す
ガタンゴトン、ガタンゴトン、ガタンゴトン……
三人は列車に揺られていた。何の変哲もないグリーン車である。酔っ払いのおじさんはべろんべろんになって、座席に幅を占めている。とても迷惑そうにしながらも、傍らで介抱する辺り、少女は人の好さを捨てきれていないようだ。
「さっき、放送で、一号車は普通車両って言ってましたけど、本当、何も起こらないですね」
「正解の車両は何も起こらないということかな。まあ、災難はないに越したことはないな」
社畜の言う通りではあるのだが、少女はまだ高校生とはいえ、子どもだ。好奇心も一人前に持ち合わせている。
「他の車両はどうなっているんでしょうね。気になるなぁ」
「物好きだな。自ら危険に足を突っ込むことはないだろうに」
社畜の指摘に少女は心外そうな顔をする。
「それは社畜さんだって同じじゃないですか。『嫌なやつは皆殺し』の語呂合わせが合っている保証なんてなかったのに乗り込んじゃいますし」
「それ以外方法がないんだから仕方ないと思うな」
駅から脱出する方法は列車しかないだろう。脱出、というか、次の駅に向かうだけだが。列車に乗れば、「巴駅」の怪異から逃れられる可能性はある。
「あー、ところで、その『巴駅』ってーのはどういう話なんだー?」
酔っ払いが酒臭い息を吐きながら、少女と社畜に問う。社畜が心持ち真剣な顔になり、滔々と説明した。
「終電を過ぎた後の時間、『十萌駅』にいると、その看板の『十萌』の文字が一文字の『巴』に変わっていて、改札口からも出られず、不思議な列車が来るんですな。乗る車両を間違えると、あの世へ連れて行かれるとか……」
「けっ、眉唾物じゃねーか」
信憑性がない、と酔っ払いは吐き捨てるが、そこに、少女が付け加える。
「たまにあるでしょう? 十萌市での謎の集団失踪事件。その原因が巴駅だって、その手の掲示板ではまことしやかに囁かれてるの」
集団失踪事件……言われてみると、この時期はそういう話をよく聞く、というのを酔っ払いはうっすら思い出した。だが、それとて本当に怪異の仕業かは定かではない。
山で遭難とか、川で溺れたとか、夏休みのこの時期にはよくある話だ。それなら集団が消えるのも説明がつく。
そう酔っ払いが説明をつけようとしたが、少女が暗い洞のような先の見えない目で告げる。
「実際に巻き込まれてるのにまだそんなこと言うの?」
酔っ払いとて、駅の看板が「巴駅」になっていることは、先程、社畜や少女と一緒に確認した。否定のしようがない。
自分は「巴駅」という怪異に巻き込まれたのだ。
しかし、何だ? この少女が一瞬見せた異様な雰囲気は。なんだか気味が悪い。それに、存在でも否定されたかのような怒りを感じた。
酔っ払いが見直すと、少女はさっきの表情が嘘のように消え、にやにやと人の悪そうな笑みを浮かべている。
「おじさんもしかして怖いの?」
「な!? んなわけあるかアホ!!」
やられた。さっきの表情は気のせいではなくわざとだ。わざと「恐怖心」を引き出すような表情をして、怯えた相手をからかう気だったのだ。糸目で感情の起伏が少なそうな社畜しか他にいないため、酔っ払いが標的にされたのである。
この娘、とんだ性悪である。酔っ払っていたところを介抱してくれたのは有難いが。そう、よく言うではないか。このような危機的状況でこそ、その人の本性が表れる云々。まさにそれだ。
性格終わってんな、と少女をチラ見し、酔っ払いは溜め息を吐いた。
「お疲れですかな?」
「いや、お前にだけは言われたくねー」
アイシャドウを塗り間違えたくらいの色濃い隈の人物に心配されたところで、こちらが逆に心配になるだけだ。というか、社畜は社畜で気味が悪い。
酔っ払いは次の駅に着くまで眠ることにした。なんだかんだ言って、二人共お人好しだから、起こしてくれるだろう、と。
事実、二人は列車が停まると、酔っ払いを起こした。
だが、問題は出た先にあった。
「おい、なんじゃこりゃー」
駅名の看板を見上げる。そこには「巴駅」と書いてあった。
「進んでねーじゃねーかー」
