13.素敵な笑顔
令華高校、お昼休み。
午前中の授業を終えた生徒達が昼ごはんの準備を始める。
(手を洗いに行かなきゃ)
真琴もお昼の前に手洗いの為にひとり教室を出る。
(あ、橘さん……)
真琴に嫌がらせをするグループ。その主犯格の橘カエデが取り巻きと共にやって来る。
(喫茶店ではバレてないはずよね……)
先日龍之介に誘われて訪れた喫茶店『カノン』。そこで偶然来店したカエデ達にばったり会ってしまった。
幸い男装していたので声を掛けられることもなくすぐに店を出たのだが、真琴からすれば自分の存在が知れてしまったのではと少なからず不安であった。
(橘さん、龍之介さんのことが気になってるのかな……)
カエデのことを龍之介は常連と言っていた。
ほんの少ししか居なかったが、真琴にはそれがただコーヒーを飲みに訪れているだけとは思えなかった。
(おさげの天使様って……)
そして思い出す龍之介の
(こんな暗くてつまらない私のどこがいいの……)
学校では目立たぬ存在。周りの視線も怖いし、誰かを好きなってはいけない存在。
こちらへ歩いて来るカエデを感じながら、真琴は廊下の端に寄り下を向き身を潜めるようにゆっくりと歩く。
「きゃっ!!」
そんな真琴にカエデはわざとぶつかるように方向を変え、肩をぶつけて来た。強く当たったためそのまま廊下に尻餅をつく真琴。それを見たカエデが笑いながら言う。
「あら、ごめんなさいね。暗くて良く見えなかったからぶつかっちゃったわ。暗~いもんね、朝比奈さんって。きゃはははっ!!」
「何それ~、ちょーうける!!」
取り巻きの女達のカエデに合わせて笑い出す。
真琴はすぐに立ち上がるとやはり下を向いて歩き出す。これまで学校では心を殺し何が起きても感じないようにしてきたが、龍之介と出会い少しだけ前を向き始めていた真琴。それでも学校ではまだしっかりと前を向いて歩けない。
真琴は背中に視線を感じつつ、早足で手洗い場へと向かった。
(龍之介さん、今日もバイトか……)
夕方。授業を終え、マンションに帰る真琴。
今日は龍之介がバイトの為会う心配もないので、『真琴』のまま帰宅する。
(人が多いな……)
夕方の時間、家へ帰宅する学生や高校生が多い。人混みが嫌いな真琴であったが、仕方なく駅へ向かう。そんな彼女とすれ違った軽そうな大学生の二人組の会話が、すれ違いざまに真琴の耳に入った。
「なにあの女、暗っ」
「ホント、暗いオーラ出してるわ。ありゃ論外だな」
駅でナンパでもしているのだろうか。
ふたりはすれ違った真琴の方を振り返り、嘲笑しながら言う。
(私、私……)
下を向いて歩いていた真琴。
鞄を持つ手に恥ずかしさと悔しさから自然と力が入る。真琴は改札をくぐると、すぐに女子トイレへと駆け込んだ。
カチャ
そしてトイレに入ると鍵をかけ、鞄の中からハンカチを取り出して堪えていた涙を拭きとる。
(私、外を歩いてもいいんですか……、私……)
「うっ、ううっ……」
真琴の目から涙が流れる。
――私、生きていてもいいんですか?
