永遠のクリスマスイブ
文明が崩壊して1年たらずで大気から苦味がきえた。池の鳥の黄色い水搔きも見えている。男はセルフカットが上達した。あわせ鏡を使って後頭部まできれいにハサミを入れられるようになった。冬がちかづくにつれアマゾンみたいな蒸し暑い日とアラスカのような凍える日とが交互に繰り返されるようになった。それからすこしして例年より早い初雪が降った。よごれた街が白に染まる。繁華街のクリスマスセールの飾りつけがふたたび〝らしく〟なった。異常気象の影響で極端に温度差があるものの地球全体で見れば平均気温は例年より低くなっているようだった。気象庁のデータにもそれははっきりと表れている。文明が失われたことが直接的な原因であることは明白だが、滅亡前に学者が唱えていたプチ氷河期が訪れている可能性も捨てきれなかった。6輪駆動は積雪くらい ものともしないがそれでも万が一に備えて男は遠出を控えるようになった。楽観と慎重。バランス。バランス。
吹雪がいく日もつづいた。窓外をながめれば太陽は見えず ただ薄青い雪が休むことなく渦巻いていた。外出できず、やることといえば車の整備と各フロアの掃除くらい。気がむけばパークタワー内でまだ行ったことのない場所を探検したりもするが特にあたらしい発見はなかった。食料のストックは予定より早いペースで消費された。1階の鳥たちに分けあたえた為だ。いったんパークタワーから退避してワシントンホテルに引越そうかとも考えた。そうすれば天候に左右されず地下道から新宿へと移動できる。しかしそれでは植物や鳥の面倒を誰が見る。すでに作物の多くは隙間風と底冷えで枯れてしまい鳥たちは朝になるとかならず何羽かが地面におちていた。鶏もストレスからか ある朝突然卵を産まなくなった。不幸はつづくもので鶏が卵を産まなくなったおなじ日にマグロと牛肉を保管していたホテル調理場の冷凍庫が故障した。さらに追い打ちで車のバッテリーがある。4日目の朝しばらく見なかったキューハチがエントランスの前で震えていた。返事も待たずに強引にエントランスに入れる。気象衛星の画像を見ても吹雪は当分やみそうになかった。このままでは全滅だ。男は意を決して外に出た。
最初はパークタワーからワシントンホテルまでの短い冒険のつもりだった。そこから先は地下道で新宿へ。ホテルまでソリを引いてどこかで台車を調達すれば仕事は容易に終わる。ところが外に出た途端 風がやんで雲間から太陽がのぞいた。
「運が良い」
そう言って天をあおいだが このときに限っては彼の楽観主義がわざわいした。ワシントンホテルに背をむけて逆方向にソリを引きはじめる。ふと拳銃の携帯を忘れていることと外出前に気象庁のデータを見ておくべきだったことを思いだしたが、ひさしぶりの開放感がそんな気持ちを吹き飛ばしてくれた。
自力でどこまで行けるか試してみたくなった。ゴールを新築地市場に設定。こういう過信がいけない。有楽町までは順調にすすんだ。銀座が雪で光っていた。ホワイトアウトしたのは市場まであと少しというところだった。貼りつく雪で頬が痛くなる。適当な建物に侵入しては態勢をたてなおす。あいかわらず侵入したついでに電源を落としていく。水道の元栓が室内にある場合にもおなじく。地下鉄駅や地下道に降りようかともおもったが それをさがすにも道にまよってしまう。途中で入ったコンビニではツナ缶に火を灯して暖をとった。高級マンションのエントランスホールは暖房がついていて天国だった。ほっと一息すると同時に季節に関係なくずっと部屋が温められていたのかと身震いする。応接セットのル・コルビジェで仮眠をとったあとふたたび吹雪にダイブした。そのとき地面が揺れた。最初は強風に煽られたか、それとも凍った地面に足をすくわれたかとおもった。しかし揺れは腰を低くしても風が止んでも収まることがなかった。地震だ。体感で震度6弱。たったいま休憩していたマンションが背後で倒壊した。その衝撃で男はソリといっしょにアリジゴクにはまった蟻のように地中に埋もれた。落ちていくなかで窒息しかけて観念する。最期に見る景色が青みがかった雪の壁で良かった。けがれのない美しい世界。素粒子の数は梅雨の日のあのときから自分の身体の分だけ補填されている。つまりこの時点で第1の目的は達成されている。第2の目標となる3か月生きるという賭けにも成功した。〝連中〟は充分満足しているだろう。揺れがやんだのを三半規管で認識する。雪に囲まれて苦しい反面意外に温かいなと感心する。時間の経過と共に弱気な気持ちが消えていって、かわりに反骨精神が湧きあがってきた。もがいてみる。身体をよじらせてみる。できた隙間に腕を這わせて頭上に穴を掘ってみる。深く落ちているらしくこの程度では空は見えない。掘った雪を頭から足元へと移動させ圧しつぶす。空気が薄いのか息苦しくなってきた。ふたたび手足をばたつかせた。息をきらし、何度もあきらめて、ときに手をとめて雪に埋まった自分の屍やあるいはそれが春になって姿を表した様子を思い浮かべてみた。気をつけていないと上下の感覚が失われてしまいそうになる。いちおう上にむかって掘りすすめているようだ。手で穴を掘りながら足元は靴底で固めるという地味な作業を延々とつづけた。やがてもがいているうちに薄青い天井が明るくなってきた。どうやら吹雪は収まっているらしい。
