ジジジジジジジジジ……

 夏の暑さに茹だったような蝉の鳴き声。普段なら鷸成が不快に顔を歪めるそれも、今ばかりは静かに聞こえた。

 それもこれも、会長が瞳に罵倒を直球で投げるからだ。

 ──いや、これは罵倒というか、価値観や倫理観、個人の正義、自分の意志というものを問いかけているものだった。「この程度の発言で怯むなら、お前は正しくない」と暗に言っているのだ。

 ティアちゃんを解放したこと、それは六人の長い論議の末に決定したことだ。ただ、論議が長くなるほどの議題だった。瞳だけではなく、それぞれが真剣に向き合って出した結論である。

 爽が一歩、会長に近づく。

「僕らはちゃんと、考えて決めました。多数決なんかじゃなく、それぞれの意志で。それをいきなり出てきた先輩にとやかく言われる筋合いはありません」

「それはどうかしらん? 『先輩にとやかく言われる筋合いはない』の下りはいいけれど、本当にみんな考えたのかな? 双海クン、ワタシはね、意地悪を言っているわけじゃないの。ただ、双海クンや市瀬クンのことを、よぉく理解しているからこそ、疑問に思うんだ。それに、けしかけたワタシには、それを聞く責任もあるんだヨネー」

「責任……?」

「そうだよ」

 会長がにっこり笑う。

「巴の一族はね、この十萌市の裏側を管理する存在なんだ。それは巴の家の者から怪異を出したから。調べれば、もっとたくさんの家から犠牲者は出ているのだろうけどね。ティアちゃんという力を持つ者が加わったことで、この怪異は形になった」

 そのことは理解している。でなければ、怪異の中でティアちゃんだけが特別扱いされる理由もわかるというものだ。

 十萌市に「ともえ」という苗字が一軒しかないことにも説明がつく。

 怪異を生み出してしまった家。巴家はそういう業を担うことになったのだ。

 まさか、昔、娘を生け贄に出して、都市伝説を作った、なんて触れ回るわけにもいかない。隠し事はいつだってバレるものだ。だから巴家は街と同じ「ともえ」の名を持つのに、表は仕切らないのである。後ろめたいことがある者はなかなか表に立てない、といういい例だろう。

「しかも当時は巴の家は呪われているんじゃないかって恐れられたらしくってさ。おっかしい話だよね。生け贄にしたのは村の総意だっていうのに、呪われたのはその家だけだって。

 ……ところで、そういう生け贄によって起こった呪いや祟りを鎮める風習としては、どんなものがあるかな?」

 会長の問いに対し、六人の中でそういう話に詳しい方の夜風が即応する。

「有名なのは、菅原道真に対して取られた方法だな。普通はお祓いなんかが一般的だけれど、範囲が広かったり、土地そのものに被害が及んだりする場合は……おかしな話だが、祟りの原因とされる人物を、神と奉って鎮めると聞く」

「ご名答! さすが篠宮クン」

 まあ、菅原道真の話ならそこそこに有名だ。あれ以外にもそういう神はいる。そもそも神というのは穏やかな者ばかりではなく、和御魂にぎみたま荒御魂あらみたまに大きく分けられるのだが、その話をし出すと長くなること請け合いだ。

 要するに、会長が言いたいのはこういうことだろう、と夜風がまとめる。

「つまり、ティアちゃんが神格化された、ということか」

「話が早いね。まあ、神格化されたのはティアちゃんというよりは巴の家だね。今はもう別の家に宮司を任せているけど、十萌神社は元々はワタシの家で納めていた云々と聞いているヨ」

 十萌神社は小さな神社だ。さして有名でもない。十萌市にある数少ない神社だが、大抵の場合は十萌神社より大きくて有名な神社などに参拝に行く。今は昔、というわけだ。時が経てば、神話レベルの逸話でない限り、神社の成り立ちなど忘れられてしまう。

