26.こっ酷く振るぜ!!

 大学病院の最上階にある個室。

 まるで高級ホテルのようなその部屋のベッドの上に、先日からここに入院している朝比奈キヨが座っている。

 ここ数日気温も上がり冷房をつける日も多くなってきており、夏にはまだ早いが窓から半袖姿で歩く人を見かけることも多くなって来た。



「真琴は元気そうだね……」


 キヨは昨晩真琴とやり合ったSNSを見ながら言った。

 女の子である孫の真琴が、信頼できるとは言え男と一緒に暮らしている。祖母として一抹の不安はあったが、彼女から送られてきたメッセージを見てそれが杞憂だと安心した。



『おばあちゃん、スマホって写真も撮れるの知ってた?』


『知ってるわよ』


『えー、そうなの!? 私知らなくて自撮りのことだと思って笑われたよ。超恥ずかしい!』


『まあ、それは私も笑っちゃうわ』


『龍之介さんが教えてくれなかったの』


『そうなのかい?』


『そう。でもさっき教えて貰って一緒に写真撮ったよ』


 昨晩、真琴はそう書き込みながら龍之介と一緒に撮った写真をアップした。



(いい写真ね……)


 キヨがそのふたりの写真を見ながら思う。



「真琴はまだ正体教えていないのかしら。でもこの写真、まるで……」


 キヨはふたりの写真を見て微笑んで言う。



「恋人同士のツーショットね」


 キヨにとってはそれがお付き合いしているふたりの写真にしか見えなかった。






 大学のキャンパス。

 すっかり春も終わり熱く感じる日も多くなったこの頃。大学を歩く女の子も寒かった時の暗い色の服から、白やパステルカラーと言った明るめの服が目立ち始める。

 そんな薄いブラウスや短いスカートから出る魅力的な生足を、だらしない顔をしながら見ていた龍之介に背後から声が掛かった。



「おい、三上」


 龍之介は自分が呼ばれたことに気付き振り返る。


「あ、お前は……」


 茶髪の短い髪にゴツイ体。龍之介の記憶の中から現れたのは、以前ユリと一緒になって自分を振った新山剛。思い出したくもない男であった。剛が言う。



「ちょっと話があるんだ。付き合えよ」


「今から?」


「ああ。嫌とは言わせねえ」



(参ったなあ……)


 龍之介はそう思いながらも真剣な顔で言う剛を無視することもできず、キャンパス端にあるベンチへ一緒に向かう。椅子に座ろうとした龍之介に剛が低い声で言う。



「おい、三上。お前、俺の女に手を出すな」


「は? 何の話?」


 意味が分からない。龍之介が心底困惑した顔をする。剛が言う。



「ふざけるな!! お前が俺のユリをたぶらかしているのは知っている。振られたのにまだ諦めきれねえのか!!」


 九条ユリ。大学ミスコングランプリの美女で、以前この目の前の男と一緒に自分を振った女。だが今はもう興味はなく、まともに話もしていない。



「ユリちゃんとは何の関係もないよ。俺、振られただろ? それよりお前、ユリちゃん殴ったのか?」


「はあ?」


 龍之介は少し前にユリから『剛に殴られた』と相談されたことを思い出す。全く身に覚えのない剛が言い返す。


「知らねえよ、なに言ってんだ!!」


 剛が真剣に怒る。


「本当に殴ってないのか?」


「そんなことはしねえ!! 馬鹿にするな!!!」


 真剣に怒る剛を見て、龍之介が無言になる。



「それよりもお前、なんでユリに手を出すんだよ!!」


 今度は龍之介が言い返す。


「いや、だから手なんて出してないよ。今は興味もないし」


「嘘つけ!! ユリはお前と付き合ったと言っているぞ」



(はあ?? 何だ、それ??)


 全く身に覚えがない事実。一体ユリと剛の間でどんな話があったのか知らないが全く身に覚えがない。龍之介が言う。



「ホントだよ。俺は付き合っていないし、それにもう好きな人が別にいるんだ」


「好きな人? ユリじゃなくて?」


 どこまでも龍之介とユリとの仲を疑う剛。龍之介が再度言う。



「ユリちゃんじゃない。俺が好きなのは女子高生。電車で見かけた女の子だ」


 それを聞いた剛が少し笑って言う。



「女子高生? ロリコンだったのか、お前?」


「ち、違うわ! マジで天使のような女の子。だから本当にユリちゃんにはもう興味も未練もない」


 真剣な目。とても嘘をついているようには思えない。



「本当なんだな。ユリはお前と付き合っていないって言うのは?」


「だから何度も言ってるだろ」


 しばらく腕組みをしながら考えた剛が言う。



「分かった、信じよう。まあ座れ」


 やれやれと思いながら龍之介が一緒にベンチに座る。少し悲しげな顔をした剛が前を向いたまま話始める。



「俺な、あの後ユリに振られたんだよ」


「振られた?」


「ああ……」


 龍之介は正直どうでもいいことだと思って聞いた。

 一時は真剣に好きだったユリ。それがあのような形で自分をからかい捨てたことを忘れてはいない。だが『おさげの天使様』に出会った今はではそのようなことはもうどうでもいいと思えるようになっていた。



