第5話 1日目昼下がり

「……というわけで、お兄さまのところにいくわ」

「行くんですか……?」

  お昼休憩を挟みメンタルの死から立ち直った私を、ソニアが信じられないものを見るような目で見てくる。

  当たり前だ。あの程度で、私が折れるとでも?

  ガチャで大爆死したとき。最推しが不慮の死を遂げたとき。オタクは死ぬことは多いが、何度でも蘇る。不屈の心なのだ。

  それに、マリー夫人が帰る前に、少しでも彼と仲を深めないといけない。

「今は、歴史のお時間だったはずです。たぶん3時まで……」

「なるほど」

「行かないでください!」

  椅子から降りようとする私を、ソニアが止める。

「邪魔したら、今度こそ叱られます……。家庭教師のダッド先生は怖い人ですから……」

「こわい人しかいないのね」

「3時からは、魔法のお時間です。魔法の先生のアレン様なら、見学もお許しいただけるかと」

「わかったわ」

  授業中に邪魔するのは、悪いもんね。

  私が頷くと、ソニアはあからさまにほっとした顔をする。分かりやすい子だなあ。

「……ねえねえ。わたし、お茶のみたいなあ」

「かしこまりました」

  少々お待ちくださいませ。綺麗にお辞儀して、ソニアは部屋を出ていく。

  本当に、しっかりした子よね。この時代の13歳はもう大人なのだろうが、それでもまだまだ甘い。

  部屋の外の鍵、かけ忘れていてよ?

  抜き足差し足、私は廊下に誰もいないことを確認し、部屋を抜け出した。

  汚い大人でごめんなさいね。


  そもそもとして、私はこの家の事をまったく知らない。

  家族構成はともかく、ここにいる使用人達の顔と名前、屋敷の部屋の数も分からない。

  知っていたけど、前世の記憶を取り戻したショックで忘れたのか。軟禁状態されているなら、元から知らなかった可能性もある。

  とにかく、最低限、自分が住んでる家の間取りくらいは知っておきたい。

  私は、ソニアに見つからないようにしながら、屋敷を探索する。しかしまた、でかい屋敷だ。何LDKとかそんなレベルじゃない。最高級リゾート並の敷地面積と内装をしている。行ったことないけど。当然ながら、使用人の数も多い。マジでリゾートホテルかよ。

  人に見つからないよう、気をつけて進む。使用人達は皆、忙しなく動き回っている。周囲を気にしている余裕はないみたい。

  周りが気にしないのをいいことに、私は部屋を片っ端から覗いていく。

  どの部屋の調度品も、めちゃくちゃ高そう。あと、派手。なんていうかな、いかにも金持ちのマダムが好きな感じ。金持ちって、マジで甲冑を部屋に飾るのな。

「ここは……」

  2階の奥の部屋を開ける。たくさんの本棚が並び、それら全てにびっちり本がつめこまれている。どうやら、書庫のようだ。

  古紙独特のほこりっぽい匂いが、満ちている。学校の図書室を思い出す。

  この時代、本はまだ貴重品だったはず。さすがは、建国以来続く公爵家といったところか。

  あぁ、でも、活版印刷はもう発明されてるか?だとしたら、また変わるかな。

「どのみち、こんだけ集めてるのは、きぞくでもすくないと思うけど」

  私は、本棚を眺めながら歩く。

  この世界について分かるような、歴史書なんかがあればと思ったが、残念。

  表紙の文字が読めない。全くもって、知らない言語だ。

  下段の本を何冊か、パラパラとめくってみるが、やはり読めない。アルファベットっぽいなってことは分かるけど、それ以上はさっぱり分からん。

  しかし、相手の言ってることは分かるし、ちゃんと言葉は通じてるのよね。

  言葉を聞いて意味を理解するヒアリングの能力と、文字を読み書きする能力は違う。まだ漢字平仮名を習っていない子どもでも、相手の言葉を理解し、返答できる。

「にほんごなら読めたのに……」

  もしかしたら忘れてるんじゃないかと思っていたが、日本語はちゃんと覚えていた。漢字もひらがなも書ける。ぶっちゃけ、忘れてても問題はないだろうが、これまで普通に覚えて、使えたものが使えなくなることに、恐怖がある。日本人だった証だ。なるべく忘れたくない。

