ONE WAY TRIP
わずかではあるものの育てていた農作物が実った。明日収穫しよう。そう決めた日の深夜に台風がきた。台風は1度では許してくれず連続で日本列島を舐めまわした。街に散乱したゴミは一掃され、渋谷川では激流が川底を洗った。街がきれいになるのは歓迎するが一方で叩きつける雨と風は育ててきた植物をなぎ倒してこれまでの努力を無駄にした。パークタワー周辺に並んだ風車と太陽電池はいくつも飛ばされて雨が侵入してショートしてスクラップになった。外に出られない日がつづき、ストックしていた食料がさみしくなった。のこりは乾パンと氷砂糖と雨水。時間だけはあったので気象庁のコンピュータに直接はいって気象衛星との交信を試みた。衛星の送ってくる画像によるとまた次の台風が北上してくる。名前を付ける暇もない。やっと雲の怒りが収まると秋晴れに野鳥の声が弾んだ。そして中央公園の農作物は全滅した。
新しい小川はさらに深く溝をえぐって たくましい川に成長した。流れの途中には小さな滝のような段差がいくつもできていた。おかげでパークタワーから外に出ると爽やかなせせらぎが聞こえるようになった。
男のピックアップトラックは いくつも擦り傷をつくり、あちこちをへこませて、幾度も悪路にパンクした。その都度修理と改造をしたせいでもう原型はなかった。
ガソリンをもとめて中野区まで足をのばしたときのことだ。新宿、渋谷ではすっかり見かけなくなった大型書店を発見して店内に吸いこまれた。絨毯が柔らかい。こだわりがあるのかクリスマスソングではなく流れているのはジャズだった。店内のすみにカフェがある。N・Yのバーンズ&ノーブルとスターバックスコーヒーが手をむすんで以来 日本でも定着した書店のなかのカフェ。男はひと目でその場所を気にいった。本気でパークタワーから引越そうかと悩んだほどに。その夜は日頃のタスクを忘れて書店で明け方まで過ごした。地階のスーパーから食べられそうな物を探してカフェで調理しコーヒーを淹れる。腹ごしらえをすませると目的もなく店内をうろつく。雑誌コーナー、児童書、コミック、小説、実用書、ビジネス書、気になった本をかたっぱしにつまみ食いした。バックヤードで発売前の雑誌を漁る。まもなく棚に並べられるはずだったのに永遠にその機会を逃してしまった悲しい書籍たち。残念なのは言論統制の影響で役にたちそうなものが少なかったことだ。こんな時代は古い本に限る。そう。新刊ではなくもっと昔の本がある場所を探せば。男の指が顎から離れた。
図書館探索は正解だった。日に日に減ってゆくインターネットのサイトとくらべて消滅するまでの期間がながい貴重な情報源。男は必要と思えるありとあらゆる書籍を図書館からパークタワーへと移動させた。気象、キャンプ指南、兵士のサバイバル術、医療、東京の野草、DIY、フィッシング、ロープワーク、料理、家庭菜園、自動車整備、化学、天文学、物理、数学、電気工学、ロボット工学、土木、生物。たちまち書庫はかび臭い書籍でいっぱいになった。
こわれた太陽電池や風力発電機を入れ替えようと世田谷区まで足をのばした。6輪のピックアップトラックは幹線道路沿いのモーターサイクルショップを横切り100メートル過ぎたところでブレーキランプを灯した。1時間後には店のショーウィンドウに太陽電池が置かれて、荷台には中古のハーレーダビットソンが積まれていた。収穫がゼロであったにも関わらず男は上機嫌だ。こうしてサバイバル生活にそぐわないバイクがパークタワーの車列に加わった。暇ができると男は工具を引っ張り出してこれに手を加えた。表面を艶無しの黒に塗りかえ、所々に銀色のパーツを取り込んでいく。メタルのグリップ。マフラーも鏡みたいに光っている。初速の馬力を上げ、最高速度もスムーズに出るように調整した。シートを替えてリアの泥除けも短い物に交換。男はバイクに関する知識が皆無だったので彼の作ったハーレーはカフェレーサーにもマッシブにも見える統一感のないものとなった。しかしそのでたらめさが良い。彼はこれをエレガンス・ハードボイルドと名付けた。問題があるとすれば走る場所がないことだ。車道は雑草と転がった瓦礫で2輪には不向き。いまさらカワサキのオフロードにしておけば良かったと後悔する。彼の玩具は永遠に公道を走れない。せいぜい柱だらけの駐車場で弧を描くのが精一杯。
