音琴千咲はふと思う。

境 仁論(せきゆ)

「愛してるって安直すぎない?」

「愛してる」


 そうぼそりと意味ありげに呟いて見せたのは、我らが新聞部部長の音琴ねこと千咲ちさきである。その刹那の発言を一句漏らさず耳に入れてしまったが、無視して目の前の原稿に向き直した。変なことを突然言い始めるのはいつものクセである。


「ってどう思う、近衛」

と、話を振られてあー、と諦めるように溜息をついた。そしてその場をやり過ごそうと適当に返してみせた。


「ロマンティックなんじゃないですか」

「……あー?」


 納得できないと言いたげに首を傾ける部長。しかし勘弁してもらいたい。こちとらあなた様の気まぐれのせいで先送りにされてしまった、締め切り直前の記事を書いているのですよ。そんなお話をしている暇はないのではありませんか?


「もっとよく考えなさいよ」

「……なんかドラマでも見たんですか?」


 いや、と小さく答え彼女は窓からの景色を見ようと立ち上がった。最近流行っている、「意味ありげに黄昏てみよう」ゲームである。


「愛してるってセリフ、安直すぎないかって最近思ってるのよね」

「はあ」

「ドラマにしろ漫画にしろ、現実にしろ。愛してるーって言うだけでトキめく人のカラクリがわかんないのよねー……」


 いつにもまして深刻そうに考える彼女の顔はさながらロダンのアレ。いつもは破天荒な彼女からとても想像つかない様子で流石に心配になる。


「変な小説でも読んだでしょ」

と聞いてみると尚更彼女は思わせぶりな顔をして、部長席を撫でるような仕草をした。

 ……別に告られましたか? なんて聞いたつもりは無いのだが。


「うちの新聞、最近文芸部の連載コーナー始めたじゃない。それに「愛してる」ってセリフがあってね」

「……ああ、そういえばありましたね」

「それを見てから、セリフとしてどうなのかって思うの」

「ふーん」


 つまらなそうな話題だったので適当に相槌をうちながら聞いてあげることにする。


「やっぱり直接的すぎると思うのよね。だって世の中には、月が綺麗ですねってセリフがあるくらいなのよ。それくらいの機転、利かせられないものかしら」

「みんな大物作家みたいなことできるわけないじゃないですか」

「いやーでもやっぱ別の言い換えを考える努力くらいはしてほしい!」


 つまり彼女は恋愛の話をしているのではなく文芸作品の批評まがいなことをしているわけなのだった。


「……やっぱ現代人ってそれくらいハッキリしたセリフの方が好きだったりするのかしらね?」

「そうなんじゃないですか」

「近衛はどうなの」

「どうもしないっすよ」

「……あんたはなんか古めかしい感じがする」

「———」


 作業の手が止まった。


「なんで?」

「あんたの書く記事……なんか、回りくどいのよ。一つのことを説明するのにその周りを無駄に描写しようとするじゃない。言いたいことはそのまんまはっきり言ってやればいいのに、外堀から入ろうとするから。なんか変に影響された小説家みたい」


 座っていた椅子の足が音を立てて床を引っ掻いた。

俺自身は、全く、小説を書いているつもりは、ないのだが。

 僅かに沈黙の時間が訪れる。縄張り争いをしそうになっている二匹の獣のような静けさだった。

 しかしそこでふと思った。部長の言う問題の答えはもう出ているじゃないか、と。


「部長の言ったことが正解ですよ。だって部長、自分でハッキリしたやつの方がいいって今言ったじゃないですか」

「……? 言ってないけど」

「俺の文が回りくどくて古めかしいって話ですよ。部長はストレートな言葉を使うのはどうなんだって考えてるのに俺に対してははっきりと書けって言うじゃないですか。部長の言った現代人ってまんま自分のことですよ」


 そこで彼女はむっとした顔を見せた。


「あたしが矛盾していると?」

「そうですよーだ」


 さっき言われた仕返しだとばかりに言ってやった。


「……でもね近衛。あたしは文芸作品に対して奇をてらえって言ったの。別に新聞の記事がどうこうって話じゃない。むしろ新聞ははっきりと書いて正解でしょ」


 ……ぐうの音も出ない。


「でも部長。最近の作品ってみんなそうですよ。漫画もラノベもビジュアルありきだし、純文学だって表紙にはキャラクターが描かれてる。そういうのは、見た瞬間にわかるものじゃないですか。つまりわかりやすいのが好きなんですよ昨今の読者は」

「うーん納得いかない」


 そうして頭を掻いて部室中をうろうろとする部長。


「もっとこう……意味を考えるみたいな楽しみ方はしないもんなのかしら現代人って!」


 最近になって現代語の授業にハマったのだろうかこの人は。


「まあ、物事を考えるのって疲れますからね。ただでさえ勉強で忙しいってのに」

「でもそんな読者の性根を叩き直すのも作家の仕事だと思う!」


 そう言うと部長は部室の外に出ようとした。


「……どこ行くんです原稿は!?」

「ちょっと文芸部に直談判してくる!」


 早歩きで進みだす部長を必死に止める。


「やめてください恥ずかしいからぁ!」


 足を引きずらせながらも彼女は前へと進んでいく。


「性根を、叩き直す、だけだから!」

「もうほんとやめてくださいってぇ!」

「あの小説ほんとにもう……!」


 そして音琴千咲は、廊下中に響き渡るほどの大声で言ったのだった。


「大嫌い!」

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