S.10 「わたしの神様」

 さっきまで雨宿りをしていた廃墟が完全に崩れている。

 既に立ち上がっていたおかげで、辛うじて崩壊に巻き込まれることはなかった。が、破壊した彼女としては俺を巻き込みたかったのだろう。瓦礫は俺のすぐ足元まで広範囲に広がっている。一歩間違えたら怪我どころでは済まなかった。

 彼女——リアは、俺から少し離れたところに立っている。何の感情も浮かばない冷えた瞳で、ただじっと俺を見ている。或いは、自分が壊した廃墟を。瓦礫に視線を動かし、改めて俺の様子を確認した彼女は溜息混じりに呟いた。

 

「やっぱり、こんなのじゃ駄目ね」

 

 固い声。込められた殺意は本物だ。リアは俺を殺そうとしている。

 それでも、俺は認められなかった。理解できなかった。だって、楽しかったのだ。短い間だったけれど、一緒にディア・ノクトを歩いた。共に危険を乗り越え、色々な話をした。最初はくっついてくるのが嫌だし面倒だと思ったけれど、いつの間にかもっとディア・ノクトを知ってほしい、俺も力になりたいと考えていた。俺はリアといてずっと楽しかった。彼女もそうだと思っていた。リアと、友達になりたいと思っていた。

 だが「ミーチェ」と呼ぶ人物のために、彼女は俺を殺すという。

 

「『ミーチェ』とは誰だ? 俺が何をしたっていうんだ!」

 

 俺は叫ぶ。リアはにっこりと微笑んで言った。

 

「ミーチェはわたしの親友。逃れられない運命から解き放ってくれた、わたしの神様よ」

 

 瞬間、彼女の顔が俺の額に触れそうな位置まで肉薄する。いつの間にか、リアの背に翼が生えていた。夜に溶け込む蒼翼。彼女はそれでバグよりも速く動き、手元の小さな刃で俺の頸を狙う。寸前、耳元で囁かれた。

 

「覚えてないでしょうけど、

「⁈ 何の、話だ!」

 

 動揺をやり過ごし、俺はリアを突き飛ばした。が、彼女の攻撃は止まらない。人間とは思えない動きで飛び回り、腕や腱、頸に心臓を狙って刃を突き出す。詠うように俺が知らない、考えもしなかった事実を話しながら。

 

「遠い昔。ルブフォルニアではない場所で、あなたが神様だったころ。あなたの魔法によって、わたしは生まれたの。沢山の人間を殺すために、あなたの命令だけに従う存在として」

 

 ルブフォルニアではない場所で、沢山の人を殺す? そのために、俺がリアを作った?

 そんなこと、俺は知らない。覚えていない。そもそも、俺に人間リアを作れるほどの力はない。俺はずっとルブフォルニアにいた。少しの力と勘と運の良さだけをもって。姉と暮らし、ディア・ノクトを探索する日々を繰り返してきた。

 その時、不意に心臓がドクリと大きな音を立てた。

 

 ——果たして、本当にそうか?

 

 確かに今の俺は覚えていない。が、リアの話を聞くたびに心臓が動くのだ。命令が更新されたことを喜ぶように。俺は【シン】。人間とも「彼ら」とも繋がって、神様になるために生まれてきた。だがある日、誰かが俺の耳元でこっそり囁いた。

 

『君は何でもできる。誰でも、君の思うままに動かすことができる。なら、その力をもっと試してみたいと思わないか?』

 

 場面が変わる。笑顔。怯えた顔。床に転がる心臓、心臓、心臓。俺を狙って向けられる無数の刃。そのうちの一本が現実と重なるリンクする

 混乱しながらも、リアの攻撃をどうにか避ける。脚の腱、頸、心臓。彼女は刃で狙う場所ばかりを見つめている。

 

「でも、もうそんなことはどうでもいいの」

 

 言葉で俺を惑わせながら、リアは俺の顔を見ていない。もう俺のことなんてどうでもいいと、己の夢想に浸りながら彼女は微笑む。

 

「もう、わたしにあなたは要らない。わたしは神様を——たったひとりの親友を見つけたのだから」

 

 それは御伽話のように甘く幸せな、運命的な出会い。そうリアは語る。殺すために生まれてきた彼女に沢山のことを教えてくれた。親友だと言ってくれた。あの人のためならなんでもできると、どこか自慢げな顔をして。

 

「ミーチェが足止めしてほしいと言ったから、あなたとディア・ノクトの探索なんてした。そして一度あなたを殺さなければならないと言ったから、今から殺すの」

 わたしに、勝ち目なんてなくても。

 

 悲壮な決意。静かな覚悟を宿した瞳。だが、それすらも俺を見ない。あんなに一緒にいたのに、リアは俺を殺すのだ。俺の世界を壊し、命すら奪おうとしているのだ。

 ——彼女の手が俺の心臓に伸びる。僅かに揺れた瞳。その顔が、

 

「っ⁈」

 その瞬間、俺は唐突に覚醒した。

 

 死なないために、危険を排除する最適解を。そのためには、

 リアが俺から距離を取る。そこにバグの弾丸が飛んできた。俺が魔法陣を刻んだ虫だけじゃない。四方八方から集まってきた千匹近い虫がリアを攻撃している。こんなにいたのか、と俺は他人事のように思う。半分くらいは大した攻撃もできずに爆発した。リアが攻撃したのか、後ろで操っているらしい「ミーチェ」が自爆させたのか。別にどちらでも構わない。俺に攻撃してこないなら良い。少しでもリアの足止めができたら十分だ。彼女の味方が起こしたのであろう爆発すら周囲の廃墟を崩し、リアの動きを鈍らせる。

 百匹くらいのバグが自爆し、まだほとんど形が残っていた建物を倒壊させた。砕けた瓦礫はリアの背後に壁のように積み上がり、彼女の逃げ場を奪う。俺の銃弾は腕へ、残っていたバグの弾は脚の腱を正確に穿つ。仰け反るように仰向けに倒れたリアに向かって俺は駆けた。

 リアが動けないよう、俺は両足で彼女を挟んで馬乗りになる。何匹か、俺の支配を逃れたバグが攻撃してくるが知ったことか。血に汚れた白いワンピースの首元を鷲掴み、リアの頭をぶつかりそうなほどこちらに近づける。細い肩紐ストラップが引き千切れそうな音を立てた時、初めて大きく見開かれた紅玉の瞳が俺を映した。俺は口角を上げる。

 

「やっと俺を見たな、リア」

 

 俺は嬉しくなる。。みんなそうだ。誰も俺を見ていない。俺から離れたところにいる。俺を怖がる。俺を憎む。俺を好きだと言う人は、俺と誰かを重ねている。だが俺が心臓を奪おうとしたら、死を目の前にしたその瞬間だけ彼らは俺を見るのだ。

 でも、もう遅い。俺はリアが好きだった。彼女と友達になりたいと思った。しかし、彼女は裏切り者だ。敵ならば排除しなければ。俺はリアの心臓を奪おうとした。

 その時、彼女がぽつりと呟いた。

 

「本当は、あなたもそう作られただけだったのかしら」

 

 俺は思わず伸ばした手を止める。しかしリアは逃げることなく、己の心臓を握り潰そうとする手をただじっと見つめた。

 

「友達を見つけた神様。自分を知り、他人を知り、あなたは変わっていった。わたし、あなたが自分の思い通りにならないのを嫌と答えなかったことにとても驚いたの。でも、やっぱりわたしはあなたが嫌い」

 

 結局、人を殺す時に笑うあなたが嫌い。彼女はそう、自分に言い聞かせるように小さく頷いて。

 

「だから、簡単には死んであげない」

 

 言葉と同時に、リアは俺の手を力いっぱい掴んだ。

 

「なっ⁈」

 

 俺は慌てる。どうにか振り解こうとするが、彼女は離さない。リアは何をするつもりなのか。俺の動きを抑え、逆に心臓を奪おうというのか。そうはさせない。俺はリアに腕を掴まれた状態で、無理矢理彼女の心臓を奪うことを考える。

 すると、無理矢理なんてものじゃない。腕は掴まれたままあっさりとリアの心臓に向かって動いたではないか。俺は瞠目する。他ならぬリア自身が、俺に心臓を取らせようと掴んだ腕を導いている。俺の動揺を感じたのか、彼女はうっとりと微笑んだ。

 

「心臓が欲しいなら取りなさい。わたしはそれで、わたしとあなたの心臓をミーチェにあげることができるの」

 

 俺は抵抗するがリアが許さない。有無を言わさぬ強い力に導かれて、俺の指先がリアの肌を穿つ。砕けた骨と体組織と血液に塗れながら触れた心臓。己の五指がその複雑な形状を余すことなく握り込んだ瞬間、リアの手に込められていた力が緩んだ。俺は彼女の心臓を掴んだまま勢い良く腕を引き抜いた。

 心臓を奪われたリアは、目を開き僅かに微笑んだまま絶命していた。もう彼女は二度と動かない。しかし、それに動揺するより先に俺は己の手が掴んだものに言葉を失う。

 

(これが、心臓?)

 

 俺は確かにリアの心臓を掴んだはずだ。しかし、今手の中にあるのは。不釣り合いなほど大きな翼を生やした少女の天使像。彼女の顔はリアと似ている。そして、人形の色合いや形状は姉が死んだ部屋に転がっていたものと酷似している。つまり、あの人形は。

 その時、強烈な殺気が俺を襲った。

 

「・・・・・・っ!」

 

 俺は慌ててその場から飛び退く。が、少し遅かったらしい。脚に痛みを感じて確認すると、ふくらはぎに刃で切り裂いたような傷がついていた。幸い腱には達していなかったが、何か武器に仕込まれていたらしい。瞬時に傷口が腐り、俺は堪らず膝をつく。リアの人形心臓も取り落とすが、拾っている余裕もない。俺は姿の見えない敵を探す。恐らく二人。ひとりは何度も感じた強い殺意の持ち主だ。攻撃する必要があるが、位置が特定できない。腕も脚も不自然なほど動かない。バグも反応しない。、状況は圧倒的に詰んでいた。

 ここまでか。少しも打開する策を見出せず、俺は小さく息を吐く。その時、声が聞こえた。

 

「死ぬな」

 

 どこにいるのか。それはエルドの声だった。

 彼はごく短い言葉を届ける。

 

「ここに来い、シン」

 

 その言葉は確信に満ちていた。俺ならできると、当たり前みたいに信じている声。


「簡単に言ってくれる」

 

 俺は苦く笑った。相変わらず勝手なやつだ。友達とも思っていなかったくせに、指示だけ寄越して俺ならやると思っている。

 だが、おかげで少しできるような気がした。小さな光の欠片。ここから逃げられるかもしれないという可能性をありったけ集めて、俺はここから離脱することを願う。どちらにせよ、このまま死ぬわけにはいかない。リアや他の敵が何を企んでいても、俺は決して俺の心臓を奪わせない。

 

 その意思と確信に足る可能性があれば、魔法は成立する。

 

 そして俺は逃げ切った。多分。色々と限界で意識を保っていられなかったから、確認することはできなかったけれど。

 

「無様なものだな、シン」

 

 気を失う直前、エルドの笑い声が聞こえたから恐らく成功しているはず。

 

(お前のそんな笑い声も、今まで聞いたことがなかったな)

 

 喧嘩したばかりだが、警告を聞かず死にかけた俺を助けてくれたエルド。

 再び目が覚めた時、彼は俺とちゃんと話してくれるだろうか。

 ただ、友達になりたい。友達でいてほしい。それだけを思った。

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