「俺が、ほんの少しだけ出来心で他の女の子と遊んでしまったんだ……」


「自分が悪いんじゃん」


「ま、まあ、そうなんだが……」


 剛が下を向いて悲しい表情をする。



「で、その後何とか誤解を解こうと連絡したり、アパートに行ったりしたんだけど全然だめで……」


(ストーカーだろ!!)


 龍之介はそれを引きつった顔で聞く。



「ユリに怒鳴られて、そして毎回あいつがこう言うんだ」


 龍之介が嫌な予感がする。



「『私、龍之介君と付き合っている』って」



「はあ……」


 龍之介が溜息をつき言う。



「だから俺は付き合っていない。ユリちゃんが勝手にそう言ってるだけだよ」


「まあ、そうなんだろうな。ユリはああ見えて結構周りが見えなくなったり、一方的になったりするからな」


 龍之介は心底どうでもいい会話だと思った。早く昼食を食べて午後の授業の準備をしたい。剛が尋ねる。



「お前、ユリに何か特別なことでもしたのか?」


「特別?」


 首をかしげて言う龍之介に剛が尋ねる。



「ああ、特別な何か。あれだけお前を遊びだと言っていたユリが、突然お前に靡くはずがない。金渡したとか?」


「馬鹿言うなよ。うちは貧乏だぜ。じゃなきゃあんなボロアパートすむはずないし、今はそこの家賃すら払えなくて退去したよ」


「そ、そうだったのか。じゃあ何だろう、一体……?」


 腕を組んで考え込む剛に龍之介が言う。



「確かにユリちゃんから復縁がどうのこうのって話はあった。すぐに断ったけどね」


「そうか……」


 難しい顔をして答える剛。龍之介が言う。



「俺がやったことと言えば、そうだな……、はっきりと断ったことぐらいかな?」


「はっきりと断る?」


 剛が龍之介の方を向いて尋ねる。



「ああ、そうだ。復縁を迫って来たユリちゃんに、俺、はっきり断ったんだよ。他に好きな女がいるって」


「おい、それってまさか……」


 剛が震えた声で言う。



「ああ、もしかしてユリちゃんって『断れると燃えるタイプ』、なのかもしれない」


「おお……」


 初めて剛が合点がいった顔となる。



「そうか。ユリにはそう言う性癖があったんだな。まあ、それなら納得した。お前みたいな奴に言い寄るって訳が」



(おいおい……)


 龍之介は内心突っ込む。剛が確認のために言う。



「じゃあ、俺がユリを振れば逆に俺に靡くって訳だな?」


「ああ、可能性は十分にある!!」


 何の確証もなかったがいい加減くだらない話に飽きて来た龍之介が握りこぶしを作ってそれに答える。剛が笑顔になって言う。



「そうかそうか、ありがとう、三上。お前、意外といい奴なんだな!」


「ああ、俺も応援しているぜ!」


 龍之介は剛と固く握手をして、その難題に臨む男を見送った。






 翌日、講義の合間に友達とカフェへ向かおうしていたユリの前に、剛が勢いよく走って近付いて来た。


「ユ、ユリっ!!」


 ミスコングランプリの九条ユリ。

 歩くだけで男の視線を集める彼女に、無謀にも突撃してきた男の登場に皆の視線が向く。驚く友達を横にユリがあからさまに嫌そうな顔になって言う。



「なに? 何か用なの?」


 冷たい口調。全く感情がない言葉。剛は額に流れ出た汗を手で拭き取ると、仁王立ちになって言った。



「俺なぁ、新しい彼女できたんだぜ!! 女子高生の!!!」



(は?)


 ユリ同様に友達の驚いた顔となる。剛が大声で言う。


「だからお前なんてもう不要だ!! 二度と俺の前に現れるんじゃねえぞ、いいか、分かったな!!!」


 剛はユリとその友達の前で強く握りこぶしを作ってから、鼻息荒くその場を走り去って行った。唖然とする友達がユリに言う。



「な、なに、あれ……」


 ユリが心底つまらなそうな顔で答える。



「さあ? どうでもいいけど、バッカじゃないの」


 ユリが美しい金色の長髪を片手でかき上げながらその場を去る。

 その後、剛はユリからの連絡を首を長くして待っていたが、無論この後彼女が彼に連絡することなどなかった。

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