S.8 「もっと色々なものを見てみたいんだ」

 リアと歩くディア・ノクトは楽しかった。

 初めは崩れた廃墟に驚き、飛び散った血痕や腐った肉と骨の残骸に顔を顰めていた彼女も、より不思議で面白いものを見るにつれてあまり気にしなくなった。広く明るい道を選んでいることも大きいが、やはりディア・ノクトには訪れた人の瞳を輝かせるものがあるのだと思う。ここには何でもある。果てのない海も、財宝に溢れた洞窟も、神話と伝承、先人の知恵と願いが壁面を埋め尽くす広大な図書館も。

 ただ、時々現れるバグだけはやはりこの世界の汚点バグというべき存在だった。現れるだけで鬱陶しく、武装しているだけで厄介この上ないのに、リアと一緒に行動するようになってから出現頻度が上がった気がする。曲がり角で出待ちされたり、リアだけ集中的に襲われたりするのも厄介だ。助けを求めてかすぐにリアが擦り寄ってくるのも困る。いかんせん慣れていないので、無意識に身体が彼女を突き放してしまうのだ。背後に庇っていたはずが、後ろで尻もちをついてひっくり返っているのを見た時には流石に申し訳なくなった。

 

「大丈夫?」

 

 襲ってきたバグを撃退した後、地面に尻もちをついた姿勢のまま両腕で身体を支えているリアに手を差し伸べる。呆けた顔をしていた彼女は、俺を見上げるとぷくっと小さく頬を膨らませた。

 

「・・・・・・誰のせいだと思ってるのよ」

「ごめんごめん。護りながら戦うのには慣れていないから」

 

 エルドも俺が知る限り戦闘を得意とする人物ではなかったが、そもそもバグが武装していなかった頃は戦闘する必要性が皆無だった。バグは気持ち悪くて邪魔なので撃ち落としていたけれど、他の多くの危険は逃げるか対策を立てて壊すか。情報屋のエルドはそういうことに滅法強い人物だった。彼は俺の自慢の友達で相棒。武器を持って戦うことはできなくとも、俺の足を引っ張るようなこともなかった。

 とはいえ、ディア・ノクトが初めてのリアにそれを求めるのは酷だろう。どうにか彼女を護りながら危険を退ける方法を考えなければならない。

 

(例えば、攻撃する手数を増やすとか)

 

 思いついたところで、再びバグの攻撃。だが、今現れるのはタイミングが良い。

 ・・・・・・いや、悪いというべきだろうか。バグの相変わらずの醜悪さに、俺は思いついたばかりのアイデアをすぐさま破棄したくなった。

 だがまあ、これ以上の方法が存在しないなら仕方ないだろう。俺はため息を吐き、取りあえず飛んでくるバグを撃ち落とすべく拳銃を構えた。

 弾丸を受けたバグ達はなす術もなく地面に墜ちていく。ここまではいつも通り。違うのは、地面に転がるバグがまだ稼働しているということ。俺はその内の一匹に近づき、手で掴んでひっくり返した。

 

「この辺でいいかな」


 弾丸を警戒しながら適当にあたりをつけ、バグの腹部に仲間の折った脚を押し当てる。その時、背後からリアの声が聞こえた。

 

「何をしているの?」

 

 恐る恐るといった風に問いかける彼女の声はかなり遠い。恐らくバグを怖がっているのだろう。俺は背後を見ないまま答えた。

 

バグを攻撃手段に使えないかと思って」

 

 俺は、バグが俺の命令に従うように魔法陣を刻んでいるところだった。(恐らく)バグはただの自動で攻撃する機械で意識はないはずだから、操ること自体は簡単だと思う。魔法陣によって俺の願いを含んだ擬似思考を植え付けて、俺達は味方で支援するべき存在だと認識させる。バグが攻撃手段を得たことが厄介なら、その武装ごと己の武力にしてしまおうという単純な考えだ。

 ただ、見た目が悪いのは否めなかった。気持ち悪いと思いながら、日常の一部としてバグを見慣れている俺ですらそう思うのだ。リアが怯えた顔でバグを見つつ、俺から距離を取るのは仕方ないことだろう。しがみついてこないのは有難いが、あまり怖がらせるのもかわいそうだ。数が多いほうが攻撃手段としては上々であるものの、俺としてもバグの大群を引き連れるなんて冗談じゃない。取りあえず今のところは、魔法陣を刻むバグは三匹で止めておくことにした。

 俺はリアの方を向き、安心させるように微笑んでみせた。

 

「俺が操っているやつは危なくないから大丈夫だよ。危険がない時は距離を取らせておくから」

「・・・・・・そうしてもらえると有難いわ」

 

 リアはひとつ息を吐き、バグの一部が俺達の味方になったことを何とか受け入れたみたいだった。それは良いのだが、では未だこちらを不審な目で見ているのは何故なのか。

 

「他に何かある?」

 

 先を急ごうと思ったが、気になるものは気になる。俺が問いかけると、リアはびくりと肩を震わせ、ばつが悪そうに顔を背けて言った。

 

「いえ。ただ、あなたが他人ひとを気遣うようなことを言うのが意外だったものだから」

「俺のことを何だと思っているの?」

 

 笑い混じりに返す。確かに出会った時は素っ気なかったかもしれないが、それにしたってまだほぼ初対面でなんて言い草だ。リアも流石に失礼だと思ったのだろうか。失言だったというように両手で口を押さえてボソボソと呟く。

 

「だって、こんな場所に住んでいるのに」

 

 見渡す限り廃墟ばかりの街を示してリアは言う。俺は笑って彼女を訂正した。

 

「俺が住んでいるのはディア・ノクトの外だよ。それに、ディア・ノクトが無人の廃都市ゴーストタウンだと思っているなら勘違いだな。この街はとても魅力的で、だからこそ人を集めるんだ」

 

 ディア・ノクトは建物こそ廃墟ばっかりだが、全くの無人というわけではない。恐らく住んでいる人はいないし、都市の広さに比べると少ない。だがディア・ノクトが多くの人の関心を惹いてきたことは確かで、場所によっては探索者同士の交流の場になっているところや市場みたいなものもあるくらいだ。

 ただ、リアの勘違いは俺にも原因があるかもしれない。ディア・ノクトの魅力を知ってもらおうと面白いものや珍しいものを優先して案内したので、都市らしい部分は全然見せてこなかったから。今度は人が集まっているところを教えてあげよう。もしかしたら、リアの記憶やエルドの手掛かりも見つけられるかもしれない。

 とはいえ地図なんてものはないから、勘で賑やかそうな場所に向かって歩く。エルドがいたなら案内してくれたと思うが、俺も勘には結構自信があるのだ。きっと、とても楽しい場所をリアに見せることができるはず。

 いつの間にかエルドを探すことよりも、リアにディア・ノクトを見せることを優先している自分に俺は気づいていた。だって、とても楽しい。偶に面倒なこともあるけれど、誰かとディア・ノクトを歩くのはいつだって楽しいのだ。

 夜空には大きな月。バグの出現はなし。行き先を阻むトラップもなし。珍しく平穏なディア・ノクトの道を、俺は鼻歌混じりに歩いた。後ろをついて歩くリアが声を掛けてくる。

 

「あなたは、ディア・ノクトが本当に好きなのね」


 その言葉に、出会った時のようなこの街に対する嫌悪は感じられない。俺は機嫌良くくすりと笑って言った。

 

「リアも、この街の魅力が分かってきた?」

「汚いし気持ち悪いものも多いけれど、面白い場所だとは思うわ」

 

 ふっと短い吐息が聞こえた。リアも笑ったらしい。

 

「毎日、終わらない夜をずっと探索し続けたら、街がまだ廃墟じゃなかった頃の昼間の姿も見えてくるのかもしれないわね」

 

 遠い夢に思いを馳せるような言葉は、俺にとっても大きな目標だ。いつか、ディア・ノクトの全てを解き明かしたい。

 しかし、それだけでは足りないとも思う。

 

「『終わらない夜をずっと』は嫌だな」

「えっ?」

 

 リアがいかにも驚いたという声を上げる。俺は歩いていた足を止め、彼女の方を振り返って微笑んだ。

 

「俺は、もっと色々なものを見てみたいんだ。ディア・ノクトは世界で一番魅力的な場所だと思うけど、ここだけがルブフォルニアじゃないことも知っている。俺はディア・ノクトの外は家しか知らないから、もっと色々な場所のことを知りたいんだ」

 

 それは二年前、エルドが消える少し前から抱いていた気持ちだった。その頃、姉がディア・ノクト以外の場所について話していたことが大きかったのかもしれない。ディア・ノクト以外の場所というか、ルブフォルニアについて教えてくれた。エルドと様々な国とその国や都市が滅びた理由について話したと言ったら、それに合わせるように。

 ルブフォルニアは幾つかの都市が組み合わさってできた国で、家があるセディナや滅びた都市ディア・ノクトもそのひとつであるということ。全ての都市は情報局というひとつの組織によって統治されていること。既に滅んでいるディア・ノクトを除いてどこに行くのにも情報局の許可が必要で、逆に情報局はこの国に関するあらゆるデータを持っているだろうということ。

 本当は、その話を聞いた後エルドと一緒にルブフォルニアの他の都市に行ってみたいと思っていた。許可なんて知ったことか。「情報局のデータ」も気になりはしたけれど、まずは自分の目で知らない場所を見てみたかった。

 

 だが、それが叶う前にエルドが消えてしまった。

 

 ひと通り話してくれた姉がエルドとも話したいと言ったので二人を会わせた、その直後に。俺はひとりでは行く気になれず、ディア・ノクトに入り浸ってエルドを探した。が、彼は中々見つからなかった。

 

「ようやくエルドと会えたけど、姉さんは殺されるし、エルドもディア・ノクトも何か変だし。でも、全部の謎が解明したら絶対見に行くんだ。この国のことを全部、俺自身の目で知りにいく。リアの家が分かったら俺も会いにいくね」

 

 そのためにはまず、エルドの居場所とリアの記憶を探さないと。俺は再び正面を向いて歩き出す。リアの返事がないことは特に気にならなかった。

 廃墟の角を曲がり、道に散らばった瓦礫を幾つか乗り越えた先。月明かりぐらいにしか照らされていなかったディア・ノクトの夜が、急にぐっと明るくなった。

 

「これは、商店街? いえ、露店街と言うべきなのかしら・・・・・・?」

「ほらね? 沢山人がいるだろう?」

 

 目を見開いたままボソボソと呟くリアを振り返り、俺は指で正面を指し示す。そこは今まで歩いてきた廃墟ばかりのディア・ノクトからは考えられないほどの人、人、人の群れ。陽気な声が飛び交う賑やかな市場の光景があった。

 リアが「露店街」と称したように、ここで商いをしている人々は固定の店を持たない。何なら商いを生業としている人の方が少ないかもしれない。彼らはディア・ノクトを訪れた探索者だ。皆、売るよりも探ることに重きを置いている。だが、見つかったものが必ずしも自分に必要であるとは限らない。たとえそれが珍しく貴重なものであっても。だからこそ彼らは店を開くのだ。建ち並ぶ廃墟の一部を間借りして自分が獲得した「商品」を並べ、探索用のライトやその辺で拾ったネオン付き看板、カラフルなLEDを装飾に買い手を探す。

 ディア・ノクトで安全に売買できる場所は限られるから、露店を開く人々は自然と一箇所に集まることになる。探索者同士のコミュニケーションが活発になる露店街は、様々な貴重品と共に情報も多く集まる場所でもある。店によってはそっちをメインに扱っているところもあるくらいだ。情報屋のエルドも頻繁に出入りしていたそうで、初めて訪れた露店街も彼に案内してもらった場所だったのだが。

 

「ここは、何も変わらないな・・・・・・」

 

 リアを先導して歩きながら、俺は内心で安堵の息を吐いた。今日のディア・ノクトはちょっと変だ。どこを歩いても人がいない。変なものが少ない。エルドと通話しながら歩いた時は俺の記憶を映すように色々現れたけれど、それ以外は俺が必要としているものか俺を邪魔するバグしか現れない。常に違和感が付き纏っていたからこそ、いつもと同じ雑然とした露店街に立つと安心する。心なしかディア・ノクトの空気も普段のものに戻っているような気がした。


「食べ物や飲み物も売っているのね」

 

 明るい声に背後を振り返ると、リアが興味深そうに露店の商品を覗いているところだった。彼女が見ている店は菓子や肉などの食べ物と、アルコール類、コーヒーを売っている。店主が愛想良く笑いながら、リアにクッキーが入った袋を手渡した。俺は露店から少し離れた場所に立ったまま、店の奥を指で示した。

 

「ここは酒場といって、ディア・ノクトの情報をメインに扱っている店だよ。重要な商談をしていることもある。そういうやりとりをするには、酒とつまみやコーヒーと菓子が必須だってエルドが言っていたから」

 

 飲食物を並べたカウンターの向こうには椅子と机が並んでおり、人々が額を突き合わせて何やら話し込んでいる。こういう店は幾つかあるらしい。エルドがそう教えてくれた。情報屋とは食べ物や飲み物が提供され、人々の口が緩くなる場所で情報を集めるものだと。そういう話をしている時にちょうど良く見つけたものだから、彼と一緒に入ったこともある。

 俺の話を聞いたリアは「なるほどね」とひとつ頷き、両手でクッキーの袋を抱いたまま俺の方に視線を寄越した。

 

「今も、あなたが探しているものが情報だから現れたのかしら? それとも神様の思し召し? ねえ、シンはどう思う?」

「何の、話」

「あなたが望むものばかり現れる中、この店はどうなのかって聞いてるの」

 

 意味が分からない。そんなの偶然だ。そう言おうとして息が詰まった。瞬間的に過ぎる違和感。ある日唐突に湧き出した疑問。今日のディア・ノクトは変だ。いつもと違う。だが、いつもが変じゃないと、それに気づいていないだけじゃないと何故言える?

 ああ、そうだ。これが変だと、ディア・ノクトがひとつの街として俺に都合が良過ぎると気付いたのは、エルドが俺の前から消えてすぐのことだった。深く沈めていた記憶に刃が掛かる音がする。エルドがいないから、俺はひとりで調べた。俺が知りたいこと全てを。そして、ディア・ノクトについてひとつの真実に辿り着いた——。

 

「俺は」

「ひっ。こら、やめなさい!」

 

 羽音。いつの間にか俺のすぐ胸元まで肉薄していたリアが、悲鳴をあげて後ずさる。その声で我に返った。バグだ。

 反射的に拳銃を取り出す。すぐに撃ち落とそうとして、それが魔法陣を刻んだ機体であることに気づいた。どうやら敵のバグを排除した後らしい。その割に破片などが散らばっていないから、どこかに逃げただけかもしれないけれど。

 破壊できず退けただけだとしても、防衛手段としては優秀だ。数匹だけでも魔法陣を刻んで良かった。敵と全く同じ姿であることは考えものだが。目印でも付けておくべきかもしれない。

 つらつらと考えていたら、俺から少し離れたところに立っているリアが溜息と共に呟いた。

 

「やっぱりめちゃくちゃだわ」

バグのこと?」

 

 確かに今回、奴が現れるタイミングは最悪だった。おかげで、ついさっきまで何かを思い出せそうだったのが全部吹っ飛んでしまった。一体何を考えていたのだっけ? えーっと・・・・・・。

 

「シンは、この店で情報を得るべきだと思う?」

 

 何とか思い出そうとする俺の思考を遮るように、リアが問いかけた。彼女の指は、飲食物が並べられた酒場を示している。

 俺はうーんと唸った。確かにこの店は、貴重な情報を得られる店ではあるけれど。

 

「リアが入りたいなら入ってもいいけど、できれば他の方法を探したいかな。俺、食べたり飲んだりできないし」

「そうなの?」

 

 リアが目を丸くする。彼女は両手に抱いたクッキーの袋を掲げて「これも?」と首を傾げた。俺は苦笑しながら頷く。

 

「多分、それも。よく分からないんだけど、お酒も料理もクッキーも身体が全く受け付けないみたいなんだ」

 

 俺がこの体質のことを知ったのは、まだエルドとディア・ノクトを探索するようになって間もない頃。彼に連れられて、初めて今見ているような店に連れていってもらった時のことだった。

 様々な飲み物や食べ物が売っている店を、エルドは「酒場」だと教えてくれた。酒場を見つけた時、エルドが普段仕事をしている場所を見てみたかった俺は彼の腕を引っ張って店に入った。エルドは多分恥ずかしかったのだと思う。店内にいた人間に声を掛けられてはぎこちなく挨拶しながら、店の奥へと進んでいった。

 夜闇に慣れた目には眩しいくらい、店の中は明るかった。天井にこれでもかというぐらい付けられた照明。謎の落書きと猫の置物。床に置かれた誰のかも分からないギター。顔を寄せて話さないと声が聞こえないくらい、店内は熱気と活気に満ちていた。

 エルド曰く、賑やかな方が人の口というのは緩むらしい。誰もが笑い自分も楽しくなるような、何でも話せる明るい雰囲気がそうさせるのだろうと。そんな状況を作るのに一役買っているのがお酒というものらしい。

 その時、店員の女性が何か液体が入ったものを俺達のテーブルに持ってきた。

 

『ほら、ちょうど来た』

『これがお酒?』

 

 俺は初めて見る「お酒」というものをじっくりと観察した。持ち手がついた蓋の無い入れ物はジョッキ。その中に入っている琥珀色の液体と白い泡に分かれたお酒は、多分ビール。知識では持っていたが、実際に見るのはそれが初めてのことだった。

 テーブルに張り付いてビールを観察している俺の頭を、エルドが軽く叩いた。

 

『いつまでそんなことしてるんだよ。ほら、乾杯しようぜ』

『乾杯?』 

『二人でジョッキをぶつけ合うんだ。そのままぐぐっと一気!』

 

 エルドに言われるまま、ジョッキを持ち上げてぶつけ合う。カチンっとガラス同士が触れ合う軽い音が響いた。そのまま、エルドは己の口にジョッキを持っていく。斜めに傾けたジョッキから液体が勢い良く彼の口内に流れていく。半分ほど飲み干して、エルドはぷはあっと気持ち良さそうに息を吐き出した。

 

『ほら、シンも』

 

 促されて、俺も恐る恐るジョッキを口にした。エルドのように一気に飲むようなことは流石にできなかったけれど。それでも、少しでも斜めに傾けてやれば液体は口の中に入っていく。独特な香り。泡の感触。苦味のある液体が舌先に軽い痺れを残して、喉の方まで到達する——。

 

 その瞬間、俺は猛烈な勢いで全部吐いた。

 

 あの時の、口から胃が出てきそうな感覚は思い出したくもない。それまで俺も知らなかったことなので土下座する勢いで謝ってきたエルドは許したが、もう二度とお酒は飲まないと決めた。

 が、どうやら俺が駄目なのはお酒だけではないらしい。幸いそっちは口にする前に知ることができた。今のリアみたいにクッキーを貰って家で食べようとした時、姉が止めてくれたので。その時、どうやら俺はお酒だけではなく飲食物を全く受け付けない体質であることを知ったのだ。

 今まで、俺はこの体質を特別なものだと考えていなかった。俺達は食事をせずとも生きることができるからだ。かつての人類は食事によって外部から栄養を摂取しなければ生きられなかったらしいが、どうやらそれは時代の経過で既に乗り越えられた課題らしい。現在の人類は食事を必要とせず、老化もせず、永遠とも呼べる生を生きることができるようになった。少なくとも、姉やエルドが必要に迫られて食事をしているところは今までみたことがない。

 だが必要がなくなっただけで、娯楽や他者との交流という観点での食事は消えていない。人が集まる露店街に飲食物を提供する店があるように。エルドが情報を得るために客と酒を交わすように。そもそもどんな形であれ食事が人間の営みに存在する以上、それを全く受け付けない俺の体質は異常なのだ。リアに驚かれて、初めて俺はそれを知ったような気がした。

 俺だってできることなら食べてみたい。クッキーも他のものも。でも、誰かに止められている気がする。一度吐いて苦しかったせいだろうか。俺は食べるべきではない。純粋であるべきだ。他にすることがあるはずだと言われている気がする。

 少なくとも今は無理だ。しかし、リアが入りたいと言うのならついて行くぐらいは仕方がないだろう。そう思っていたが、彼女はあっさりと酒場に背を向けた。

 

「ま、そろそろ良いわね。ディア・ノクトは十分堪能したわ。移動しましょう」

「えっ君の記憶は? 俺もエルドを探さないとだし、情報は必要なんじゃない?」

 

 すたすたと歩き始めたリアに慌てて声を掛けるが、彼女は止まらない。

 

「・・・・・・そんなもの、探さなくてもあっちから勝手にやってくるでしょう」

 

 確かに、俺は勘には自信があるけれど。

 

「そんな馬鹿な。・・・・・・あ」

 

 早足で通り過ぎかけた道の屋台。売り物として置かれていた古い携帯電話が軽快な音を立てている。予感めいたものを感じて、俺はそれを手に取った。

 

「エルドだろ?」

 

 確信した声で問う。僅かに糸が切れたり繋がったりするようなノイズが聞こえた後。

 

「遅い‼︎」

 

 鼓膜を破る勢いでエルドが怒鳴った。

 

「遅いって、ディア・ノクトにいなかったのはお前だろ。こっちは色々予想外のことが起きて大変だったんだ」

「今どこにいる? もしかして、今シンの隣に誰かいるのか? 多分、蒼い髪の女か白い髪の男」

 

 文句を言おうとしてもこっちの話なんか聞きもしない。どこにいるのか知りたいのはこっちだ。そう言おうとして、エルドが言った人物の特徴でふとリアの方を見る。

 

「蒼い髪の女・・・・・・リアはいるけど」

 

 それがどうしたと言う前に、再びエルドが怒鳴った。

 

「そいつは敵だ。今すぐ離れろ‼︎」

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る