21.笑顔の理由

「あ、マコ。あそこだ、あの店」


 龍之介が真琴を連れて来たのは駅裏の路地にあるネオンの明るい居酒屋。日も落ち、暗くなった通りには、仕事帰りのサラリーマンや若い女性の姿も多い。真琴が尋ねる。



「私、まだ未成年なんですけど、いいんですか?」


 高校生の真琴。もちろん居酒屋など来たことはない。龍之介が答える。



「ああ、大丈夫。桃香さんが店に確認してくれたら、お酒を飲まないんだったら入店OKなんだって」


「そ、そうですか……」


 とは言えあのような破廉恥な店にはどうしても足が進まない。できれば家でココアでも飲みながら本を読んでいたい。でも龍之介の頼み。断りたくはなかったし、それに……



(どんな女の人が来るのかしら……)


 真琴じぶんのことが好きだと言ってくれた龍之介。

 色っぽい桃香さんや他に魅力的な女性からお誘いを受ければどうなるんだろうと、な気持ちもあった。



「さ、行くぞ。マコ」


「あ、はい」


 真琴は龍之介の後ろについて、初めての居酒屋へと足を踏み入れた。





「あ、桃香さん! 遅くなってすみません」


 店内に入った龍之介が、先に来ていた桃香達を見つけ声を掛ける。テーブルには数名の男女が座っており、龍之介に気付いた桃香が手を振って答える。


「おいで、おいで!!」


 龍之介と共に店内を歩く真琴。



(すごいむっとした空気。たばこ臭っ……、なんか酔って来そう……)


 初めて経験する独特の空気。

 狭い空間に人が押し込められ、大きな話し声やたばこ、酒や食べ物の匂いが混じり合っている。陰キャ気味の真琴にとってはそれだけで眩暈がしそうであった。



「あー、真琴君だね。よろしく!!」


 桃香は一度だけ喫茶店に来たことのある真琴を覚えており、隣に座ったにすぐ挨拶した。真琴が答える。



「あ、はい。よろしくお願いします……」


 隣に来ただけで香る大人の香り。圧倒的な存在感。女性は桃香の他にも数名来ていたが、色気だけなら彼女が群を抜いていた。

 真琴の正面に座った龍之介が自己紹介を始める。



「あ、俺、三上龍之介。宜しくっす!!」


 そう笑顔で話す龍之介。飲み会などでも話の中心になれる彼は、初めて会う人でも時間をかけずに仲良くなる。そして正面に座る真琴を紹介する。



「彼は高校生ね。さ、自己紹介して。マコ」


 突然話を振られた真琴が顔を青くして動揺する。



「あ、あの、朝比奈真琴です。よろしくお願いします……」


 深く被った帽子に丸い伊達メガネ。

 高校生と言うだけでも珍しいのにその出で立ちは居酒屋でも少し浮き気味だ。一緒にいた女の子から質問が出る。



「えー、高校生なの? 何年生??」


 真琴が少し顔を上げて答える。



「こ、高三です……」


 どきどきの真琴。慣れない居酒屋の空気に初めて会う人達。その雰囲気に飲みこまれそうになる。桃香が言う。



「そうよ、高校生。だからあまり遅い時間までは居られないのよね」


 隣に座った桃香がにっこりと笑いながら真琴を覗き込むように見つめる。


「は、はい……」


 真琴はそれにうつむきながら答える。龍之介が言う。



「飲み物は? マコはジュースでいいよな?」


「はい」


 龍之介が声を掛けてくれてほっとする真琴。そして飲み物が運ばれてきて皆がグラスを持ち上げる。



「乾杯~!!」


 真琴も皆に合わせてグラスを持ち上げ乾杯する。何について乾杯しているのかはよく分からなかったが、これが飲み会の習慣みたいなものだとは後で知った。

 既に少し酒が入っていた桃香が隣に座る真琴に尋ねる。



「真琴君は~、彼女いないの??」


 驚く真琴。素直に答える。


「はい、いません……」


 それに反応した別の男が桃香に尋ねる。



「そう言う桃香ちゃんはどうなの~??」


 桃香はグラスに入ったカクテルをひと口飲んでから答える。



「いないよ~」


 その言葉に驚く一同。別の女が尋ねる。



「えー、桃香、本当にいないの??」


「いないって」


「そんなに色っぽいのに??」


 桃香が苦笑して答える。



「それと彼氏がいるってことは結び付かないでしょ~」


「いや、結びつくよ」


 別の男が笑って答える。



(桃香さん、彼氏いないんだ……)


 オレンジジュースの入ったグラスを両手で持ちながら、真琴が横目で桃香を見つめる。

 ふわっとしたピンクの長髪に抜群のスタイル。お酒でほんのり赤くなった白い肌は、同性である真琴が見ていても魅力的だ。別の男が言う。



「じゃーさー、今ここで、誰とも付き合っていない奴って他にいる? 手ーあげて」


 その言葉を聞いた一同。ゆっくりとが手をあげる。皆が驚いて言う。



「えー、全員、ぼっちなの??」

「びっくり!!」


 ひとりの女が龍之介に尋ねる。



「三上さんもいないんですか?」


 龍之介が答える。


「いないよー」


「そうには見えないな~、なんかモテそう」


「いや、モテないって!! この間も振られたばかりだし」


「うそー??」


「ホントだって」


 楽しそうに話す龍之介と女。それを横目で見ていた真琴が思う。



(なんか、面白くない……)


 ジュースの氷も解け、水っぽくなっている。

 高校生と言うことで皆も話し辛いのか、それとも陰キャのオーラが出ているのかあまり話を振られない真琴。見知らぬ人達と食事というあまり経験のないような状況にどう振る舞って良いのか分からない。

 それを察したのか隣の桃香が真琴に声を掛ける。



「ねえ、真琴君も本当に彼女いないの?」


「はい……」


 真琴の心臓の鼓動が速くなる。なぜか桃香に声を掛けられると緊張する。



「好きな子とかは?」


「いえ、特には……」


 そう答えた真琴。無意識に帽子の中で耳に掛かった髪をかき上げる。



(あれ?)


 その仕草を見た桃香が何か違和感を覚える。

 そして見つめる真琴の肌、長袖から出た手。桃香がある可能性について思う。



(まさかね……)


 そしてすぐにその可能性打ち消す。



「ねえ、真琴君は龍之介君と一緒に暮らしているんでしょ?」


「はい……」


「楽しい?」


 真琴が桃香の方を見て答える。



「は、はい。頼りがいのあるお兄さんって感じで……」


 それを聞いた龍之介が言う。


「そうだよ、マコは可愛いって感じでさ」



(弟……)


 男と思われているのだから当然の言葉。ただ何となく悲しい気持ちなる。龍之介が言う。



「でもマコってさ、凄いんだぜ」


「何が?」


 龍之介が答える。



「料理とか洗濯とか、家事関係全部プロ並みでさ。マジ、マコが女だったら一番だよ」



(え!?)


 そう言われた真琴が驚いて固まる。そして自分の顔が真っ赤に染まるのを感じる。桃香が言う。



「へえ~、真琴君すごいんだね」


「え、ええ。おばあちゃんに色々叩き込まれたので……」


 それは本当。でも話していても地に足がつかない。別の女が龍之介に言う。



「えー、龍之介君ってそっちの趣味があったの?? 残念~!!」


 真琴は彼女が少なからず龍之介に興味を抱いていることを女の直感で感じ取っていた。龍之介が笑って答える。



「いや、ないってないって!! 俺、好きな人いるし」


 その言葉に皆が注目する。女が尋ねる。



「えー、そうなの?? だれだれ?? この中にいる???」


 少し酔った女。その言葉には明らかに龍之介への好意が感じられる。



(龍之介さん……)


 桃香ほど色気はないものの、十分に可愛いその女。真琴は龍之介の反応が気になった。龍之介が答える。



「いないよ! 俺さあ、女子高生が好きなんだ!!」



「は?」


 その発言に一気に引く一同。女が顔を引きつらせて言う。



「え、女子高生……??」


 それに龍之介が真面目に答える。



「そうだよ、女子高生。電車でひと目惚れしちゃってさ。『おさげの天使様』って呼んでる」


「お、おさげの……」


 同時に桃香に向けて『何でこんな男連れて来たの!』という視線が向けられる。唯一、真琴だけが嬉しさを隠すように下を向く。別の男が笑って言う。



「あはははっ、ロリじゃん。ロリロリ」


「ロリじゃないぞ。純愛だ!!」



「何それ~」


 真面目に語る龍之介に周りが白けた顔で言う。真琴が小さな声で龍之介に言う。




「龍之介さん、そろそろ……」


 時計を見た龍之介が皆に言う。



「あ、俺達そろそろ行くわ。高校生を連れて帰らなきゃ」


「はいはい。じゃあね」


 寡黙で暗い高校生にロリコン大学生。もう女達は誰も止めようとはしなかった。桃香が言う。



「ありがとうね、龍之介君」


「いえ、こちらこそ。あ、これお代です」


 そう言ってお金を桃香に手渡し龍之介は真琴と一緒に店を出た。桃香が思う。



(真琴君ってまさか……)


 そんな店を出て行くふたりを桃香は真剣な顔で見つめていた。





「今日はありがとな。マコ」


 暗くなった駅前を歩くふたり。春も終わりを告げる時期だが、夜になると風は少し冷たい。


「いえ、私こそ、初めてで楽しかったです」


 そう言ってにっこり笑う真琴。龍之介が言う。



「さ、早く帰ろうか」


「はい! あの、龍之介さん……」


 真琴が赤くなった顔で龍之介に言う。



「ちょっとだけ、こうしてもいいですか?」


 そう言って隣を歩く腕に自分の手を絡ませる真琴。それを見た龍之介が慌てて振りほどく。



「ば、馬鹿!! 何やってるんだよ!! 俺にそっち系の趣味はないって言ったろ!!」


「ちょっとだけですよ~、酔っちゃって~」


「酒飲んでねえじゃねえか!!」


「いいじゃないですか~、ちょっとだけ」


「無理無理無理っ!!! さあ、早く帰るぞ!!」



 そう言って先に歩き出す龍之介に真琴が走って追いかける。



「あ、待ってくださいよ~、龍之介さーん!!」


 笑顔の真琴。

 そしてその笑顔の理由を彼女自身、心の底で理解していた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る