その通りである。が、ホームには腰掛けが四つあり、そこには「3」「444」「222」「55」とそれぞれ書いてある。先程の駅にはこんなものはなかった。
「おじさん、確かに進んでるんだよ、まだ巴駅の中なだけで」
「そうかー?」
「だってさっきこんなベンチなかったよ」
数字が書かれたベンチなんて目立つだろう。見たところ黒の油性ペンのようだ。こんな落書き、迷惑すぎて普通の駅なら拭き取られているはずだ。
普通の駅なら。
社畜はうーんと首を傾げる。
「ヒントかな? でも乗る順番ではなさそうだな」
「ですね。三号車が最初だったなら、終わってますし」
少女が軽く言うが、とても笑えない。
「おい、なんか落ちてんぞー? うわー、旧世代の遺物ー」
「なんですかおじさん? って、それを旧世代の遺物とか言ったらガラケー現役の人に失礼ですよ!」
酔っ払いが拾ったのはガラパゴスケータイと呼ばれる二つ折りになるスマホの前のケータイだ。スマホが一般化し、今ではあまり使っている人も見ないが、商品はまだある立派なケータイである。
「ん? ケータイ……数字……あっ」
少女が酔っ払いからガラケーを取り上げる。急いで文字を打ち始めた。
「できました!」
何々、と覗き込むと、そこには「DICK」の文字。
「ディック? 誰かの名前か?」
「いいえ、確か英単語ですな。意味は『嫌なやつ』」
「何にでも対応する言葉があるもんでー」
へぇ、と酔っ払いは興味なさそうに目を離した。対照的に、社畜は喜んでいる。
「これで例の語呂合わせで正しいことが裏付けされましたな。お手柄ですな」
「んふふ、簡単だよ。数字キーを指定回数分押すだけだもの」
つまり、「3」を一回、「4」を三回、「2」を三回、「5」を二回押せば「DICK」になるという仕組みだ。
「じゃあ次は八号車だね」
そうして、奇妙な列車旅は順調に進んでいた。
──はずだった。
「次でいよいよ最後だ」
四号車に乗り込んだ社畜と酔っ払い。
「うーん、こっちだと思うんだけどなぁ」
二人と意見が分かれて、三号車に乗り込む少女。
運命の分かれ道だと知らずに、それぞれ乗り込む。
そこに耳馴染みのあるお知らせ音がした。
ピンポンパンポーン。
「まもなく、列車が発進致します。駆け込み乗車などは、ご遠慮願いますよう、お願い致します」
これまでもあった、発進前の注意喚起である。
だが、今回は違った。続きがあったのだ。
「尚、この列車は三号車が普通車両となっております」
「……え!?」
社畜が顔を青ざめさせた。無理もない。普通車両じゃないということはどういうことか。乗る順番を間違えたらどうなるか。
そこからの社畜の判断は速かった。四号車から降り、三号車へ駆け込む。そうするしか、道はない。
だが、三号車の前で、足掛けをされ、社畜は地面と熱い口付けを交わすことになった。
「言ったじゃないですかぁ、駆け込み乗車はご遠慮くださいって」
そこには、季節感がとち狂っているとしか思えない冬の黒セーラー服を着た少女が立っていた。足掛けの犯人は彼女だった。
「な、なんで君が」
「ひどいですねぇ。ここまで長旅に同行してくれたおじさんを見捨てて命惜しさに乗り換えですか。とんだ社畜さんだ」
「き、君は一体……」
ふふふ、と笑う声、淡々とした口調。何故今まで気づかなかったのだろう。この少女の声は、巴駅に巻き込まれてから何度も聞いている女性アナウンスの声だ。
目は翠に爛々と輝き、とても先程までの無邪気な少女と同一人物とは思えない。
「でも、社畜さんは降りたから、一度だけチャンスがあります。『嫌なやつは皆殺し』なんてひどい話ですよねぇ。社畜さんを働かせる会社の上司とか、偉そうに先輩面して仕事を押しつけてくる先輩とか、嫌なやつたくさんいますけど、社畜さんは皆殺しにしちゃうんですか? それとも──」
少女の口は上弦の月でも象るように綺麗な弓なりになり、社畜に問いかけた。
「アイシテミル?」
アイシテミル? 九JACK @9JACKwords
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