真琴はぼろぼろと涙が流れ出る目をハンカチで押さえつけた。
「ただいまー、マコ」
外も暗くなった夕刻、バイトを終えた龍之介が真琴が待つマンションに帰って来た。
「おかえりなさい……」
いつもより暗いトーンの真琴。それでも龍之介に詰まらぬことなど悟られたくないと思った真琴が、無理やり笑顔を作ろうとする。そんなことを知らない龍之介が手にしたビニール袋をキッチンに置いて言う。
「マコ、今日はちょっと特別だぜ」
「特別?」
キッチンにやって来た真琴が少し首を傾げて言う。
「ああ、ほら。じゃじゃーん!!!」
「わあ……」
ビニール袋から取り出したのは焦げ茶色のコーヒー豆と、手動式のミル。龍之介が笑顔で言う。
「この間うちのコーヒー飲みそびれただろ? だからマスターに内緒で持ってきた。今から淹れてやるよ」
真琴が少しだけ笑って言う。
「えー、それってお店のもの盗んできたってことでしょ?」
「違う違う。お店で飲めなかった分をここで飲むってこと。深く考えるな。さ、座れ」
真琴は苦笑しながらキッチンにある椅子に座る。
龍之介はコーヒー豆を袋から取り出しはかりで重さを計測し、慣れた手つきでミルに入れていく。そしてがりがりとハンドルを回し始めると何とも言えぬ香ばしい香りが広がった。
「いい香り……」
思わず真琴が口にする。コクのある深いコーヒーの香り。インスタントでは嗅げないものだ。
「そうだろ? まだ新鮮な豆を持って来たんで美味しいぞ」
「うん」
真琴も笑顔になってそれを見つめる。
龍之介はカップを用意し、お湯を沸かしてフィルターに挽いたコーヒーの粉を入れお湯を注ぎ始める。同時に丸いドーム状の泡が立ち始める。
「綺麗……」
真琴がその泡を見て言う。
「そうだろ。これだけ綺麗に泡が立つってことは新生な豆って証拠だ。さて、真琴君。この美味しいコーヒーを飲むには条件がある」
「え、条件?」
思わぬ言葉に真琴が顔を上げて龍之介を見つめる。龍之介がゆっくりとお湯を注ぎながら言う。
「これから質問に素直に答えてくれ。今朝な、お前が出て行った後にシャワーを浴びたんだが、排水溝に……」
真琴は瞬時に『しまった』と思った。
「排水溝に、女性の長い髪があった。結構な量だ」
真琴の顔が引きつる。
いつもお風呂の後に髪が残らないように排水溝を掃除していたが、昨晩忘れてしまったようだ。青い顔をした真琴に龍之介が言う。
「マコ、まさかと思っていたんだが、お前……」
真琴は自分が女だとバレたのかと一瞬腹をくくる。
「女を連れ込んでいたのか? 俺がいない間に」
「はあ!?」
全く予想外の言葉。
女を連れ込んでいたなんてあり得ない。
「ば、馬鹿なこと言わないで下さいよ!! そんな訳ないでしょ!!」
慌てて否定する真琴に龍之介が言う。
「いや~、彼女いないって聞いていたんだが、俺は残念だ。同志を失った気分だよ」
「な、何言ってんですか!! 意味分からないし!!!」
龍之介が悲しい顔で言う。
「いいんだ、マコ。お前は綺麗な顔立ちしてるから、そっち系の女の子に人気あるんだろ。俺のことは気にしなくてもいい。楽しくやってくれ」
「だから、違いますって!!」
むきになって否定する真琴。だが悲しげな表情を作り、そう話す龍之介を見ていて悪戯心が芽生える。
「あの、龍之介さん……」
下を向いて大人しくなった真琴に龍之介が答える。
「なんだ? やっと話す気になったのか……?」
真琴が小さく頷いて言う。
「はい、白状します。実は……」
龍之介が手にしたポットを止めて真琴の話を聞く。
「実は連れ込んだ女の子ってうちの高校の、おさげの女の子なんです」
「え? ええっ!!??」
思わずコーヒーをこぼしそうになって驚く龍之介。青い顔をして尋ねる。
「お、おい、その子ってまさか、俺の、俺の『天使様』なのか……」
「ふふっ……」
真琴は顔を上げて少し笑っただけではっきりと答えない。両手で頭を押さえた龍之介が泣きそうな顔で言う。
「な、なあ。違うんだろ? 違うと言ってくれよ!! 俺の、俺の『天使様』じゃないって……」
「ふふふっ……」
不気味な笑みを浮かべてそれに応える真琴。
『おさげの女の子の髪』、それに全くの嘘はない。真琴は耐えきれなくなって笑い出す。
「ぷっ、くすくす……、あははははっ!!!」
部屋中に響く真琴の笑い声。
(あっ)
その時真琴は戸棚のガラスに映った自分の顔を見て驚いた。
――私、笑ってる
生きていていいのかと自問したトイレ。
涙で濡れたハンカチ。
そんな自分が大きな声で笑っている。
真琴が龍之介に尋ねる。
「ねえ、龍之介さん」
「な、なんだよ……」
沈み込んでしまった龍之介が暗い声で答える。
「私、生きていてもいいですか?」
龍之介が顔を上げて答える。
「当たり前だろ。とりあえず『おさげの天使様』を紹介しろ」
「ぷっ、くくくっ……、冗談ですよ。あれはおばあちゃんの髪。まだ残っていたんじゃないですか?」
「あ、ああ。そうか。キヨさんの長い髪だったんか。ああ、良かった!!」
動揺と興奮したふたりは、キヨの髪が真っ白な白髪だということをすっかり忘れている。真琴が尋ねる。
「ねえ、龍之介さん。早くコーヒーが飲みたいです」
フィルターからポタポタ落ちたコーヒーがいっぱいになっている。龍之介が慌ててカップを準備する。
「ああ、ごめんごめん。じゃあ淹れるな。とっておきの特別だぜ!!」
「うん!! 楽しみ!!!」
ガラスに映った真琴の顔。
それは今日一番の素敵な笑顔であった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます