きーんこーんかーんこーん、きーんこーんかーんこーん、きーんこーんかーんこーん、きーんこーんかーんこーん……

 いつも聞いているような鐘の音でも、学校が違えば随分異なるものとして聞こえる。これは気分的な問題もあるだろうが、学校によって音階が違ったりするのかもしれない。

 鷸成はぼんやりと高校の校門前で思った。夏の爽やかな風がジジジジ、と鳴く蝉の一週間の一部を浚っていく。ふとズボンの裾に目を落として気づく。入学前はぶかぶかに感じた中学の制服が、最近やけにフィットしてきた感じがして、自分も成長しているんだな、と思うことが増えた。無論、精神面はまだまだで、身体的な話である。まあこれはおそらくではあるが、身体的成長に伴って、精神も成長していくのだろうと思う。女子の精神面の成長速度の速さはそういうことなのだと鷸成は考えていた。

 未だに、大人になるということの意味がよくわかっていない。わかっていないのに、気づいたら学年が一つ上がっていて、去年まで他人事だった高校受験が、明日は我が身にまでなってきている。鷸成としては、高校など、楽しければどこでもいいのだが。

 そんなことをぼんやり考えていると、ぬばたまの髪を揺らし、撫子の君がやってきた。高校の制服はまだ一年生だろうに妙に板についていて、相変わらず大人だな~、と感じた。

「鷸成、待ったか?」

「いや、全然。制服、似合ってるね~」

「お前はいつもそういうな」

 撫子の君──夜風が、赤みの強い鷸成の頭をくしゃくしゃと撫でる。学校が違うだけで他人のように感じるのだが、こういう辺りは相変わらず夜風らしいというか。心持ち以前よりもスキンシップが多くなったような気がするのは気のせいだろうか。

 撫でられて悪い気はしないので鷸成は大歓迎だが、本当の弟、夜一にもこうやっているのだろうか。

 夜風に撫でられ、ぽやんとしながら立っていると、校舎から続々と生徒たちが出てきた。クリーム色のシャツが目に優しい。男子はネクタイ、女子はリボンと暑苦しそうだ。まあ、夏服の上から厚手のパーカーを羽織っている鷸成が言えたことではないし、何なら夜風も黒いカーディガンを羽織っている。きちんとボタンまで締めているので、より暑苦しく見えることだろう。

 ただ、向けられるのは奇異の視線よりも不思議そうな、どこか野次馬めいたものが多い。鷸成の耳は相変わらずの働きをし、主に女子がひそひそと話す内容を捉える。

「およ、見かけない子だねー。中学の制服じゃん」

「女の子と待ち合わせとはやりますなー」

「中学の制服? パーカー着てるけど……ああ、ズボンね」

 ……等々。

 鷸成が中学生であることは認識できているらしい。この高校には同じ中学の卒業生も少なくないと聞く。

 そんなことよりたくさん囁かれたのは、鷸成と夜風の関係である。

「え、あれ一年の大和撫子じゃん」

「高嶺の花みたいなのをものにしてんの? あの中坊やるなぁ」

「いや、案外女子の方からだったりして。ほら、あの子校門前で待ってたみたいじゃん。待ち合わせ? ひゅーひゅー」

「年下が好きなタイプかぁ」

 など、とても色めき立っている。

 女子の声の方が多いが、何人か男子も夜風を狙っていたようなので、鷸成は若干憐れんだ。夜風は基本、弟以外の男子に興味がないのだ。学内でイケメンランキングの三本指に入るらしい爽に関しては「異性として意識したことがない」と真顔で答えたことで有名で、その発言は夜風の卒業前、学内をざわつかせた。睦に関してはもっとひどく、「むしろ同性に近い感覚」と発言したことで本人を泣かせた逸話がある。

 鷸成はご覧の通りだ。実の弟より年上と言えど、夜風からすれば年下、弟と年も近いし、弟としてしか扱わない。別に夜風に対してそういうのを期待しているわけではないのだが、男としてどうなのだろうと思う今日この頃である。

「篠宮さーん、その子は?」

「あー、友人だ」

 夜風に声をかけてきた女子がいた。茶髪のポニーテールをゆらゆらと揺らしながらやってくる。健康的な脚線美はとても夜風とは縁がありそうにない運動系の部活を彷彿とさせるが、なんとなく学級委員感も漂う人物だ。鷸成は目を丸くする。陰キャを演じ、というか半ば陰キャだった夜風が、普通に人と言葉を交わしているのがとても珍しかったのだ。コミュ障ではないのだが、夜風は人が何を思っているのかを匂いで読み取れるため、自衛として、人と距離を置いていた。それは小学生の頃からずっとだ。

 それが見たところ普通の子と普通に話しているとは。なんだろう、虚を衝かれたというか、拍子抜けしたというか。いや、もっといい表現があるはずなのだが、鷸成の足りない頭ではぱっと浮かばない。とにかく意外で、思いも寄らない出来事だった。

「え~と」

「クラスメイトだ。仲良くしてもらっている」

「どーもー。いやまさか篠宮さんに年下の彼氏がいるとはねえ」

「あ、いえ、彼氏ではないです」

 周囲が口々に「嘘だろ」とどよめく中、鷸成が続ける。

「弟くんと年が近いんで」

「ああ、例の」

 例のとは。

「まあ、弟みたいなもんだよ。可愛くて仕方ない」

「出たよ、篠宮さんのブラコン属性」

「お前が言えたことじゃないだろ」

「何をぅー」

 なんだか、口喧嘩まで始まってしまった。話題は次第に二人共自分の兄弟の話に傾いていく。夜風は弟、そのポニテ少女は兄について。熱すぎるマシンガントークに周囲がドン引いていき、いつの間にか蝉のカナカナという物悲しい鳴き声しか聞こえなくなってくる。

 鷸成は静かなのは好きだし、虫の鳴き声には雅を感じられるが、まあそれは二人の兄弟溺愛症候群が存在しなければの話である。そしてお気づきだろうか。蝉の声が「カナカナ」になったということはもう夕方である。

「あの~」

 いい加減、口を挟んでもいい頃合いだろう、と鷸成は口を開いた。そこで二人共はっとし、同じように頬を赤らめる。鷸成はおお、と感嘆した。初めて会った少女はともかく、夜風の赤面に遭遇することなど滅多にない。

 夜風はあまり人好きではなく、自身をも嫌っているのか、感情というものを疎んでいるかはわからないが、感情を表に出すことが少ない。そのため、無表情でいることが多く、その面立ちが整っているのが特に際立つわけだが、そこに感情の機微がないが故に、勝手に「高嶺の花」などと称されるわけである。

 そんな夜風が、鷸成や弟の夜一以外を前に、こうして感情を露にして、怒ったりはしゃいだり照れたりしているのは、嬉しいような、寂しいような。学校が違うからこそ、より一層、夜風が遠退いていくような感じがする。それで夜風が楽しいのなら、嬉しいはずなのに。

「よかった! よかちゃんにも同い年の友達ができたんだね~」

 鷸成はにっこり笑った。寂しくはあるが、嬉しいことに変わりはない。鷸成はいつもの人懐こい笑みを浮かべた。

 ポニテの女の子が「おおっ!?」と照れとは違う意味で頬を赤らめる。ハイライトがハートになっていそうなその瞳は、擬音をつけるなら「きゅん」とでもなりそうだ。

「この笑顔は確かに反則級の可愛さだわ」

「そうだろう、そうだろう。鷸成は可愛いんだぞ」

「いや、俺は可愛いよりかっこいいの方が嬉しいな……まあ、よかちゃんがいいならなんでもいいけど……」

「ふっふっふっ、お前を弟属性への沼へと引きずり込んでやろう……」

「ぬあっ、兄属性は、譲らぬ……!」

 なんだろう、この茶番。思わずそう感じた。友達ができたことはできたが、類が友を呼んだだけのようだ。

 それでも友達は友達。鷸成はそう考えることにした。どんな経緯であれ、夜風に気楽な仲の人物が増えるのはいいことだ。夜風と鷸成は二歳差。学校が同じになっても、一年しか一緒にいられない。瞳たちでも入学するのは一年後になる。その分、同級生に友達がいれば、夜風は孤独ではなくなる。とてもよいことだ。

 やはり、去年夜風が言ったことは、正しかった。去年の夏はやはり、「確約された最後の」ものだった。高校に入れば、今までとは異なる部類の人物との交流が起こり、新しい出会いにより、新たな人間関係が構築される。

 夜風がフェイスのメンバーだけの夜風だったのも、去年まで。高校で変わったのだ。

「せっかくだからさ、一緒に行こうよ!」

「え、おデートのお邪魔しちゃっていいのかしら」

 鷸成は思い切り笑った。

「弟とデートはないでしょ~」

 それでも、夜風に甘えられるのは、夜風が変わらず弟のように扱ってくれる、鷸成の特権だ。まあ、夜一にも似たような感じなのかもしれないが、細かいことを気にするのは鷸成の性に合わない。

 どこまでもお気楽に、楽しく。それが鷸成の思うベストだ。

「お散歩は人数多い方が楽しいでしょ~?」

「篠宮さんはいいの?」

「許す」

「どこから目線じゃい」

 女の子同士が仲良くしているのを見るのは新鮮だったので、鷸成は二人と散歩をしながら、見物させてもらった。ポニテ少女の案内で、普段は行かないゲーセンなどに連れて行かれたので、やはり新鮮な散歩になった。

 ──あれからもう、一年が経つ。

 確約された最後の夏は終わった。けれど、生きている限り、何度でもまた夏は巡ってくる。これから先も様々な夏を体験していくことになるだろう。

 けれど、鷸成は思うのだ。去年、フェイスのメンバーで怪異の駅を巡った夏ほど唯一無二でかけがえのない夏は今後、巡ってこないだろう、と。確信を持って言える。

 少なくとも、鷸成は、あの夏を一生忘れないだろう。辛くて苦かった夏を。

「俺は、これ以上大人になれない気がするな~」

「突然どうした?」

「ん~ん」

 あの夏を忘れられずに、自分は子どものまま、置き去りにされてしまうような気がしたのだ。高校生になって、すっかり変わった夜風を見て。

 みんな、前に進んでいる。精神が大人になっていく。

 俺は、あの夏を忘れられないから、ずっと引きずって、ずっと変われないだろう。

 鷸成は、自分がみんなと違うのを自覚していた。それはたぶん、夜風の過去を「ちゃんと見なかったから」だ。

 爽と瞳、睦と箕輪がそうだったが、あの二人組たちは互いを支え合うことを誓って、あの列車から出たのだ。

 鷸成は夜風に支えられただけ。乗り間違えた四号車で、苦しんだ夜風を介抱したけれど、自分がされた分は返せなかった。

 だからきっと弟のままで、却ってそれがいいのかもしれない。

 だからあの夏を後悔しない。夜風とはこのままの関係が心地よいから。

 立ち寄った古い公園で、きぃこ、とブランコを漕ぎながら、鷸成は空を見上げた。

 どこまでも青く目に染みるような夏のことだった。

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