先程とは異なる世界がそこにあった。エントランスホールで暖をとったマンションはコンクリートと鉄でできた小高い丘になっていた。ル・コルビジェはどこにいったかもうわからない。もったいないことをした。古いものではあったがめずらしい本物だったのに。男が立つ地域一帯は電線の地下化が遅れていた為に電信柱がたおれ、切れた電線の先端から火花が散っていた。連鎖で新宿、渋谷まで停電しなければよいのだが。そうおもって西のほうをながめた瞬間、強制労働を強いられたあの例の建設途中のビルが音をたてて崩れた。あとになって知ったことだが この地震により多くの家屋が倒壊した。すべて屋根に積もった雪の重さが限界に達していたところを地震で息の根を止められたかたちだ。舞いあがる雪で眼を細める。あらためて埋もれていた穴を覗いてみた。道路が陥没しところを飲み込まれたらしい。たぶん地下に駐車場かなにかの広いスペースがあったのだろう。その上から雪崩となって落ちた雪で蓋をされた。ソリを見つけるのは不可能。どこかに雑貨屋かアウトドアの店があればいいが。吹雪がふたたび始まった。こうしているあいだにも視界が悪化の一途をたどっている。
新宿にもどったのは明けがた。全身が雪で真白になっていた。あたらしいソリの上にはガソリン車用のカーバッテリー4つ、カーバッテリーの充電器2つ、ガソリン60リットル、遠赤外線電気ストーブ4台、鳥の餌10キロ、消費期限ぎりぎりの携帯食料を30箱、乾パンと氷砂糖をひと冬分、それに冷凍されたマグロと鮭と牛肉がゴムバンドでぐるぐる巻きにされていた。
パークタワー周辺に設置した発電機がいくつか壊れたものの中央公園もエントランスホールも地震による被害はないに等しかった。南国の鳥も鶏もいつもと変わらぬ表情で撒いた餌をつついている。いっぽう3階のほうはことごとく物が倒れていた。高級食器が割れ、書庫のファイルのほとんどが床に落ちていた。地震の影響を受けるのは人が作ったものばかりだ。
「片付けるのに1日かかるな」そうつぶやいて顎をさする。「いや。その前にシャワーをあびて寝よう」
その後もホワイトアウトするような吹雪の日がいくどかおとずれた。そういう日はなるべく外出しない。必要な時にだけワシントンホテルまでいき、そこから新宿の地下道を利用するようにした。時間に余裕があれば照明を間引きしながら広大な地下都市を探検したりもする。行動範囲を地下道とそこから直結したビルに限定すると新宿はまったくちがった姿を見せて男の好奇心を湧きたたせた。
外出しない日は掃除や書庫の整理をしてすごした。だが片付けばかりだと飽きてしまう。そこで もういちどパークハイアット東京の探検をすることにした。一般客が入る場所はおおかた見てしまったので今度は従業員用の通路をメインにあるく。そこは白塗りの壁の迷路だった。迷子にならないよう地下にある文房具店からペンギンのシールをもってきてこれを目印として壁に貼ってあるく。バックヤードにはいまだあちらの床こちらの床に制服が落ちていた。まとめて見えない所に隠してしまおうと倉庫らしき扉をあける。そこには故障中の貼り紙が付けられたままの掃除ロボットがあった。
「ふむ」
外観はどこも壊れていない。スイッチをオンにしてみた。エラー表示。指示にしたがってロボットをひっくりかえしてみる。なんのことはない。吸い口にシルバーのネックレスが絡んでいた。発見したロボットは単純なAIしか搭載していなかった。それで起動したのだ。やはり知能の差が消滅したものと残ったものとを分けた。この仮説でまちがいなさそうだ。
パークハイアットだけでは飽きてしまった。ひさしぶりに東京ガスに侵入してみる。無知というのはおそろしい。男は地下にあたらしい道をみつけた。それはパークタワーの敷地から新宿のビル群へと温かい空気を送るためのパイプを通すための道だった。もちろんパイプの横に人があるくための通路がある。いままでの苦労はなんだったのか。この通路をたどれば一度も外を出ずに新宿まで行くことができたのに。ところが新宿駅にむかってあるいていくと地震の影響で途中から道が遮断されていた。なかなか思うようにはいかない。
「ここをあるいている途中で地震で潰されたかもしれない。そう考えればラッキーだったかもな」
渋々きた道を引きかえす。
その朝も掃除ロボットがやかましい音をならしていた。小脇に抱えたタブレットにはカレンダー。今日はクリスマスイブだ。体調は良い。最初の1か月は腹痛になやまされたりもした。なんとなくだるかったり、頭がぼんやりすることも多かった。いつのまにかそれもなくなってすっきりしていた。身体も順応している。いつもより多めに鳥たちに餌をやり、せかすキューハチを外に開放する。リム、インテグラル、ディーエックスディーワイには昨日のうちにいっぱい遊んでやった。そして寝る前にはすりへったワークブーツを捨てて新品のものをベッド脇に置いた。
「靴下には入らないか」
街はすっかりクリスマスだ。
独り言の多い男と無口なクリスマスイブ Eika・M @eina_m
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