モーターサイクルショップに置き去りにした太陽電池を回収しようとふたたび世田谷にむかった。あえて遠まわりして各戸の電源を落としていく。すると住宅地のなかに忽然と市民農園があらわれた。食べられそうなものはなかったものの距離がちかければこちらで農業をやりたいくらいきれいに整備されていた。農地とはこういうものか。それに比べて自分の畑はなんとでたらめなのだろう。農園の一角で椎茸の原木を発見した。早速もちかえり あたらしい小川のほとりに小屋を建てて保管した。椎茸は野草や白身魚と一緒に油で揚げると美味だった。
その日 男は普段しているタスクを休んでパークタワーの外にデッキチェアを置いた。復活後初めての休日。蚊取り線香の煙は風にみだされることなく大気圏外にむかって上昇していた。カッコウのさえずりが眠りを誘う。頭上を小さな雲が通過した。とても速く。大きな弧を描いて。寝ぼけているのか。雲だと思ったら鳥だった。フクロウの子供だろうか。それにしてはスリムだ。真白でホトトギスよりは大きく鳩よりは小さい。鳥類。7000万年前に大地の覇者として君臨していた恐竜の末裔。気高き空の支配者。上野動物園の鷲はあたらしい生態系の頂点に立てただろうか。それとも新秩序にコミットメントできず土に還ったか。
地球の生物は発生以来おもに2つの事案を克服することで覇権争いをしてきた。1つは重力にいかにして抗うか。太古の水生生物は浮力の効かない地上で重力に耐えるためヒレを太い足に進化させた。最初は水辺に。やがて乾いた土地へ。木に登り崖に登り、より高い場所へと生活拠点をひろげていった。なかでも爬虫類はさらに活動範囲をひろげようと遂に前足を翼に変えた。奴らは人間が誕生する前からずっと王者だった。一方覇権争いの王者と比べるとあまりに非力だった哺乳類は感情や知能やコミュニケーション能力といった眼には見えないものを進化させることでサバイブした。他の生物が遺伝子のみの情報伝達に頼らざるをえないのに対し哺乳類と鳥類の一部は親と子の直接的なコミュニケーションをすることにより複雑な情報を子孫に残すことに成功した。やがて哺乳類のカテゴリに属するヒトは言葉を発明した。人類はより複雑な情報を2世代以上にわたって伝達していくことに成功。そして言葉は音のみでなく視覚的に訴える文字を生み出して時間と空間を超越してしまう。こうして人類は膨大かつ複雑な情報を時空を超えて正確に伝達するに至った。人類の進撃はまだまだ続く。文字は印刷技術を生み、印刷技術は間もなく機械化され情報伝達は飛躍的に高速かつ広範囲となる。そしてインターネットの登場。いよいよ情報量は膨大なものとなりスピードも格段にあげられた。人は己の脳の容量を超える情報をコンピュータに蓄え社会は記憶力優勢から検索力優勢へと変遷した。長らく爬虫類の直系である鳥類にその覇権を譲ってきた空でさえ遅ればせながらライト兄弟が技術力で克服し、ジェット機が乗客を乗せて飛び、遂に鳥類でさえなしえなかった大気圏外にまで活動範囲をひろげた。一方で脳の進化は技術や論理性のみではなく感情や愛情といったものまでより鋭敏に研ぎ澄ませていった。これも恐竜が絶滅したからこそ。いや待て。数でいえば昆虫も無視できない。人類が天下を取った気でいたほんのわずかな時代でさえ虫の方が圧倒的な個体数を誇っていたのだ。そしてあの日を境に爬虫類と虫が地球の王に復権した。
かっこうのさえずりにまじってカラスのガラガラ声が聞こえてくる。また農園を荒らしにきたのか。いにしえの覇者ティラノサウルスの正当なる子孫。鳥類のなかでもずば抜けて知能のたかいカラス。デッキチェアの隣に置かれたテーブルに先程の白い鳥がとまった。鳥はコーヒーカップに興味を示すことなく隣のタブレットをクチバシでつついた。こつこつ。手で払うがまたタブレットのそばに降りてきて画面をクチバシで叩く。身体をおこして威嚇したが鳥は空中を一回りするとまたもどってきた。そして男の眼を見てカラスみたいに鳴いた。鳩や野鳥ではない。アルビノのカラスだ。だがカラスにしても普通じゃない。小ぶりでカラスよりもやや丸い。例えるなら大きいシマエナガ。
「触るな」
払いのけた手でタブレットを引きよせたが、画面を見て言葉を失った。テキストファイルが立ちあげられていて文字が打たれていた。HELLO.男の指先が無意識に顎にふれた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます