15.楽しむから!!
「でも、大勢の人の前で演劇なんてやっぱり恥ずかしいです……」
そう言って下を向く真琴。
前向きな龍之介と一緒にいると忘れてしまいそうになるが、実際舞台に立ち皆の前で劇をするってことは彼女にとっては大きな壁。龍之介がソファーに座る真琴の真正面に座って言う。
「そりゃ、誰だって少なからず緊張するさ」
「龍之介さんも?」
「当たり前だろ。俺を何だと思ってる」
真琴は少し笑ってそれに応える。
「楽しめ」
「え?」
真面目な顔をして言う龍之介に真琴が聞き返す。
「楽しめ?」
「ああ、そうだ。本当は信頼できるちょっと怖い人に言って貰う方が効くんだが、いなきゃ俺でいい。楽しめ。これは応援とかじゃなく、命令だ」
「命令……」
龍之介が頷いて言う。
「そう、命令。どうしようなんて迷っているときっと上手く行かないから、これは俺からの命令。余計なことは考えずに命令だと思って思いきり楽しめ。決まった以上逃げられない。だからもう諦めて存分に楽しむんだ」
「楽しむ……」
真琴の中で恐怖や羞恥心、迷いと言った感情が龍之介の言葉によってどんどん薄まって行く。
(楽しんじゃお。そう楽しんじゃえばいいじゃん!! 演劇ってきっと楽しいはずだから、嫌々じゃなくて楽しめばきっと……)
そう思っていた真琴の顔を龍之介が両手で挟むようにして添える。
(え、え、なに……!?)
戸惑う真琴に龍之介が真剣な顔で言った。
「もう一度言う。楽しめ」
「あ、はい……」
龍之介がソファーに座り直して言う。
「もし不安になったら俺の顔、俺の声を思い出せ。マコなら絶対大丈夫!!!」
真琴が頷いて答える。
「はい!! 頑張ります!!!」
龍之介はそれを聞いて少し安心したような顔になる。そして真琴をじっと見つめて言う。
「なあ、マコ……」
「は、はい?」
再び真剣な顔になる龍之介に真琴が戸惑った顔となる。
「お前の頬って、めっちゃ柔らかいな。まるで女の子みたいだぞ……」
(ひゃっ!?)
見た目や声色は多少男になれても、肌の質感まではまねできない。龍之介が真琴の顔をまじまじと見て言う。
「そう言えばお前って髭もほとんどないな。髭剃りも見当たらないし」
(ひ、髭剃り!?)
そんなもの使ったことがない。女子高生の真琴にとってそれは想像の上を行っている。真琴が苦し紛れに言う。
「じょ、女性ホルモンが強いのかな? よく中性的って言われるし……」
龍之介も頷いて言う。
「まあ、確かにそうだよな。そうだよな、きっと」
疑うことを知らないのかと真琴が苦笑する。
「それで脚本はもうできてるの?」
龍之介の質問に真琴が答える。
「ううん。二、三日かかるって」
「じゃあ出来たら見せてくれ」
「いいけど、どうするの?」
龍之介が意外そうな顔で答える。
「どうするって、練習するんだよ。ここで」
「え? 練習!?」
学校では放課後などに練習すると聞いていたが、更に家でも練習するということなのか。
「そう、練習。しっかりセリフ覚えて本番に臨む。楽しむためにはそれなりの準備が必要だからな」
「あ、うん。ありがと」
そう言って頷きながら話す龍之介を見て真琴が思う。
(少しだけ、頼っちゃってもいいのかな……)
自分と言う殻に閉じこもり祖母以外には心を開かなかった真琴。そんな彼女が初めて他人である人間に対して寄りかかって見ようかと少しだけ思った。
数日後、令華高校に登校して来た陰キャっぽい男子生徒にカエデ達が近付き声を掛けた。
「ねえ、頼んどいた台本。いい加減できたの?」
声を掛けられた陰キャがびくびくしながら答える。
「で、できたよ。昨日徹夜したんだ。ボク、ほとんど寝てなくて……」
(キモッ!!)
「い、いいから早く出してよ!!」
カエデが不快そうな顔でそう言うと陰キャは慌てて鞄の中から数冊の演劇用の台本を取り出す。
「これだよ……」
カエデはその一冊を受け取り中身を確認。そして尋ねる。
「で、これ。主役のセリフ多めってことでいいよね?」
「う、うん。頼まれていたからね。ちゃんとやっておいたよ……」
「ありがと。やればできるじゃん」
「いや、そんなことは……」
陰キャの男子。普段女の子とは話す機会などない彼がファンタジー劇の脚本と言う彼にとっては適任の仕事を女子から任せられ、無事にそれをクリア。そしてそのご褒美として女子カースト上位からのお褒めの言葉を受け取った。
「行くわよ」
カエデは取り巻きの女子達と共に自分の席へと戻る。そして出来上がったばかりの台本を眺めニヤニヤする。
(いいわね~、主役のセリフ、超多いじゃん!! 予想以上だわ)
今回その主役をするのは、ただでさえ恥ずかしがり屋の真琴。これだけのセリフを短期間で覚え、大勢の人前で演じなければならない。取り巻きが言う。
「カエデ、これ絶対覚えるの無理でしょ」
「そうね、いい出来だわ」
「って言うか、容赦ねえ~、きゃはははっ!!」
予想以上の出来栄えの台本に皆が笑う。
退屈な『演劇祭』、それが自分達の手によって最高の劇と変わる。そんな悪巧みに興奮するカエデ達の目に、その主役を務める予定の真琴が教室に入って来るのが見えた。カエデが台本を持ち立ち上がる。
「おーい、朝比奈」
名前を呼ばれた真琴が一瞬びくっと体を震わす。
絶対に良くない話。
そう思いながらも真琴が下を向きながらカエデ達の方へと歩き出す。カエデが台本を真琴に差し出しながら言う。
「はい、これ台本。ちゃんとこれ覚えて来てよ」
そう言って手渡された分厚い台本。予想以上の分厚さに驚きながら真琴が中身を確認する。
(何これ? 私だけすごいセリフの量……)
明らかに自分のセリフの量だけ抜きん出て多い。主役とは言えこれはおかしなレベルだ。それを笑いながら見つめるカエデが言う。
「どう、朝比奈? それ全部覚えて来るんだぞ。まあ主役だから仕方ないよな!」
それを聞いて一緒に笑い出す取り巻き達。真琴が思う。
(どうしよう、こんな量、絶対に……)
そう思った彼女の前にその男が現れ、両手を顔に添えて言った。
『楽しめ』
(あっ)
それは同居する龍之介。
真剣な顔で命令する。逃げることなどできない。こうなったら死に物狂いで全部覚えて楽しんでやる。
「ありがとう、橘さん」
「え?」
真琴は笑顔になってカエデに感謝の言葉を述べた。カエデが言う。
「朝比奈、だってそれお前全部覚えて……」
「ちゃんと覚えるわ。みんなが作ってくれた台本、しっかり覚えて最高の劇にするから!!」
真琴はそう言ってこれまで見せたことのないような笑顔で軽く頭を下げると、台本を大事そうに抱え自分の席に向かう。唖然としたカエデが小さく言う。
「なに、あれ……? どうなってるの……」
演劇の主役に任命された時の泣きそうだった真琴の顔。
カエデを含めて皆がそんな青ざめる真琴の姿を期待していたのだが、拍子抜けだ。取り巻きが言う。
「なんか妙な自信に溢れていたよね。朝比奈、何かあったの?」
「知らないわよ……」
不満そうな顔で応えるカエデ。予想とは全く違った真琴の姿にカエデ達はただ呆然とその姿を見つめた。
「真琴ちゃん、それって劇の台本?」
席に着いた真琴に、最近友達になった中島亮子が声を掛けて来た。同じカースト下位の陰キャ寄りの女の子。時々会話するようになったのだが、真琴が手にしている分厚い台本を見て心配して声を掛けて来た。
「そうだよ、台本。結構セリフ多いけどね」
真琴がはにかんで答える。台本をぱらぱらとめくって見た涼子が驚いて言う。
「多いってレベルじゃないよこれ。絶対無理じゃん……」
青い顔をする涼子に真琴が答える。
「大丈夫。私、楽しむから!!」
そう言って笑顔になる真琴を見て、涼子は同じカースト下位の陰キャだと思っていた彼女がいつの間にか同じ場所にいる存在ではないことを感じた。
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