陰キャ、今日だけでめちゃめちゃ褒められまくる
「おいおいおい……マジか……」
結論から言おう。
綾月の主張していた通り、俺はたしかに
いつもは近所の千円カットで適当に済ませていたんだが、少し値段の張る美容室でヘアカットしてもらって、良いワックスとセット方法を教えてもらって。
そうするとどうだ――鏡の前には、見たことのない男がいるではないか。
「…………よし、これでOKですね」
俺を担当してくれた女美容師が、最後に前髪を横に流しつつ言った。
「彼女さんが言っていたように、霧島君はもともと素敵なお顔をお持ちですよ。そこはどうか自信持ってください」
「は……はあ……」
「ということでこれ。プレゼントです」
そう言って手渡されたのは、さっきヘアセットの際に使っていたワックス。
しかも新品だ。
「え……? でもお金は……?」
「ふふ、いりませんよ。あなたなんでしょう? 私の推しを助けてくれたのは」
「…………?」
最初はなんのことかわからなかったが、数秒後にようやく合点がいった。
「もしかして、昨日の配信を……?」
「そうです♪ あのときのあなた……恰好よかったですよ。本当に」
「か、かっこいい……」
女性からストレートに褒められた経験が少ないので、思わず背中がむず痒くなってしまう俺。
しかも当の推し本人が、いま待合室で呑気にスマホをいじってる女子高生なんだけどな。
さすがにそれを言うのは憚られたので、そこは黙っておく。
(あとこれは、個人的なお願いなんですけど……)
急に距離を縮め、耳打ちをしてくる女美容師。
(最近、彼女もなんか焦ってるみたいで……。昨日の緊急モンスターの時みたいに、無茶な配信をやりがちなんですよ)
(は……はい)
(だからどうか、彼女を支えてあげてほしいんです。きっとあなたがいれば、ミルちゃんも安全でしょうから)
(そ、それは……)
たしかにそれは俺も思っていた。
紅龍ギルガリアスに突撃することの無謀さを、彼女もわかっていたはずだ。Aランクの探索者たるミルが、それくらいのことをわからないはずがない。
それでもあの戦いに突撃したのは――やはり、どうしても視聴回数を稼ぎたい理由があるんだろうな。
(はい……わかりました)
ただ一点、俺なんかが彼女の助けになるかは疑問だけどな。
そこはあえて触れないでおく。
コミュ障の俺が細かい事情を説明しようとしても、絶対にうまく伝えられないだろうから。
そうして俺は無事、人生初の美容室体験を終えたのだった。
★
美容室を出たとき、あたりはすっかり暗闇に包まれていた。
スマホの時計を見ると、もう19時……。
善良な高校生たるもの、そろそろ帰る時間だな。
「うんうん、いい感じだね♪」
俺の顔面を見上げながら、彩月が嬉しそうに目を細める。
「筑紫くん、本当にすっっっっごいかっこよくなってるよ♪」
「は……ははは。それはどうも……」
そして……数分後。
繁華街を抜けて、俺たちはいま、物静かな公園をゆっくり歩いていた。
普段は子どもたちで賑わっているこの場所も、夜になると誰もいなくなる。
幻想的に地上を照らす月明かりと、そしてときおり穏やかに流れる温風だけがここにあった。
「…………」
なんだろう。この空気は。
いつもは天真爛漫な彼女も、いまはなぜか口を開かない。ただ心地よい静けさだけが、周囲に広がっていた。
なんだか急に気恥ずかしくなった俺は、場をもたせるためにとりあえず口を開いた。
「え……と、今日はありがとう、
「へ……?」
「今日だけで色々と経験させてもらったよ。色々とよくしてくれて……本当にありがとう」
「う、うん。それはどういたしましてだけど……」
そこでなぜか不満そうに口を尖らせる綾月。
「そのさ……
「え……」
「私には美憂っていう名前があるの。わかってるでしょ? 筑紫くんからそんな他人みたいに呼ばれるの……やだな」
「…………」
え。
これマジで言ってるのか。
女の子を下の名前で呼ぶのなんて、マジのマジで抵抗感あるんだが。
しかし隣を歩く綾月はなぜかジト目でこちらを見つめていて……むしろこれを断るほうが悪い気がして。
「わ、わかったよ。美憂……これでいいかな?」
「うん! それでOK♪」
綾月――改め美憂は、なぜかとても嬉しそうにはにかんだ。
それを不覚にも可愛いと思ってしまったが、馬鹿なことを考えてはいけないと思いなおす。
いま彼女と話せているのは、ただ単に偶然に偶然が重なっただけ。
本来であれば、俺と彼女にはどうしようもない隔たりがあるのだから。
「それでね……筑紫くん」
そこで美憂はなにを思ったか、少し不安そうな顔で俺を見つめてきた。
「ちょっと……話したいことがあって。もう少しだけ時間もらえる?」
「へ? う、うん。別にいいけど……」
「やった。ありがと!」
そう言って天使級の笑みを浮かべる美憂だった。
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