活動開始
新宿パークタワーは1つの建物のなかにホテル、オフィス、商業スペースがあり、それぞれエリアごとにわかれて共存していた。このなかで住むのに最も適しているとおもわれるホテルパークハイアット東京は39階より上に位置している。最初の1週間だけはスイートルームで寝た。日中は食料調達に精をだし、日が暮れるとおなじパークタワー3階のフロアの片づけをした。スイートで寝るためにエレベーターを利用するのは葛藤だ。孤独な世界で突然停電に見舞われたらと想像すると見悶えする。まるで棺桶に足をいれる気分だ。いちど中におさまってしまうと数字が変化していくのをじっとみまもり、扉がひらいて外に出るとほっと胸をなでおろす。このようなリスクを背負ってでもパークハイアット東京のスイートでの生活は価値あるものだった。なんせピアノから専用の書棚まで用意されているのだ。安全が保障されていたならば一生そこで過ごしていたかった。そう男はおもうのだ。
ホテルエリアは39階よりも上にあったためサバイバルにはむいていなかった。漣は家具や雑貨あるいは建材などが販売されている3階フロアを拠点にすることに決めた。まずはエレベーターホールを仮設キャンプと位置づけ そこからはじめた。フロアにある物を別の場所に移動してスペースを確保し、きれいに掃除をしたあとで集めたキャンプ道具をならべた。なんとかそこで寝泊まりできそうな状態までもっていくと、記念にとスイートの書棚から3冊頂戴して部屋に感謝とわかれの言葉をつげた。洗練された優雅さと底冷えした不安とがいりまじった暮らしもここで終わり。明日からは仮設キャンプで生活しながら おなじ階のオフィスを改築していく生活となる。いくつもある事務所のなかで選んだのは結局あのスイートとおなじ広さの空間だった。
目覚ましのベルをとめる。寝袋のファスナーをひらいて上半身をだるそうにおこした。スイートのやわらかいベッドが忘れられない。病院のかたいベッドでの七転八倒も忘れらない。
キャンプ用のストーブで火をおこしてインスタントコーヒーを温める。食料のストックが残っていたので少量を口に運び、空腹がみたされないまま駐車場へと降りた。トラックのハンドルをにぎり、原始人がしていたような食料調達に明け暮れる1日を今日もはじめる。
食料調達にいそしみながらも男は行く先々で変わりゆく世界を眺めた。ほんのわずかな期間で東京は緑に覆いつくされてしまった。また戦争が起きたわけでも大災害が起こったわけでも疫病が流行ったわけでもなく突如 人類が消えてしまったせいで、いたるところで人が残した弊害が生じていた。はいった建物が水浸しならば水道の元栓をさがす。暖房がついていて部屋が暑ければさがして消す。気力があれば照明も消す。そんなことのくりかえし。いったい いつまで電気が使用できる状態が続くのだろうか。都内だけでどれだけの数の水道が出しっぱなしになり、どれだけの数の暖房が稼働していて、どれだけの数の照明がつきっぱなしなのだろう。工場の機械は。化学薬品の流出は。かんがえただけでもパニックだ。いまは見て見ぬふりをするしかない。できることしかやれない。
パークタワーに帰ってくるとその日の収穫物を地下レストランの厨房で調理した。缶詰、食べられそうな冷凍食材、乾物。中華にしたりイタリアンにしたり和食にしたり、ときにはカレーにしたり。そうやって生きるのに不可欠な食料や水の調達を優先させつつ、日が暮れるとオフィスだったスペースの片づけをする。エレベーターホールのときとおなじように不要なものを別の場所に移動させて汚れた壁や床を掃除する。箒、ちりとり、モップ、雑巾。強制労働させられていたときに馴染んだ動作。人生なにが役にたつかわからない。理想としてはすべて取り払って空っぽにしてしまう。それからスイートを参考にしてリフォームしてゆく。作業は淡々とおこなわれた。そして男はこうした孤独な時間をむしろ楽しんでいた。
手帳に記された項目の2つめ、水。さいわい蛇口をひねれば水が出る。贅沢なことにパークタワーではお湯まで出る。むしろ行く先々で水道の出しっぱなしを止めなければいけないことにうんざりだった。それでも漣は安堵することなく来るべき日に備えてポリタンクを集めた。また食料調達のあいまに渋谷区内に残る井戸を巡ったりもした。さらには賞味期限の切れた飲料水を蒸留するという実験もおこなった。手間と時間は掛かるものの これがもっとも安全な水分補給の方法であった。雨や雪や海水でも応用できるのが利点だ。いつ水道が止まるか予測がつかない。明日かもしれない。できることはやる。
