死にゆく街で
人類が滅亡する以前の話だ。男は国民の大半が所属している与党の党員になることを頑なに拒んでいた。また反対派のガス抜きのためにある似非野党の入党にも応じなかった。
彼は彼を擁護しようとした人たちの主張するような政治に無関心な人間ではない。むしろ脆弱ではあったもののまだ民主主義らしきものが機能していた時代には東京第7区選出 衆議院議員が催す国政報告会に足しげくかよっていた。ただ当時からいくら勧誘されても党員になることは断りつづけ、集会の席の老人たちと意見交換することもなかった。会場に来ると黙って端の会議テーブルの前にすわってノートに話をまとめ、帰り際に少額の寄付をする。それだけ。あまりに頑なだった為に対立候補のスパイではないかと疑われたほどである。
政党だけではない。彼はどの宗教にも入信せず、いかなる団体組織にも所属しようとはしなかった。職場でもどの派閥にもはいらず、群れず、わるくいえば孤立していた。その癖 上司や同僚からの信頼は厚く、陰口を叩く新参者がいようものならあの人はあれでいいのだと諫めらるほどだった。人嫌いなのだろうか。いやちがう。むしろ人や社会に強い関心をもっていた。でなければ同調圧力に負けて与党万歳と両手を挙げていたはずだ。
彼に言わせれば群れること、それ自体が悪。
ところがやっかいなことに日本人は群れるのを好む。善悪よりも帰属意識を重んじる。不安から逃れられるから。彼らが最も気にするのが立場や序列。立場、序列とはストレートに表現すれば身分である。彼らは初対面の相手に対してどちらが上か下かをまずは気にする。それがあきらかになってはじめて安心する。良好な人間関係の第一歩だ。言いかえれば誰もがあたえられた役を演じる役者であり、役が決まらぬうちは落ちつかない。だから2人以上あつまると順位付けせずにいられない。序列こそが秩序。身分こそが正義。彼らは階級社会という温かい毛布から外にでられない。
漣だってあたえられた役を演じているほうが楽なことくらい知っている。盲目的に周囲に染まれば不安から目を逸らせることができるということも。それでも自分を偽らずに生きるほうを彼はえらぶ。人とまじわれば相容れない価値観を強いられる。だったら独りのほうがいい。仲間はいたほうがいいにちがいないが、そもそも相手の価値観を否定するような人物を仲間と呼べるのか。
どうしても組織に属さなければいけないとき。そういう場面では男は目的という言葉を意識した。政治ならその政治家がなにを目的としているのか。金、名誉、影響力。そういったものを欲してだましているのか。それとも理想の世界を実現したいと遠くを見つめているのか。そしてその理想の世界とは。あるいは企業ならその会社はなにを世に提供することで利益を得ようとしているのか。仮にその会社に属するとして己の目的と擦りあわせができるか。労働もしくは技能やサービスや生産物を提供することで賃金を得るために属するのか。そこで働くことによってなにかを学ぼうとするのか。
役を与えられないと落ち着かない人々。目的が見えてこないと落ちつかない男。
上下関係なんて足枷にすぎない。いかなる相手であっても対等が望ましい。しかしそれはただの理想論ではないか。男の回答は明快だ。たがいに尊敬し謙虚さを忘れなければ可能だ。かつて男とおなじ価値観を持って実践していた政治家がいた。その代議士には癖があった。返答に困ると顎に触れるのだ。
彼の妻は日頃からそんな夫を理解してやろうとつとめていた。夫は周囲が陰口たたくような莫迦とか愚鈍とかではない。彼は彼独自の価値観にしたがって生きているのだと。実のところ彼女の心の奥底にも夫に似た価値観の芽はあった。だからこそ籍を入れたのだ。ただ彼女のほうが現実に則した生きかたをしていたのも事実。妻の考えはこうだ。理想はそうなのかもしれない。でも益々風当たりが強くなる時代に やみくもに反発するのは不利益しか生まない。別な側面から見ると彼女は己の無力さを知っていたともいえる。彼女から見れば夫は無謀というか非現実的なのだ。それでも所帯を持ち続けたのは彼女もまた希望を捨て切れずにいたからである。だが時代は容赦しなかった。
ファシズムだとか全体主義だとかいったものは歴史の教科書にでてくる昔話だと思っていた。まさか現代に復活するなんて。男は己の鈍感さを後悔した。独裁主義はかつてナチスがそうであったように民主主義の仮面を被って近づいてきた。最初の独裁政権は公正な選挙で選ばれた。人々が何かおかしいと気づいた時には異論はおしつぶされノイジーマイノリティとして嘲笑されるようになっていた。
日本は百年以上にわたって おもてむきの民主主義と、根深い身分制度を混在させてきた。本音と建て前。裏と表。それでも、どの時代であっても己の頭で思考する者たちが必ずいた。かれらは道なかばで倒れ、その手からこぼれおちた道標をまた誰かが拾い、歩きだすという絶望的なハイキングを1000万回くりかえした。そうしてすこしずつ本物の民主主義を獲得していった。
しかし一方で独裁主義、全体主義を心地よいと感じる者もいた。かれらは靴底で人の自尊心を踏みつけてあるいていた。今回かれらがもちいた手法は暴力でも軍事力でもなくコミュニケーションだった。コミュニケーションと呼ばれる呪いは上の者にも下の者にも等しく拡散され、その様はまるでゾンビが増殖するようであった。一度独裁政権が誕生してしまうと取り巻きの横暴は歯止めが効かなくなった。なんせ責任ゼロで権限は無限大。責任と権限のバランスが崩れると人は容易に暴走するということを証明しているようだった。
社会はうねりながらでしか前にすすめない。すぐそばに理想が横たわっていても手をのばすことが許されない。もっともこの長きにわたるゲームも予告なく強制終了されてしまったのだが。
復活後 はじめて遠出を試みた。かねてより行きたかった山梨まで100キロ。せっかくなのでバイクを調達してそれで行ってみたかったが、東京以上に道が荒れていることが予想されたので、いつものようにピックアップトラックに荷物を積んだ。いざ出発というタイミングで大粒の雨が降りはじめた。バイクじゃなくて良かったと胸をなでおろす。気象庁のサイトを開いてみるとまだ生きていた。しかし予報は12月25日のまま。あきらめて閉じかけた時、気象衛星からの画像がリアルタイムで更新されていることに気がついた。気象予報士じゃなくても一目瞭然。台風の目が日本列島を睨んでいた。季節はずれの台風がやってくる。山梨行きは延期。それから4日ほど激しい風雨がつづいた。雨はビルを黒く濡らしてわずかなコンクリートのひび割れから壁の奥へと侵入した。そうやって中の鉄筋を錆びつかせて内部からの崩壊をうながす。建物の淘汰は着実にすすんでいた。人工物が時間に抗うことは不可能。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます