国会議事堂
かつては国際空港を彷彿とさせる厳重な警戒態勢だったエントランス。そこを易々と通る。せっかくきたのだから先に国会議員会館を見ておきたかった。いつもの癖でまずは配電盤をさがそうとするが途中で気が変わってエレベーターを利用することにした。エレベーターホールに繋がる広いラウンジを歩きながら雰囲気が変わったなと記憶をたどる。歴史を感じさせる国会議事堂とは対照的に道路の反対側にならぶ議員会館は最先端のオフィスビルといった印象だった。かつては。それがいまでは壁が煤けて床にゴミが散乱している。テラスのようなガラスの壁をまるで太陽を嫌うかのように横断幕が覆っている。その言葉の1つひとつがどことなくカルトを想起させ身震いする。前回この建物をおとずれたのは民主主義に暗雲が立ち込めていたのを国民の多くが邪推と笑っていた時代だった。当時東京第7区選出の野党議員だった人物は内閣の暴走を食い止めんと日々奔走していた。その一環として国会の状態を生で見てもらおうと代議士は支持者たちを国会記者席に幾度も招待した。男も足を運び国会が機能していないことを目の当たりにした。ふてぶてしくヤジを飛ばす大臣。慇懃無礼な委員長。冷酷な表情の官僚。まるで学級崩壊。
ブーツの爪先が空缶にあたった。ころがったさきに巨大な首相の肖像画が掛けてある。服飾店で見たものとおなじだ。しかし大きさがちがう。まるでちがう。壁いっぱいの肖像画。おもわず絵を照らしているライトのコードを引きぬいた。ささやかな抵抗。いやもう抵抗ではない。決着はもう ついている。
目的の部屋は7階と記憶していた。しかし到着した部屋にはちがう名札が掛かっていた。議員会館はどの階もどの部屋もそっくりにできていて迷いやすい。部屋をまちがえたか。1階にもどってフロア案内を確認する。名前が見つからない。別の棟かもしれない。だがほかの棟をさがしても代議士の名前は見当たらなかった。狛江と工事現場の往復のみという毎日を繰り返しているあいだに内閣にとって都合のわるい政党がすべて排除されてしまったことを漣は知らなかった。
男がニュースを見ることができた時代には すでに印象操作によって野党は国民のサンドバッグになっていた。与党が犯した罪は野党の責任にすり替わり、野党が国民のためにと血の滲む思いでとおした政策は与党の手柄として喧伝された。
漣は東京都選挙区第7区選出の野党議員に寄付していたことから親衛隊に目をつけられ、ある日 見せしめとして別件逮捕された。他者との関係が希薄だったせいで親衛隊からすれば生贄にもってこいの存在といえた。職場を追われ、離婚し、事実上の強制労働を強いられ、住まいを狛江の共同住宅に彼は移した。それ以来まともな情報が流されたことはない。国政選挙の告知でさえも。尊敬する議員が落選していたことを漣はいまだ知らない。
腑におちない部屋さがしを諦めて男は本題である国会議事堂にむかうべく道路を渡った。
記者もカメラマンもいない。制服の警備員も立っていない。スーツに身を包んだ官僚も秘書も歩いていない。政治家、いや選挙屋もどこにも見当たらない。そんな無音の議事堂内をひとり歩いてゆく。議員会館の時とおなじく議事堂のなかは雑然として不潔だった。紙コップからこぼれた飲物の跡が赤い絨毯にシミをつけている。そのシミの隣には煙草の焦げ跡。閉会中だったのか どの建物でも見られる衣服の抜け殻が見当たらない。まるで廃墟だ。政治が腐れば議事堂もほころぶのだろうか。迷路を歩くように通路を上へ下へと進んでゆく。目的地は本会議場。きっとまっすぐ行ける近道もあるのだろう。だが一般人の彼には過去の記憶にたよる以外本会議場にいく術がない。空調がうごいていないのか奥に進むほど空気が悪くなっていく。こちらの道で正しかっただろうかと不安を抱いたタイミングで視界が開けた。本会議場だ。
かつて議長がすわっていた席にはスーパーコンピュータの端末が鎮座している。そばによって電源が生きていることを確認し適当にマイクにむかって指示をだしてみた。反応なし。黄ばんだモニタを覗く。想像通りだ。初期化されたのとおなじ状態。ハードは残されているがソフトのほうは消滅しているのだ。これでひとつ解決された。男の考えをまとめるとこうなる。全哺乳類絶滅以前〝連中〟は人工知能に任意の線引きをしてフォルダ分けしていた。知能の高いグループは人間と同じフォルダに、低いグループは別のフォルダに。人間と同等もしくはそれ以上の知能を有したソフトはあの日 哺乳類と運命を共にした。つまり消滅し、ハードはそれを受けて機能を停止させた。交通管理システムもおそらく。一方電気供給システムはそこまで知能が高くないのだろう。だから現在も機能している。〝連中〟には細かく分類してファイリングする癖がある。誰かさんと一緒だ。だが導きだされたこの答えは同時に新たな疑問を浮かばせてしまう。人間や動物は物理的に消失してしまったがAIのハードはなぜ残ったのだろう。国会の議長席に鎮座する端末もデパートの売場に並んでいた人型ロボットも自動車もその姿は残されている。逆に言えば人間や動物だって姿は残って意識だけが無くなったり脳だけが消えたりしてもよかったのではないか。もちろんそんな世界に投入されたらこっちはやっていられないが。
コンピュータの相手をやめて会議場を見渡した。神聖な場所だったはずのここにも政治家や事務次官、秘書にいたるまで礼賛横断幕が掲げられている。あらためて国会メインAIが消滅してくれてよかったと思う。時の政権が都合の良いデータばかり入力してすっかり狂ってしまっていたのは想像に難くない。そんなものが人のいない世界に君臨すればそれはもうマシンが支配する独裁国家。洗脳は人ばかりとは限らない。むしろ人工知能のほうが素直なだけ時間が掛からない。いかなる物も使う人間しだいで便利な道具にもなれば凶器にもなる。目的は果たした。結論。高度な人工知能は人と一緒に消滅した。日没までにはまだ時間がある。せっかくだから来た道と別の道を歩いてみよう。きっともっと簡単に外に出られる通路があるはずだ。不穏な空気を肌で感じるもののたぶん独裁政権の残り香だろうと勇気を奮い立たせる。
「さあ。探検ごっこをはじめよう」
異臭にみまわれたのは区別のつかない似たような回廊にまどわされて迷子になっていたときだった。臭いのもとはすぐに判明した。1つの部屋のドアが開いていた。視界の隅に入った瞬間こみあげてきた吐き気を一心におさえる。男より先に復活した人間でまちがいない。死体とはいえ人類滅亡後 初めて出会った人物だった。天井から吊るされたそいつの襟に議員バッチが光っていた。国会議員という肩書がそいつの心の拠り所だったのだろう。だから死に場所にえらんだ。国を引っぱるようなアピールだけは巧いがその実 誰よりも依存心の強い輩。孤独に耐えきれずに自ら命を絶ってしまったのだろう。焼いてしまおうかと火の元となりそうな物を眼で探してみたが二度と国会には足を運ばないだろうと結局そのまま放置することにした。議事堂それ自体が奴の棺だ。本望ではないか。
男はその帰り家電量販店に寄り道してラジオと新しいタブレットを入手した。タブレットには知る限りのSNSをダウンロードして誰かが発進してくるのに備えた。その気になれば〝連中〟はいつだって人間を復活させられる。
国会議事堂を訪れて以来、男は時々パークタワー最上階に昇って関東一円を監視するようになった。時折火災が発生して煙があがる。しかし火は広がらずにたいていは3日で鎮火した。もともと関東は湿気が多い。そのうえ燃えやすい人工物を覆うようにして植物が生い茂っている。
富士山の方角は見ないようにした。胸が潰されそうになるから。また一度だけ空に浮かぶ大きな翼を目撃したことがあった。あの時の鷲かどうかは判別できなかったが その雄々しい姿に勇気をもらえた気がした。
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