それは梅雨の切れ間の午後のことだった。漣は恵比寿にある井戸のポンプを上に下にと力まかせに動かしていた。どこからかカラスの鳴き声が聞こえてきた。見あげると電線に1羽。目が合った。考えてみればあたりまえなのだが地上に残ったのは漣と爬虫類と両生類と昆虫とバクテリアだけではなかった。鳥類もまた絶滅をまぬがれていたのだ。しかしその時まで彼は鳥の存在を忘れていた。耳をすませば野鳥のさえずりさえ聞こえてくるというのに。カラスは男を観察しているつもりが逆に見つめられていることに不安をいだき、やがて準備運動みたいな羽ばたきをしてからすっと青空に舞った。手元から注意が削がれていたせいで男はカーゴパンツを濡らした。
項目の3つめ。食料。こちらはおおきく2つのカテゴリに分けられる。1つは当面スーパーやコンビニなどで手にはいるもの。もう1つは時間をかけて自給していくもの。すぐ手にはいるものはビーフジャーキーやナッツ類などのドライフード、缶詰、塩や砂糖などの調味料、ビスケットなどの日持ちする食品など。また保存状態がよければ米、チーズ、真空パックにはいった食料品なども数年間は食べられそうだった。シリアルも悪くないが牛乳が恋しくなるのが難点。アルコールはいくらでも手にはいる。しかし深酒をして現実逃避している暇はない。利用するにしてもせいぜい料理につかう程度にした。また多少リスキーではあったが保存状態が良好なら冷凍された肉や魚や野菜も手にいれた。以上の食料品とは別にサプリメントも大量に入手して、のちに倉庫となる部屋に保管しておいた。
食料調達する場所はスーパーやレストランだけでなく地下鉄駅や役所もだった。これら公共施設には災害にそなえて乾パンや氷砂糖などが備蓄されていることがある。こうした非常食を手にいれるために漣は手当たりしだいにドアのカギを壊した。また非常食の製造年月日をたしかめているうちにおもしろいことがわかった。人類絶滅直前まで政権を担っていた政党の時代と、別の政党が与党をしていた時代とでは備蓄量に差があるのだ。最後の、かつ最悪の内閣はあきらかに備蓄量を減らしていた。こんなところまで予算を削って、代わりに選ばれし1000家族に金を集中させていたのかとおもうと今更ながらあきれてしまう。
日ごと食材の種類が限定されていくいっぽうで調味料のほうはむしろ恵まれたものになっていった。塩、胡椒、砂糖、酢、唐辛子、味噌、醤油、みりん、酒、オリーブオイル、ゴマ油、ローレルの葉、粉わさび、その他ターメリックをはじめとした世界中の香辛料。ありきたりな食材でも目先を変えて料理をすればれば飽きずにすむ。不思議なもので調味料の数が増えていくにしたがって食料確保についての不安までもが薄れていった。
こうして人類の遺産を存分に活用していくいっぽうで男はあらたな食材をも開拓していった。生きているサイトを検索してキャンプに関する知識を学んでいたのがきっかけだった。道端の草が食べられるとは盲点だった。都会の生活になれてしまうと ついわすれがちだが東京にはたべられる野草があちこちにはえている。そして人がいなくなった今それらは口にするには耐えられないほどの汚れかたはしていない。おまけに人がいた頃よりもずっと元気に繁殖している。冬になると入手が困難という不安材料と灰汁が強いのをのぞけば野草は最強の栄養源といっても過言ではなかった。
食べものをさがすということがなによりも優先されるというひっ迫感が薄れるにしたがい、男はオフィスの改築のほうにより多くの時間をさくようになっていった。フロアにあった備品はすべて隣のビルの駐車場まで運んで片づけてしい、空いたスペースに大量の資材と工具が運びいれた。本格的に作業をはじめると服はあっという間に埃だらけになった。そして漣はかるい喘息を患った。そこで一旦作業をやめて急遽マスクと専用の作業着を調達することとなった。かくして手帳に書かれた4項目め、衣服のカテゴリに『作業服その他』が追加された。さいわいパークタワーの裏手には専門店の万年屋があった。同じ労働者でも漣のような下等認定者用国民服ではなく一般労働者向けの機能性の高い作業着だ。サイズだけじゃなく色やデザインだって選ぶことが許されている。
改築の第1歩めはアトリウムに面した壁に直径15センチの穴を開けることだった。くる日もくる日もコンクリートの壁にドリルを押しつける。できた穴はイメージしていたようなきれいな丸ではなくダイナマイトで破壊したみたいにいびつなものだった。それでもこれで機能しているかわからない空調設備にたよることなく換気ができる。密閉されたビルのなかでは意外に命綱だ。
つづいて天井の板を抜いていく。大量の埃で頭の上からつま先まで真白だ。これ以降はゴーグルも必需品として手帳に記されることになった。
天井裏をきれいに掃除して配線をまとめる。この段階になって空調の管がどうにも邪魔なことに気がついた。固定されていて取りはずしがきかない。どうごまかしても不格好なのだ。こんなことなら天井を抜かなければよかったと後悔したがもうあとにはひけない。
空調の件はいったんあきらめて天井全体に白いペンキを塗った。こんどはペンキが足りない。新たに調達したものはなぜか微妙に色がちがっていた。どうやら白にも色々な白があるらしい。それでもなんとか見栄えを整えて壁の工事に移ろうとしたところでうんともすんともいわなかったダクトが突然床に落ちた。あと1センチの差で頭の上に落ちてぺしゃんこにされるところだった。
壁に漆喰を塗るのは想像していたよりずっとむずかしい作業だった。厚く塗りすぎて剥がれたり反対に薄すぎたりした。そのうちに妥協してムラがあるのは個性だと良い方向に考えるようにした。そうやって塗り終えることだけに集中した。ところが残り 幅にして1メートルというところにきて急にコツがつかめてきた。結局すべて剥がしてもういちど最初から塗りなおすことにした。
床に敷く木材はことごとく長さと厚さが異なっていた。男は根気よくおおきさを調整してはならべた。木材は夜になると湿気を吸ってキュッキュッと鳴った。まるで誰もいない世界で迷子の哺乳類が鳴いているようだった。
こうして食料調達にいそしむかたわら男の砦は着々と造られていった。そしてここでも皮肉なことに強制労働の経験がおおいに役立っていた。
手帳に書かれた5つめ。電機、ガス、その他代替エネルギーおよびガソリン。そして9つめに当たるインターネット。こうしたインフラのうち最初に利用できなくなったのは都市ガスだった。原因は大きな地震。おそらく震度4か5くらい。ガスがつかえないのは不便だがこれは供給システムが優秀なことの裏返しでもある。ガス漏れによる二次災害を防ぐために自動的にストップしたのだ。電気と同じくかしこすぎず莫迦すぎない人工知能だったのだろう。
幸か不幸か東京ガスのオフィスはパークタワーの敷地内にあった。調査すべく改築工事を中断して関連施設に侵入する。しかし侵入したのはいいもののどこをどうしたらよいのかさっぱりわからない。熟考したすえに漣は決断した。へたに復旧させるより現状維持のほうが安全。都内各地で発生している火災をいくらかでも防げるはずだ。そうしてなにもしないまま帰ろうとしてふとプロパンガスに目がいった。引きかえして台車をもってくるとボンベを何本か積んだ。それからというもの男はガス会社をさがしてはプロパンガスを集めるという仕事を日常の作業に追加した。プロパンガスだけでなくカセット式のコンロやキャンプ用携帯ストーブの燃料などもあつめた。リスク分散のためだ。
ガスがストップして以降、漣は料理する場所をそれまでの地下レストランから3階へとかえた。このため共同トイレの手洗い場にキャンプで使う調理用ストーブが設置された。
電気もガス同様いつ供給がストップされてもおかしくない。不安を抱きながら毎日ありがたく利用させてもらう。いわゆる再生可能エネルギーと呼ばれていた風力発電、太陽光発電、波力発電、地熱発電などは独裁政権下ではないがしろにされていた。火力発電はとっくに燃やすものがなくなっているだろう。おそらくだが1つだけ電力供給がいまだに自動でされている発電所がある。
漣は外で水道を止めるのにくわえて建物のブレーカーもさがすようになった。節約はもちろんのことだが火災の危険性も考慮してのことだ。バールなど鍵を壊す工具を持ち歩き、人家だろうが公共施設だろうが手当たりしだいに侵入する。おおきな建物が1棟まるごと電気を落とされると、その夜からあたり一面が暗くなった。また照明があったほうが都合のよい場所、たとえば定期的に訪れるデパートなどでも積極的に照明を間引きした。こうして建物のどこに水道の元栓があるのか配電盤があるのか、配電盤の配列がどのようになっているのか、だいたい勘でわかるようにまで男はなっていった。東京の夜は新宿、渋谷を中心に少しずつ暗くなっていく。
原子力発電所は大気圏外で稼働させておき各国へ分配されるというのが常識であった。しかし国連脱退以降 宇宙からの電力供給が停止されていた日本政府は威信をかけて1基だけ残された古い原子力発電所を稼動させつづけていた。そしてその1基に飽きたらず あたらしい原発の開発を悲願とした。原発こそが首相の力。そんなスローガンが かつて街中を泳いでいた。だが国連の忍耐強い働きかけにより あらたな原子力発電所の建造は思うようにはすすまなかった。皮肉なことにその残された1基が男の生活を支えている。同時に国連の強い意志が男の憂いを1基分で済ませてくれてもいる。自動で供給しているとはいえ管理者がいないという恐怖。もし爆発したら哺乳類以外の生物までも生きていけなくなる。問題はその1基にいつ不具合が生じるかだ。形あるものはいつかは壊れる。男は珍しく問題を先送りにした。とてもじゃないが手に負えそうにない。
電気自動車が主流の現代においてガソリンが深刻な問題になるとは思ってもみなかった。男は毎日 精力的に自動車を運転した。そのため彼にとってガソリンは水と変わらぬ重要な物資となっていた。かつてのガソリンスタンドは電気スタンドとかEVスタンドと呼び名が変わり 昔ながらの給油機はあってもたいてい敷地のすみにおいやられていた。パークタワーから一番近い給油所はあっけなく底をつき、自然とガソリンを求めて遠くまで走るようになっていた。ガソリンを得るために無駄にガソリンを食う。まるで無能な経営者だ。同じガソリンを求める放浪にしてもロカタンスキーみたいなドライビングテクニックなら格好もつくが、こっちは手に入れて数日でバンパーをへこませてしまっている。窓外を流れる街はどこを走っても年がら年中クリスマス商戦。気温が上がろうが雨が降ろうが毎日がクリスマスイブ。あと数か月待てばメルボルンで史上初めてのホワイトクリスマスを迎えることになるだろう。記憶をたどって広尾のガソリンスタンドにむかっていた途中、高級食材を扱うスーパーマーケット明治屋の前をとおった。日本ではじめてクリスマスのディスプレイをしたといわれる店。もとは牧場だったこのあたりは東京大空襲の被害をまぬがれ、そのためもあってか比較的早くに復興した。そしてジャムで有名な明治屋がこの地でスーパーマーケットをひらいた。男がその店の前をとおったときにはおなじみの大きな七人の小人のディスプレイが色褪せてうつむいていた。仲間に加わりたいのはやまやまだがいまは生きるのにいそがしい。どちらかといえばスーパーよりも近くのホテル山王のほうに興味がわく。あそこはたしか一歩はいれば米軍基地あつかいだったはず。
台風を彷彿とさせる強い風雨の夜に大きな地震がおきた。暗闇でなにかがくずれてころがった。そのあと はるか遠くで大きな音がした。都内のどこかで建物が崩壊したようだ。あたらしいビルからくずれていく。それがこの時代。くずれたのは遠くの建物だけじゃなかった。リフォーム用に集めていた資材の山がくずれて半分が使いものにならなくなっていた。下敷きになった電動ノコギリの刃が芸術的もしくは積分の例題に出てくる図のような曲がりかたをしていた。翌朝になって様子を見ようと外に出ると笹塚方面に建っていた超高層ビルが消えていた。そして驚くべきことにパークタワーのちかくをとおる玉川上水跡の遊歩道に新たな小川がながれていた。川は初台まで遡ってもまだ上流からながれており、反対に下流はどうだろう、このまま玉川上水跡にそってまっすぐ新宿にむかっていくのだろうかと思いきやパークタワーをすぎたあたりで急激にUターンして今度は参宮橋のほうへとながれていた。そして春の小川の歌碑の前をとおって代々木公園を大きく迂回して渋谷のスクランブル交差点へとながれた。最終的には渋谷ストリーム前で滝となって渋谷川に合流している。まるで渋谷が渋谷村と呼ばれていた時代にもどったようだ。
大きな地震があってから3日後のことだった。男はリフォーム工事で埃だらけになった身体を洗おうとホテルの客室まであがった。頭から足の先まで泡だらけになる。高級ブラシの毛先は傷だらけの肌に眠りを誘う刺激をあたえる。このとき身体を洗うのと並行してバックヤードの業務用洗濯機で作業服も洗っていた。そして泡を洗い流そうと音声センサーに指示した矢先。キンという音がしたかのように突如としてシャワーヘッドから水がでなくなった。ヘッドの淵から伸びた雫をながめて泡だらけの顎をさする。照明はついているので停電はしていない。確認してみると浴室だけでなくトイレも隣の部屋も水道はストップしていた。実のところパークタワーのみならず地域一帯の水道がおなじタイミングで枯れていた。
後日、調査範囲をひろげてみると都心でもまだ水道が使える地区と使えなくなってしまった地区があることがわかった。地震との因果関係はわからないが、とにかく活動拠点となる地域が全滅したのはたしかだ。ついにこの時がきた。手帳にあたらしい日課が加わる。井戸から水を汲む。重いポリタンクを3階まで運ぶのは骨が折れる仕事だ。しかし筋トレとおもえば充実した毎日。
手帳に書かれた項目7つめ。工具や各種道具の類は用途に合わせてさらに細かく分類して記述されていった。自動車整備用、大工道具、農具、ドアこじ開け及び破壊を目的とした工具、調理器具、清掃道具等々。こうした漣の分類癖は偶然ではあるが彼がそう呼ぶ〝連中〟と似ていた。ものごとをきちんと分類してファイルせずにはいられない。たいていの学問が分類することにほとんどの時間を割いていることからすれば彼のいう〝連中〟と彼の類似点は知性ある者に共通した習性なのかもしれない。
都内探索中にホームセンターや整備工場を見つけると男は店を漁りあらゆる器具や工具を手に入れた。ドライバー、レンチ、ペンチ、かんな、さしがね、バール、メジャー、ナイフ、ボルトクリッパー、チェーンカッター、ヤスリ、トンカチ、チェーンソー、電動ノコギリ、電動ドリル、溶接用のガスバーナーとマスク、鍵穴を空けるための特殊な道具。警察署や朝霞の国防軍基地までいって流通されていないものまで手にいれた。かっぱ橋では包丁、砥石、まな板、鍋、フライパン、おたま、菜箸と やはり思いつくものを手あたりしだいに自分のものにした。農具もしかり。こうした道具類は最初こそ品質を気にしないで集めていたが 時間経過とともにしだいに入れ替わりが激しくなっていき最終的にはプロがあつかう道具ばかりが残されるようになった。また鍵開けについては男はあっというまに上達し、ダイアル式は工具なしで30秒、南京錠は一瞬で破壊、ドアノブの鍵も丁寧にやるなら時間が掛かるが壊していいなら一瞬だった。電子ロックは当初 手におえなかったがコツをつかむとこちらも数秒で開錠できるまでになった。そして泥棒のまねばかり上達する己に男は辟易としていた。
清掃用具やサニタリーも地味ながら大切な項目だった。廃墟がつらなるデストピアに暮らしていても環境に引っぱられることなく、部屋を掃除し、洗濯をし、食器を洗い、歯を磨き、顔を洗い、シャワーを浴びて身体を清潔にし、ボタンのほつれを縫いなおし、整髪して不精髭を切りそろえた。朝には清潔な服に袖をとおし、夜になると洗濯したきれいなシーツで寝た。また調達するのみでは飽きたらず生きているネットから石鹸や歯磨き粉や洗剤の作りかたを学んだ。石鹸などはさがせば新宿だけでも一生分以上はあったが それでも作りかたを記録するのは彼なりの流儀であった。
こうしたインターネットから得た情報をアナログに書き写す作業は、通常は食料調達や改築のあいまにおこなわれていたが、場合によってはこちらを優先させなければいけないこともあった。ネットは刻一刻と閲覧できなくなっている。
こうして必要なものが頭にうかぶと手帳に追加し、調達完了するとチェックを入れて日付と入手場所を記していく。孤独な世界で途方に暮れるようすもなく、入手し、破壊し、修理し、造り、逐次改善していく。ただ黙々と。そうしていそがしく毎日をすごすうちにやさしい雨音につつまれた梅雨の季節が終了した。
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