エメラルドグリーン
射撃の練習の1発目は信じられないほどごとに的に命中した。ビギナーズラック。2回目以降はずっと上手いとも下手ともいえない成績がつづいた。鉄の塊は重く、撃つたびに肩が飛ばされそうになる。骨折は完治していないようで衝撃をうけるたびに小指と肋骨のあたりが痛んだ。火薬のにおいが鼻につき轟音に辟易する。専用のヘッドフォンのような物をさがそうと思いついたのは すっかり耳がイカレて鳥のさえずりも風音も遠くで聞こえる高音になってしまったあとだった。イヤープロテクターは銃砲店で容易に見つけられた。それでもやっぱり射撃の不快感は払拭できなかった。
釣りのスタイルが一変した。千葉から漁網と専用ロボットを運んできて毎週きまった曜日のきまった時間に罠を仕掛けるようになった。ロボットはポンコツでしばしば動かなくなった。故障するたびに射撃練習の的にしたくなる。調子のわるいロボットから発せられるガラガラという音を合図にイルカたちは沖に現れた。みごとなチームプレーで魚を海岸へと追い込んでいく。モビングなんて有能なイルカたちが相手では役にたたない。網を巻きおえるとかならず優先してイルカたちに魚をやった。満足するまで根気よく放ってやる。のこりがこちらの取り分。それでも1回の漁でクーラーボックスがいっぱいになるくらいに取れた。食べきれない分は開いて干したり燻製にしたり、あるいはこれまでとは逆パターンで新築地市場の冷凍庫に保管したりした。磯臭い網漁ロボットは近くのショッピングモールに保管。ハニービターと同様こちらも暇ができると部品を交換したり汚れを落としてやったりした。ガラガラという不穏な音はナットの1つが抜け落ちているのが原因だった。錆を落として塗装をしなおしてやる頃にはロボットもそれなりの見栄えになった。男はロボットを慶吉と名づけた。
イルカの出自についての男の考えは半分あたっていた。1頭はキューハチとおなじ機関で訓練されたものだった。もう1頭は水族館で産まれた個体で復活後 餌のない生活を強いられていたが台風に乗じて外の海に脱出した。別の1頭は野生のイルカ。南の島で復活したが仲間をさがして北上してきたところを東京湾で2頭と出会って合流した。かれらは男が海のなかに足を踏み入れると すかさずやってきて鼻先で手や膝をつついてあそんだ。
日々のタスクが効率化されて そのぶん時間に余裕ができたこともあり、男は時々都内の繁華街を人の気配をさがして歩いた。街は飽きもせず色褪せたクリスマスセール。風化した都市は閑散として建物内部にいると鳥のさえずりさえ聞こえてこなかった。人が復活するかもしれないという不安はすこし神経質だったかもしれない。そのうち男は車から離れる時でさえ拳銃を助手席に置いていくようになった。やはり地上にいる人間は自分独りなのだ。
行楽施設を探検していたときだった。キャラクターの着ぐるみに驚かされ、こんなことなら拳銃を所持しておけばよかったと後悔したところで稼働している自家発電機を発見した。発電機により汲みだされた地下水の貯水槽も。発電機は地熱発電式で地下からわきだす温泉を利用していた。設備まるごと持ち帰ることができないかと考えあぐねたが 結局ここで発電させるままにして仕組みだけを学ぶことにした。代わりに新車のタンクローリーを手にいれて隔週で温水をパークタワーまで運んだ。隔週でバスタブに浸かるという贅沢。
原宿。養蜂箱のまえでおもいきって防護服を脱いでみた。やはり襲われない。薄々気づいてはいた。あらためてころがった死骸を拾ってみる。巣の住人がこれまでの西洋ミツバチから日本ミツバチにかわっていた。日本ミツバチはあまり人を刺さない。そのかわり蜜の収穫量も少ない。むしろ男にとってそれは好都合。これで大量の蜂蜜をどう消費するか悩まなくてすむ。蜂に対する恐怖心が薄れると蜂箱を中央公園に引越しさせた。この措置はキューハチには不評で最終的に新しい小川のそばにある別のビルのテラスを開放してその場所に蜂とハニービターを住まわせることにした。
台風被害にくじけることなく農園でできることを再開。たおれた木を植えなおす。よそからもってきた苗や木を中央公園やアトリウムに植えてふやす。大豆、キャベツ、トウモロコシ、人参、ほうれん草、トマト、みかん、りんご、梨、桃、バナナ、グレープフルーツ、イチゴ、葡萄、アロエ、アボガド、レモン、パイナップル、ブルーベリー。当初は全滅と思われたがジャガイモとタマネギは復活して収穫できそうな気配がしてきた。大根は生育の良くない根の部分ではなく葉の部分を漬物や炒め物にした。なぜか被害の大きい中央公園よりアトリウムのほうが元気がない。なにか根本的なまちがいがある。それでもアトリウムに植えたオリーブの木からすこしばかりの油がとれた。
大豆から味噌を作るだけにとどまらず醤油もできないかと試行錯誤をはじめる。大豆は日本人にとっては万能な食材。もし男が器用なら 枝豆、きな粉、醤油、味噌、納豆とバリエーションのある食卓が楽しめたはず。あくまで器用ならの話だが。
また料理には水をつかわずワインをつかった。そのほうが水を節約できるのだ。そして東京にはまだまだ手つかずの酒屋があふれている。
