8.真琴のお願い

(おさげの天使様、か……)


 真琴は自室の鏡台の前に座り、鏡に映った自分の姿を見つめる。真っ黒な艶のある髪、それを櫛で梳きながら丁寧に三つ編みに仕上げていく。



(そんなはずはないよね。私みたいな暗い女。龍之介さんには勿体ないわ。きっとそのおさげの子ってのも、ユリさんみたいな美人に違いないはず……)


 そう思いながら自然とため息が出る真琴。

 一緒に居ると楽しくてあっという間に時間が過ぎてしまうのに、マンションに帰ってひとりで部屋にいると時間が経つのがとても遅い。大好きな本を読んでいても活字が頭に入って来ない。



「朝ごはん食べようかな……」


 朝の支度を終えた真琴が部屋を出てキッチンへと向かう。



「え?」


 そんな真琴の目に信じられない光景が映った。



「おばあちゃん!!!」


 同居している祖母のキヨが床に倒れている。



「おばあちゃん、おばあちゃん!! 大丈夫!!??」


 すぐにキヨを抱きかかえ真琴が大声で名前を呼ぶ。



「ううっ、う、うぐぐぐっ……」


 苦しそうな表情のキヨ。彼女の持病のことを知っていた真琴はすぐに救急車に連絡した。






「ふわ~わ……」


 龍之介は朝早くの電車に揺られていた。

 出勤するサラリーマンや高校生が多い時間帯。昨年までのカリキュラムでは乗ることのなかったこの時間帯の電車。満員に近い車内の中で、龍之介は先週見かけた『おさげの天使様』が居ないことに落胆していた。



(折角早起きして電車に乗ったのに、今日はいないのか……)


 大学の講義の為と言うよりは、『おさげの天使様』に会う為に早起きして来た龍之介。その最大の目的が果たせなかったことに緊張が解け、眠くなる。



(あれ? もう駅に着いたんか……)


 電車でぼうっとしていた龍之介が大学最寄りの駅に到着したことに気付き、電車を降りる。駅を出てあまり気が向かないまま大学へと歩き出す。そしてポケットに入れて置いたスマホが鳴っていることに気付いた。



(母親……)


 龍之介はそのスマホに表示された電話の相手を見て心が重くなる。前向きで明るい龍之介だが、唯一この家族のことになると自分ではどうしようもできずに表情が暗くなる。



「もしもし……」


 立ち止まり電話に出る。



「龍之介? ちょっといいかしら」


「なに?」



「あなたのアパートのことだけど、やっぱりもうこれ以上無理だわ」


「……」


 無言になる龍之介。

 父親が居ない龍之介にとって母親は唯一の親。だがここ数年新しい男ができたのか、息子である龍之介にはあまり関心がない。大学はひとり暮らしさせて貰っているが、金銭的に厳しいことは龍之介も十分わかっていた。



「無理って、仕送りができないってこと?」


「そうよ。本当はもう働いて欲しいんだけど、大学はうちから通って」


「急だな……」


「来月ぐらいまでは大丈夫だけど、もう家賃払えるお金ないから。じゃあね」


「あっ」


 龍之介が何かを言おうとしたが既に電話は切られてしまっていた。



(参ったな……)


 大学の学費、アパート代。その多くを母親が払ってくれていたことは感謝している。無論それでも全然足らないので喫茶店でバイトをしていた龍之介だが、親からの仕送りが無くなるとなるともうその程度ではやっていけない。



(とりあえず一旦実家に戻るしかないのかな……)


 大学がかなり遠くなる。

 それでもアパートを借りてひとり暮らしするよりかはずっと経済的だ。まだ学生である龍之介にはそれ以外選択肢はなかった。



(ん? メッセージ)


 そんな龍之介のスマホにイッツのメッセージが届いた。



(キヨさんからだ。なんだろう?)


 龍之介がスマホをタップしてメッセージを読む。



『少し、おはなししたいことが ありますう。明日の晩、来られますか??』


 何だろうと思いながら明日の夕方は予定のなかった龍之介が『大丈夫です』と返事を送る。



(何かな、話って?)


 龍之介はそんなことを考えながら大学へと再び歩き出した。






(怖い……)


 キヨが倒れて病院に運ばれた夜。キヨはふたりが住むマンションから少し離れた病院に一旦入院する事になった。キヨは翌日学校もある真琴を心配して『大丈夫』と伝え、病院に残りたがる彼女をひとりマンションへ帰らせた。



(怖い……、誰もいない部屋がこんなに怖いなんて……)


 マンションに来てからずっとキヨと一緒に過ごしてきた真琴。初めて迎えるひとりの夜に心からの寂しさと恐怖を覚える。


(怖い怖い怖い……)


 ひとりでは広すぎるマンション。静寂が逆に恐怖を引き立てる。布団に潜り込んだ真琴は身を縮めて震えた。



(おばあちゃん……)


 病院でひとりでいる祖母を思い、涙が溢れる。



(龍之介さんに会いたいな……)


 同時に思い出すその大学生の顔を思って再び涙を流した。






「いらっしゃい。龍之介さん」


 翌日の夕方、再びマンションを訪れた龍之介をキヨが迎えた。その後ろには再び男装した真琴が下を向いて立つ。深く被った帽子にゆったり目の服。丸い伊達メガネをかけて祖母と一緒に龍之介を迎える。



「ごめんなさいね。急に」


「いえ、俺もちょっとがあったんで良かったっす」


「何かしら? とりあえず上がって下さいな」


「はい、お邪魔します」


 龍之介はキヨに言われ部屋へと上がる。

 真琴と目が合いにっこり笑う龍之介。真琴は龍之介の話というのが気になりつつも、それにどう対応していいか分からず引きつった顔で応える。



「トラさんとは連絡し合ってるんですか?」


 リビングに通された龍之介が正面に座ったキヨに尋ねる。キヨが少し笑って答える。



「ええ、相変わらずメッセージだけですが」



「龍之介さん!!」


 キヨの横に座った真琴が身を乗り出して言う。


「話したいことって何ですか? 何かあったんですか??」


 真剣な目の真琴。キヨはそんな彼女を見て少し驚いたがすぐに視線を龍之介に移す。龍之介がちょっと困った顔をして話し始める。



「うん、実は近いうちに引っ越さなきゃならなくなって、スマホ教室も行けなくなっちゃうんです」



「え……」


 ふたりが驚いた顔をする。真琴が尋ねる。


「引っ越しって、あのアパートから移るってことですか?」


「うん。そういうこと」



「何かあったんですか?」


 キヨも心配そうな顔で言う。


「ええ、実は……」


 龍之介はひとり親で金銭的な余裕がなく、アパートでひとり暮らしする余裕がなくなってしまったことを説明した。



「ふたりとも、もうスマホ十分に仕えるから大丈夫!! 俺も元気でやりますから!!」


 そう明るく言う龍之介を見て真琴が思う。



(そんな、龍之介さんいなくなっちゃうなんて……)


 悲しそうな顔をする真琴。龍之介がキヨに尋ねる。



「あ、それでキヨさんはどうかしたんですか?」


 龍之介はここに呼ばれた理由を尋ねた。キヨが言う。



「ええ、実は私、持病を持っているんですが、一昨日家で倒れてしまいまして……」


「え? 大丈夫だったんですか!!??」


 驚く龍之介。キヨが笑いながら答える。



「ええ。取りあえず大丈夫だったんですが、本家のある近くの大学病院に長い間入院しなければならなくなったんです」


「入院??」


 驚く龍之介。真琴は下を向いて黙って聞いている。



「だからスマホのお勉強もしばらくできなくなってしまいました」


 最後キヨは笑ってそう言った。龍之介も頷いて答える。



「……そうか、それは、仕方ないことですね」


「ええ、仕方ないです」


 総納得しあうふたりを見た真琴が思う。



(なにが仕方ないのよ!? 全然仕方なくないじゃん!! そんなのイヤ!!)


 真琴が隣に座るキヨを見て真面目な顔で言う。



「ねえ、おばあちゃん」


「何だい?」


 真琴は一度龍之介の顔を見てそして言った。



「龍之介さんに、に住んで貰うってのは駄目かな?」



(え?)


 龍之介とキヨは驚いた顔をして真琴を見つめた。

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