17.龍之介さんとなら上手く行く。

 その男、新山剛は大学のキャンパスを歩いていた美女、九条ユリを見つけて走り出した。


「ユリ、ユリ!!!」


 友達と歩いていたユリ。名前を呼ばれ振り返るとその走って来た男が笑顔で言った。



「ユ、ユリ。久しぶりだな」


 茶色の短髪にゴツイ体。ユリの元カレで、彼女と共に龍之介をからかった男。その後、自分の浮気でユリにも振られ、それ以来しつこく彼女に復縁を迫っている。ユリが迷惑そうな顔をして言う。



「なに? 用事がないなら近寄らないで」


 金色の美しい髪を風に靡かせながらユリが言う。一緒にいる友達も可愛らしい女性だが、ミスコングランプリのユリの美しさはひときわ目立っている。剛が青い顔をして言う。



「あ、あの女とはもう別れたんだ。俺はユリだけだ。ユリを愛してるんだよ!!」


「……」


 沈黙。

 ユリ、そしてその友達からの痛い視線が剛に向けられる。友達が言う。



「ユリ、またこの男? いい加減通報したら?」

「うっざ~」


 ユリに振られてからずっと付きまとっている剛。振られてから気付く彼女の大きさ。必死な剛がユリに言う。



「ユリを幸せにできるのは俺だけなんだよ! 俺以外の男はお前には似合わない!!」


「はあ……」


 いい加減うんざりとしたユリが剛に言う。



「私ね。今、龍之介君と良い感じなの」



「え? 龍之介!?」


 剛の頭の中にユリと一緒にからかい、笑いながら捨てた龍之介の顔が浮かぶ。



「そう、龍之介君。私、気付いたの。彼が私にとって最も大切な男の人だって。だから、あなたは私に近寄らないで」


「ユ、ユリ。ちょっと待って……」


 泣きそうな顔になる剛にユリが言う。



「本当にもういい加減にして。マジで通報するわよ!!」


(ユ、ユリ……)


 剛は冷たい顔でそう言って友達と立ち去るユリの後姿を、泣きそうな顔で見つめた。

 悔しさで体が震える。調子に乗っていたのは認める。ただユリが自分の中で一番だと最初から思っていた。



(三上龍之介、あの三上がユリとだと……、許さねえ!!!)


 剛は頭に浮かぶその男の顔を思い浮かべ、拳を強く握りしめた。






「マコ、行くぞー」


「あ、はい!」


 休日。ふたりはキヨが入院してから初めてのお見舞に行くために一緒にマンションを出た。すっかり新緑が美しくなったこの季節。薄手のシャツが丁度いいぐらいの陽気は、外出するのに気持ち良い時期。


 マコはいつも通りの男装。深く被った帽子に丸い伊達メガネ。大き目のパーカーにゆったりとしたズボン。



(いい加減、いつも同じ服じゃまずいわよね。うーん、男物の服も少し買わなきゃいけないのかな……)


 恥ずかしさを隠すための男装。

 今のところは上手く行っているがいつバレるのかも分からない。それでも女として一緒に暮らすことはできないので、新たな服も必要だろう。



「キヨさん、元気かな」


 龍之介が言う。


「うん、今日行くって言ったら喜んでたよ」


 真琴もそれに笑顔で答える。



「久しぶりにマコの顔見せて、手術も上手くいって貰わなきゃな」


「そうだね。さ、行こ」


 ふたりは一緒に電車に乗りキヨが入院している大学病院へと向かった。




「まあ、いらっしゃい。よく来てくれたわね、真琴。それに龍之介さん」


 病室にあるベッドで寝ていたキヨが、見舞いに来たふたりを見て笑顔で言った。少し瘦せた感があるキヨだが、顔色も良く元気そうだ。安心した真琴が言う。



「おばあちゃん、元気だった? ひとりで寂しくない?」


 キヨが笑って答える。


「大丈夫ですよ。からね」


 そう言ってキヨはサイドテーブルにあったスマホを手にしてふたりに見せる。一瞬意味が分からなかった龍之介がその意味に気付いて言う。



「トラさんと上手くいってるんですか?」


『トラさん』、それはキヨが一度だけ喫茶店で会ったことのある男性。彼と連絡が取りたいためにスマホを始めたと言ってもいい。キヨが笑って答える。



「ええ、連絡だけはちょくちょくね。でもなかなかお会いできなくて……、まあ、退院が先ですけどね」


 そう言ってスマホを見つめる。真琴が言う。



「中々女の方から『会いたい』とは言えないしね」


「まあ、そういうこと」


 キヨが笑って答える。そしてテーブルの上の小銭入れからお金を取り出し龍之介に渡しながら言う。



「龍之介さん、悪いけど喉が渇いたから一階にある自動販売機で飲み物を買って来てくれないかい」


「いいですよ! 何飲みます?」


 ふたりは龍之介に飲みたいものを伝え、病室を出て行く彼を見送った。キヨが真琴に言う。



「それで、ちゃんとバレずにやれているんだよね?」


「うん。まあ……」


 連絡は取り合っているので状況は知っているが、キヨとしてはやはり直にしっかり聞いておきたい。



「いつまでこんなことを続けるの?」


「いつまでって、おばあちゃんもいないし、龍之介さんは色々助けてくれるし……」


 彼を騙していることは悪いと思っている。

 自分が女であること。ひと目惚れした『おさげの天使様』が自分だということ。

 ただそれを話せば今のすべてが壊れてしまう恐怖もある。キヨが言う。



「まあ、あなたと龍之介さんとのことなのでこれ以上言わないけど、こんな状況は良いとは思わないわよ」


「うん、それは分かってる……」


 そこの言葉に嘘はない。

 ただ怖い。すべてを失ってしまうことが。



「好きなんでしょ? 龍之介さんのことが」



(え?)


 下を向いていた真琴が顔を上げて驚く。



「い、いや。そんなんじゃないよ!! 私なんて……」


 キヨが笑顔で言う。


「真琴は魅力的な女の子ですよ。可愛いし、優しいし。本当のあなたをさらけ出したって、彼は否定したりしないわよ」


「うん、そうだよね……」


 それも何となく分かっていた。



(でも、やっぱり怖いんだよ……)


 心の中でつぶやく真琴。

 その後、ふたりはジュースを買って戻って来た龍之介を笑顔で迎えた。






「さーて、マコ。練習をしようか!!」


 キヨの見舞いを終え、マンションに帰って来た龍之介が真琴に言う。



「練習? 何の」


 口を開いたまま真琴が聞き返す。



「何のって、劇だよ。劇」


「ああ……」


 すっかり忘れていた。色々あって忘れてしまっていた。



「今からするの?」


「もちろん」


「わ、分かった……」


 真琴は自室に行き台本を取って来ると龍之介に言った。



「じゃあ、始めるね」


「セリフは覚えた?」


「うーん、まだかな……」


 真琴が苦笑して答える。そして台本を片手に物語の最初のセリフを言う。



『お、王様。この勇者マコが必ず魔王を倒して見せましょう!』


『うむ。頼もしい言葉だ。期待しておるぞ!!』



(え?)


 王様役を演じた龍之介を見て真琴が驚く。



(龍之介さん、台本を……)


 真琴と違い龍之介の手には何もない。戸惑いながらも真琴が劇の練習を続ける。



『お、お前は何者だ!!』


 それは勇者が初めて魔王に会った時のシーン。龍之介が怖い顔をして言う。



『がーははははっ!! 我は魔王。この世を破壊する者。お前が勇者か?』


『今は勝てないけど、きっと強くなってお前を倒すぞ!!』


 劇の練習をしながら真琴が思う。



(龍之介さん、すべてのセリフを覚えてるんだ……)




「あ、あの……」


 台本にない言葉に気付いた龍之介が真琴に言う。


「ん、どうかした?」


 真琴がどきどきしながら龍之介に尋ねる。



「りゅ、龍之介さんって全部のセリフを覚えたんですか……?」


「うん」


 さらっと答える龍之介を見て真琴が驚く。竜之介が答える。



「だってマコに『楽しめ』って言った訳だろ。楽しむにはきちっと練習しなきゃいけないし、その練習台になるって俺決めたから。俺がドジってマコの足引っ張りたくないしね」



(え、うそ……、そんなことの為に、全部覚えたの……?)


 驚く真琴。



「で、でもすべての人のセリフって凄くたくさんあるし……」


 主役以外のセリフを完璧に暗記していた龍之介。驚く真琴に龍之介が言う。



「大したことじゃないよ。マコの量の方が多いから。さ、続きやろ」


「あ、はい……」


 真琴が再び台本を持ってセリフを口にする。



(ありがとう、ありがとう。龍之介さん……)


 真琴の目にうっすらと涙が溜まる。



「お、マコ。迫真の演技だな!!」


 ちょうどそれは勇者が魔王を倒し、涙で凱旋するシーン。真琴が答える。



「うん、頑張るから……」


 真琴は笑顔になって涙を拭う。



(この人なら、龍之介さんとならきっと上手く行くと思う……)


 真琴はその後も流れる涙を何度も拭きながら、龍之介と一緒に笑顔で劇の練習を続けた。

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