S.4 「俺はずっとお前を探していたのに」

 エルドは俺が見つけた。ディア・ノクトの片隅、崩れた壁がいくつも重なることでできた夜の吹き溜まりのような空間。そこに座り込んで何か作業をしていた彼を、俺が無理矢理引っ張り出したのだ。両手を掴んで立ち上がらせた時の、大きく見開いたエルドの瞳を忘れたことはない。が、きっと彼以上に俺の方が興奮していただろう。初めての友達。エルドに導かれ、共に駆けた場所は、ひとつとして忘れていない。

 だから、俺が今非常に興奮しているのは当然のことだと思う。

 

「エルド、この場所覚えているか? サーカスだ‼︎」

「尻尾が蛇のライオンに食べられそうになったりアホみたいな数の人喰いカマキリに追いかけられたりした場所のことを、そんなに楽しそうに言うのはシンぐらいだろうな……」

 

 エルドが呆れた声を出す。確かに大変な記憶も多い。見渡す限り広い空間には地面に魔法陣が刻まれていて、それは様々な動物達を召喚するためのものだった。蹴りひとつで戦車をボールのように転がし、人間を喰らう幻獣ばかりを。

 初めてこの場所を訪れた時、俺達はうっかり魔法陣を起動してしまった。その結果、超生物だらけのサーカスから命からがら逃げ出すことになったのだ。

 だが、今この場所で魔法陣は起動していない。幻獣も闊歩していない。それでも、かつてとても楽しかった場所であの時一緒にはしゃいだ友達と話している。それだけで飛び上がりそうなほどわくわくしていた。

 しかし、対するエルドはひどくそっけない。

 

「ほら、いいからそこのドア開けろ。黒いやつ。こんなとこすぐ抜けて次行くぞ」

 

 疲れたという口調で先を促す。俺は渋々従いながらぼやいた。

 

「何だよ、二年ぶりだってのに冷たいじゃんか」

 

 二年前のエルドはこんな奴じゃなかった。博識なのに素直で、俺の望みを叶えてくれる。俺が決めたことに従い、楽しいと思ったことは一緒に楽しみ、言い争ったことなんて一度もない。明らかに疲れた様子を隠さないことも、エルドが俺に指示することも。

 とはいえ、今は彼に従う他ない。黒いドアを開け「次は?」と言ったところで、急に通信機越しのエルドの口調が探るような色を帯びた。

 

「シンは、嫌か?」

「何がだよ」

「オマエじゃなくて、オレが指示するの」

「今は仕方ないだろ」

 

 突然言葉の歯切れが悪くなったエルドを不思議に思いながら、俺はとりあえず端的に事実を述べる。それから、少し考えて付け足した。

 

「嫌かは、分からない。エルドが冷たいのは寂しいけど」

「寂しい?」

 

 鸚鵡返しにされて、通信機では分からないと知りながら無言で頷く。寂しい。多分そうだ。自分の気持ちをきちんと言葉にするのは難しいけれど。

 

「だって、俺はずっとお前を探していたのに。ようやくまたエルドとディア・ノクトで遊べるのがめちゃくちゃ嬉しいのに、お前は俺に会いたくなかったみたいだから」

 

 ひとりでは、ディア・ノクトに行っても楽しくなかった。どこへ行っても成果のない日々。エルドの夢を見るまで、毎日悪夢ばかりを見た。

 だから、俺はエルドとまた話せてずっと嬉しい。エルドの態度が二年前とどんなに変わっても、ずっとわくわくしている。

 そんな感じのことを拙い言葉で必死に話していると、突然通信機の向こうからガシャンと何か崩れるような音がした。

 

「エルド? 大丈夫か?」

「あー、悪い。大丈夫だ。ちょっと手元が狂っただけだから」

 

 エルドが早口で答える。ディア・ノクトを彷徨い歩く俺を案内ナビしながら、彼は一体何をしているのだろう。

 尚も心配の言葉を重ねようとした俺を制して、エルドがぽつりと呟いた。

 

「オレは、シンに会ったことだけは後悔していないよ。昔も、今も」

 

 機械越しでもエルドの声は明瞭で、どんな音よりもはっきりと俺の耳に届く。

 

「オレも、できるならオマエともう一度冒険したいと思っている。どこでも、ディア・ノクトの外でも。シンが望むなら、オマエにはその権利がある」

 

 オレはそのために戻ってきたんだ。そうエルドが言う。

 

「確かにシンは沢山間違えたけど、それはオマエだけの罪じゃない。シンがずっと夢の中にいる理由にならない。睡蓮さんに頼まれたからだけじゃなくて、オレがそう思っているからこうして動いているんだ。外に出ることさえできれば、オマエと本当の友達になれるんじゃないかと思ったから」

「ちょ、ちょっと待て!」

 

 俺は慌ててエルドの言葉を遮った。混乱していた。何がなんだか全く分からない。

 俺の罪って何だとか、夢の中ってどういう意味だとか、言いたいことは沢山あったけれど。

 

「姉さんに頼まれたってどういうことだ」

 

 何よりそれが気になった。エルドからメッセージが届いたのは、姉が殺されて襲撃者が現れた直後。偶然にしてはタイミングが良すぎる。彼は姉の死の理由を、事件の犯人を知っているのではないか?

 通信機に向かって声を荒げた俺は、だからこそ前を全く見ていなかった。

 

「・・・・・・って、うわあああ!」

「おいシン、大丈夫か⁈」

 

 足下に開いていた穴に気づかず、なす術もなく最下層まで落ちる。盛大に尻もちをついて着地した俺は、痛む尻をさすりながらエルドの声に「大丈夫」と答えようとして、目の前に現れたものに言葉を失った。それは、見慣れた月光が溢れる大きな窓。

 

 俺が落ちてきた場所は、いつもの姉の部屋だった。

 

 窓、机にモニタと書き物の跡。俺がすぐに入り浸るからって二つ置いてくれた椅子。クローゼット。姉は物をあまり持たない人だった。それでも、すぐに彼女の部屋だということが分かった。血なまぐさい事件が起きた様子なんてひとつもない、椅子に座って待っていればすぐにでも姉が現れて微笑んでくれそうな。

 

「そこは睡蓮さんの部屋じゃないよ、シン」

 

 呆然と立ち尽くす俺を現実に引き戻すように、通信機の向こう側からエルドの声が届く。

 

「オマエは自分の家から脱出しただろう? 窓を割って、真実を知るために、オレに会うために夜道を歩いてきた。ここはまだ、その道の途中だ。シンともあろうやつが、そう簡単に振り出しまで戻されるわけがない。そうだろう?」

「・・・・・・お前は何を知っているんだ、エルド」

 

 確かに俺は歩いてきた。何も分からないまま、何もかも変わったディア・ノクトを。でも、多分一番変わったのはエルドだ。二年もの間、お前は何をしていた? 何がお前をそんなに変えた? お前は、俺の友達のエルドなのか?

 

「オレは、ずっとエルドだよ。今も昔もそうだと思っている。シンと友達にエルドだ」

 

 『顔見れたら全部吐いてもらうぞ』って言ったのはオマエだろ? そう言ってエルドが笑う。

 

「窓を開けて外に出てくれ、シン。その先でオレは待っているから」

 

 エルドの言葉を聞いて俺は窓に手を掛け、一度だけ部屋の方を振り返った。

 既に少しだけ懐かしい姉の部屋。最後に見た彼女の顔は、もう思い出せない。ああでも、そう確か温かかった。死体は冷たかったが、真っ赤な血に塗れた彼女の心臓はあまりにも——。

 

 ガチャ。ガラガラ。

 

 鍵を開ける。窓を開いて足でサッシを跨いだ時、既に姉の部屋は消えていた。現実の俺の家は、アパートの五階にある一室。それを再現するように一瞬の浮遊感を覚えた直後、俺は再び廃墟が層を成す夜の街の一角に立っていた。

 

「あれ、ここ・・・・・・!」

 

 目を見開く。俺はこの場所を知っていた。エルドの指示を待たず駆け出す。待つ意味なんてなかった。何十年経とうと、俺はこの場所だけは絶対に忘れない自信がある。

 瓦礫の向こう。崩れた壁がいくつも重なることでできた、夜の吹き溜まりのような空間で彼が待っている。あの日と同じように。

 

「久しぶり、シン」

 

 躰をうねらせる竜のように揺れる、橙に近い黄金色の髪。明るい緑の瞳。二年前と全く変わらない姿で、しかし少し変わったような気がする笑顔で、エルドは俺に向かって微笑んだ。

 

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