廊下に出ようとしていた近衛の足を音琴は払った。びたんと倒れた男子学生はそのままズルズルと部室へ引きずり戻されていくのだった。


「何を以てラーメン屋と間違えるんです。暖簾にカツ丼って書いてあったでしょ」

「食べログだとラーメン屋だって書かれてたのー。でも多分、前の店が潰れたからカツ丼屋が入ったんだと思うの。この超名探偵の音琴様からしてみればね」

「そういや店長さんが最近開いたばかりだって言ってましたねー」


 制服についた汚れを払い近衛は席に座る。


「それにしたって趣味がいかついと思いますよ、部長」

「いかつい、だー? 年相応でしょ」

「そうかー?」


 目を細くしてへの眉をしている音琴を見つめる。


「あんなにいいお店、もっと広めたいって思うのは一ファンとして当然の行為でしょーが。それとも何? 私の一押しのお店がお気に召さなかったとでも言うの?」

「そうとは言いませんよ? でもまあ、らしいと言いますか。部長の変態性を改めて理解できたって感じです」

「……へんたい?」


 ますます眉を縮こませる音琴。近衛はその顔を見てにやにやしている。


 二人は互いにこう思っていた。


 ———まさか部長が筋肉フェチだとはね。

 ———カツ丼の話なのにへんたいってどういうこと?


 近衛の考えはこうである。

 自分の知っている音琴千咲は、良い意味でも悪い意味でも女性らしくない性格と趣味を持っている。学園中の男子を震え上がらせるくらいに悪名を轟かし、失礼を働いた生徒は例外なく学校新聞で晒上げの刑に処されてしまう。部室でふんぞり返る彼女はまさにプライド高き傲慢な女王。浅い味付けのおやつでは満足できない人間なのだ。


 そしてそれは、彼女の味覚についても同じ。

 近衛は一つ確信していることがある。この女、将来は糖尿病になる。弁当には持参した塩胡椒を満遍なく振りかけ、外食に際してもやたら味付けがドギつい個人店を好む。

 そんな女が、たかがあのカツ丼程度で取材を書こうと思うはずがない。

 なぜなら自分でさえも美味しいと思えたのだから。


 よって音琴千咲がターゲットにしたのは、あの筋肉の塊としか言いようのない店長以外ありえないのだ。

 焼きに焼いた小麦色の肌、モリモリと膨れ上がった筋肉。それを強調するかのようにタンクトップは引き締まっており、前にかかっていた家庭的なエプロンはむしろ彼自身の愛らしさを演出していた。

 そして何より、元世界王者のボディビルダー。

 新聞部の長としてその嗅覚が狙い澄ましたのはこの一点以外ありえないはずだ。近衛はそう結論づけていた。


 一方、音琴の考えはこうである。

 カツ丼美味しかったから記事にしたい。


 これだけである。


 ———残念ながら、これだけである。


 その夜、レポートを見た音琴が近衛に鬼電したことは言うまでもない。

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音琴千咲はふと思う。 境 仁論(せきゆ) @sekiyu_niron

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