第7話

「ヒロシです」そう言いながら、手だけを女部屋に差し入れる。

「マルコです」暖簾の向こうから聞こえて来た声は、今までで一番心地いい声かも知れない。今までで一番とは、この婚活イベントだけじゃなく、オレの人生において、だ。コロコロと弾むように耳に入ってくる声は、美しいとかカワイイとかじゃなくて、ひたすらに心地いい。

 その発声といっしょにオレの手を包み込んでくれた手はやわらかく温かい。アレ?声と握手だけで惚れる事なんてあるのか?


「質問です。一つだけ超能力を得られるとしたら、何がいいですか?」横に立っている高宮がオレとマルコに聞いてくる。

「えーっと、時間を止める能力? または超絶なスピードで動ける能力かな」とオレは答える。何も考えずにヒーロー願望を口にする。

「じ、時間を巻き戻せたらいいかも。それがほんの数時間とか数分とかでもいいかな。後悔なく生きられたら嬉しいです」襖の向こうからマルコはそう言ってきた。やっぱり心地いい声だ。オレの手を包むマルコの手からも、心地よさが伝わってくる。

「ありがとうございましたー。それではまた、お席にお戻りください。あ、マルコさんはそのままそこにいてくださいねー」高宮の案内でオレは元の座布団に座り、マルコへの感想を書き始める。


 マルコ 手―やわらかくて優しい 心地いい ・質問「一つだけ超能力を得られるならな何?」「時間を巻き戻せる能力」と答えた声はとてもとても心地いい声 大好き (オレは『時を止める能力、または超絶スピード』と答えた)


 そう書いた後で、オレは最初のホワイトボードの質疑応答への回答集を見直そうとこれまでに書いたA4用紙をパラパラとめくる。【マルコ アイスティ(お酒苦手です)】と書かれた酒に関する答えを見つけて、少しだけ凹む。マルコさん、お酒苦手なのか。


 おそらくは七分の四から五ほど終わったであろう襖越しのスキンシップ一言面談は、背中越しに聞こえてくる。高宮の声はやっぱり疲れてきているし、女部屋からは女同士のひそひそ声の談笑が聞こえてくる。もう、声出しは解禁されているのだから、そういう事もあっていいのだろう。男部屋の方ではそういった声は聞こえない。スマホをいじっている男もいれば、これまでに書いたメモとにらめっこをしている男もいる。でも、隣の男と会話を楽しもうという男はどうやらいないようだ。


 そんな事を思っていたら、「このイベント、楽しいですね」と隣の男が声をひそめながらも話しかけてきた。中肉中背の男だ。上半身はオレと同じく白のTシャツだが、ズボンはスーツのスラックスに見える。そうか。この初夏の休日にわざわざスーツを着てきたのだな。服選びは無難を行くタイプなのだろう。

「えぇ。不思議な事に、顔も分からない女性がなんだか愛おしくなっていきますね」オレはその男に返す。

「そう!そうなんですよ!僕は断然、マリさんと相性が良さそうなんですよ!映画はジブリ繋がりだし、酒は柑橘系繋がりだしで!」そう言う男のネームプレートを見てみると【シュン】と書いてある。男の方の情報は書きとめていなかったが、この男が【ラピュタ】と答えていた男に違いない。なるほど、オレがバグダッド・カフェと答えてユノさんとの縁を思ってしまったのと同様の現象がこの男にも起こった訳か。たまたま嗜好が被っただけで運命を信じてしまうのは滑稽な事なのかも知れない。オレは反省して、そして「嗜好が似通ったからと言って相性が良いとは限らないらしいですよ。焦りは禁物だと高宮さんは言ってましたよ」自分と、このシュンという男に釘を刺す。

「そうですかねー。僕はこの運命を信じたいけどなー」朗らかに笑顔を向けてくるこのシュンという男は善人なんだろう。でも、ジブリ映画が好きだという人間は男女問わずごまんといる。それを思わずに運命を信じたがるというのは、少し迂闊なんじゃなかろうか。

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