  私は本を閉じ、同じく下にあった分厚い本を開く。こちらは文字は少なく、代わりに花の絵がたくさんある。写実的な絵だ。辞典かと思ったが、どうやら図鑑のようである。

   ぱらぱらとめくる。紫陽花、彼岸花、パンジー。見覚えのある花も多いな。

  王国は、豊かな土壌に恵まれている。初代国王が、地の神より加護を与えられたとかなんとかで、緑豊かな国になったそうだ。日本同様に四季があり、多種多様な花が咲く。

  四季があるってことは、気候と植生は日本に近いのだろうか。梅雨はあるのかな。

  唐突に、鐘の音が響く。書庫の振り子時計だ。見ると、針はちょうど3時を指している。

  つい、読みふけってしまった。もう座学は終わったはず。

  私は本を元の棚に戻す。次の授業の場所は聞いてなかったが、魔法の特訓をするなら外だろう。稽古場に向かおう。

  途中、見つからないように生垣に身を隠し、ときに見事な花々に癒され、なんとか稽古場に着いた。

  屋敷から稽古場に移動するだけで、たいぶ時間がかかってしまった。てか、迷ってた。広すぎんだよ、ここ。

「さて、お兄さまは……」

   午前同様、木の陰に隠れて様子を伺うも、あたりに人はいない。きっと稽古場だと決めつけていたけれど、外れたかな。もしくは、もう終わってしまったか。

「どうしよ、とりあえずいったんもどる……」

  そのとき、思い切り手を引っ張られる。

  後ろから引かれたことでバランスを崩すも、倒れる前にしっかりと抱きとめられた。

  いきなりなにすんだ。令嬢らしからぬ発言をグッと呑み込んで、後ろを見る。レイリアスよりちょっとだけ大きな背。

「あ、おにいさ……」

「なにをしてるんだ!」

  めっちゃ怒られた。

  てっきりソニアかと思ったが、まさかのお兄様だ。しかも、めちゃくちゃ怒ってる。

「えっと、おけいこのけんがくしたくて」

「部屋にいろといっただろ!」

  彼は声を荒らげる。さっき会ったときの無表情が嘘のような剣幕だ。

  私からしたら、小さな子どもが怒ってるだけなので怖くない。こんな表情も出来るのかと、そちらの驚きの方が大きい。

  部屋を抜け出しただけにしては、怒りのボルテージが高すぎないか。

「もう4時になる!母様が……」

  ハッとして、シャルルは口を噤む。耳を澄ますと、門を開く音が聞こえた。彼の表情が怒りから焦りに変わる。唐突に、私は悟る。

  ああ、そうか。この子は知っているのか。

  シャルルは、私を自分の方に向かせ、しっかり言い聞かせる。

「レイリアス。急いで部屋に戻りなさい。僕がなるべく、玄関で引き止めておくから、お前は裏口から中に入るんだ。分かったね」

  懇願するような声に、私は頷くしかできなかった。

  シャルルと別れ、私は走って屋敷に戻る。

  途中半泣きで私を探してくれていたソニアと合流し、無事、私は部屋に帰ってきた。

  泣き出してしまった彼女に謝り、なだめながら、考える。

  暴力を目撃した子どもの心には、大きなキズが残る。直接暴力を振るわなくとも、子どもの前で暴力を振るったり、誰かを激しく罵ったりすることも、虐待にあたる。

  彼の目には、怯えがあった。いつ来るか分からない嵐を、ただひたすらに耐えている。

  別れ際の、あの顔。相手を安心させたいがために作る微笑み。

ーー大丈夫よ、ナナちゃん。

前世の姉と同じ笑みが、頭から離れない。

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