3頭のイルカの名は毎晩 睡眠薬代わりに読んでいた数学の教科書にでてくる言葉からとった。リム、インテグラル、ディーエックスディーワイ。3頭の活躍によって漁獲高が安定すると貝や海藻の調達にも挑戦するようになった。ここまでくると復活前よりも食卓は贅沢だ。精米したごはん。それに酢と砂糖を混ぜあわせ、取れた魚介類をさばいて上にのせる。わさびと醤油で完成。寿司を口にしたのはいつ以来だろう。すっかり上級国民のためのメニューになってから見かけることさえなくなっていた。
「なるほど。君には頭がさがるよ」
キューハチの言うことも もっともだった。植物も生き物。水が多すぎてもだめ。足りなくてもだめ。栄養を補充してやらねばいけないし、かといって多すぎても枯れてしまう。それにたっぷりと日の光をあたえなければいけない。どこでも育つわけではないのだ。言われてみればあたりまえ。だが頭のどこかで放っておいても育つものと過信していた。さすがは地上の王者ティラノサウルスの末裔。鳥類で最も知能の高いカラス。そのなかでも特別知能を発達させられたキューハチなだけあって鋭い。
キューハチは対等という言葉を理解しなかった。この利口な鳥を生みだした機関はカラスから人間へと一方的に忠誠させるよう教育していた。
「つまりだな、俺はキューハチを尊敬するし、キューハチも俺の良い所を見つけて尊敬する。たがいに尊敬するんだ。わかるか」
キューハチはわからないを意味する首を傾げる仕草をした。
「まあ、要するに俺たちは友達なんだよ。友達もわからない? じゃあ兄弟さ。研究所に兄弟がいただろう」
くちばしが叩いた画面にはこう記されていた。ツツカレル。アオラレル。エサトラレル。その他にいくつか虐めを連想させる言葉が現れた。
「ああ。わかるよ。わかるさ。俺もこんな時代になる前によくパワハラされてた。俺はキューハチを虐めない。俺は忠誠を誓わせないし虐めもしない。君がどこかへ行きたければそうさせるし、君がここに居たければそうさせる。それだけさ」
キューハチの助言にしたがってアトリウムの農作業を根本からみなおす。鳥の住むエリアと畑を分離し、植物がそだつのに必要な光を窓明かりではなくタイマー付きの専用の照明にした。
雷鳴に起こされた。音がうるさい壁掛け時計の針は深夜2時をさしていた。またあの夢。身体から流れる生暖かい血。おちるときの浮遊感と相反するG。関係ない人をまきこんでしまったという罪悪感。ベッドの上に鉄のような血の匂いが漂っていた。しかし意識がはっきりするにつれそれが錯覚だと気づく。いまとなっては生死なんてものはまったく意味がない。それは理解している。宇宙はそんな些末なことなど気にせず運営される。それでも本能が死を恐れている。その本能でさえただのアルゴリズムにすぎないのだが。やっかいなことに このくりかえし見る夢に新宿駅での記憶が結びついてしまった。別のホームから中央線を待つ乗客を見つめる。人や電車が幾度も視界をさえぎった。ふりむくと公安2人が悪びれもせずこちらを監視している。そういえばあの夜も雷が鳴っていた。
午前中の土砂降りが嘘のようにやんだ。東の空に虹がかかっていた。男はひさしぶりにパークタワーの最上階にあがってみることにした。エレベーターならあっというまだが階段だときつい。28階で休憩して缶詰を食べる。ホテル客室のある階まであがるとベッドで仮眠をとった。起床後また最上階を目指してのぼりつづける。到着するとちょうど西の稜線に陽が沈むところだった。まだ電気を消しきっていない場所を除いて関東一円は闇に浸っている。紫の空に火星が浮かぶ。流れ星か。いや軌道からいけば人工衛星か宇宙ステーションかもしれない。ふと疑問におもう。もし宇宙ステーションで復活したらどうなるのだろう。自力で生きていける期間は限られている。地上とちがい努力だけではどうすることもできないな。そうこうしているうちにも東から西へと音もなく夜が満ちていった。
それを探すのにずいぶんと苦労をした。ようやく見つけたのは映画撮影スタジオの倉庫のなかだった。男の部屋に設置された薪ストーブは湯を沸かしたり調理をしたりできるのでそのぶんプロパンガスの消費がへった。さっそく冬にそなえて薪の備蓄をはじめる。最初は都内の雑木林に落ちていた枝をあつめ、次に倒木をチェーンソーで小分けした。なれてくると大木の伐採にも挑戦した。だがそれもホームセンターやキャンプ用品店で質の高い木炭が手に入ることに気付くと意味のない作業になった。その後さらに千葉の工場のことを思い出してついに石炭を手にいれた。
冬支度はつづく。ベンチコートと雪かき用スコップとソリを入手し、サイズのちがうスタッドレスタイヤを駐車場にならべる。
大漁の日には鯵や鰯を干物もしくはスモークに。変電所めぐりのときに発見した農家の野菜も漬物にして長期保存に耐えられるように。そうやってあれやこれやと準備しているうちに木枯らしが頬を突つくようになった。
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