 そうなってしまったから、ティアちゃんという都市伝説が健在だったわけだ。

「会長、質問です」

「はい、鹿谷クン」

「会長の家が担うこの街の裏とティアちゃんにはどんな関係が?」

 生真面目に挙手した睦からの質問を受け、会長はふふん、と胸を張る。

「よくぞ聞いてくれました! まあ、聞かれなくても話すつもりではあったんだけど……ワタシの家では『ティアちゃん』という都市伝説を管理しているのダヨ」

「都市伝説を……管理?」

 ちょっとというか、かなり意味不明である。

 都市伝説に限らず、学校の七不思議などの怪談、怪異ものは神出鬼没で気まぐれだ。人間が管理するなど到底できないものだからこそ、恐れられる。

 それを管理など、どだい無理な話なのだ。いつ、どこに出るかわからないからこその怪談、怪異なのである。

「ところがね、巴の家はティアちゃんと親しい血を持つからこそ、ティアちゃんという怪異に人為的にアクセスできたんだ。悪どい話だヨネ。『怪異を体内に取り込む』なんてサ」

「あら? 怪異って美味しいんですの?」

「そこじゃないよ、美月さん……」

 すかさず食に繋げる辺りのずれ方はさすが箕輪といったところだが、もちろん論点はそこではない。

 怪異を体内に取り込む。普通に言ったが、これはかなりマッドでクレイジーなやり方である。わかりやすく言うならイカれている。

 オカルト好きの夜風も顔を青ざめさせた。夜風が想像したであろうことを同じく悟った爽が口にする。

「生きている人間の一部を怪異に侵食させることで、その怪異を操作するってこと……?」

「そのとーり! さっすがー、双海クンは頭が回るなぁ。後輩が優秀で先輩は嬉しいヨ、ウン!」

 ここまでの話を総合すると、一体今は「誰が」その怪異の一部になっているのか、想像に難くない。だからこそ、会長はここにいるのだ、と改めて実感させられる。

「じゃあ、会長が『ティアちゃん』を操っていたと……?」

 夜風の指摘に会長はうーん、と悩ましげに眉をひそめて、首を傾げる。

「それが、ワタシもあんまり実感なくてサ。件のティアちゃんとは友達感覚で話してたし、幽霊列車操りましたーって感じでもないんだヨネ。あ、でもたぶん駅のアナウンスとかワタシの声になってたんじゃない?」

 ……聞き覚えがある、と思えば、そういうことだったのか。四号車に乗り間違えたときの人を小馬鹿にするような声なんかはおちゃらけている会長の声と相違ない。

 身の内に怪異を抱える気持ちは、幽霊に取り憑かれやすい睦も、霊障に当たりやすい爽も想像はつかない。愉快ではないだろうことだけは確かだ。それを知る人間から見たら、会長は化け物と変わりないのだろう。

 先程、会長は「怪異を体内に取り込む」と表現したし、こちらも「怪異を体の一部にする」という捉え方をしたが、この様子だとどちらがどちらの一部になっているのかわかったものじゃない。

「大体察したと思うけど、今ここにワタシがいるのは、ティアちゃんが消えたからダヨ。ティアちゃんという怪異との繋がりが消えた。そうしたらどうなると思う?」

 コントロールされていた怪異が枷を外されたことになる。ティアちゃんがいたからティアちゃん以外の者たちも力を持ち、彼らだけで存分に怪異としての猛威を振るえる。

 飼い主を失い、野良になった犬のよう。あるいは、サーカスで制御されない猛獣たちか。解き放たれた彼らはどうする? 怪異はどうなる? この街は?

「当然、都市伝説として、今まで以上に猛威を振るい、無差別に人を狂わせるでしょう」

 答えたのは、瞳だった。

 思うところはあるのだろうが、その目は決意に満ちており、それでありながら静かだった。

 会長が独特な光を放つミントグリーンの目を見開いた。

「おや意外。市瀬クンがまさかそれを承知済みだったとは」

「当たり前ですよ~」

 鷸成がにこにこと告げる。

「俺たちの中で一番頭が回って、原因や行動の結果を的確に求められるからこそ、俺たちのリーダーなんですからね~」

「まあ、その働きは生徒会で存分に見させてもらっているから、知ってるけどサ。なら尚更、どうしてティアちゃんを解放する道を選んだのカナ? 先輩とっても気になる」

 だって、と会長は続ける。

「ティアちゃんとワタシが繋がっているのを知らなくてもサ、ティアちゃんという制御を失った怪異が暴走することは目に見えていたわけじゃん? 市瀬クンは囚われの姫を解放する美談とかよりも、その先に散る人命を優先する、冷酷だけど理知的な人間だと思っていたんだけどなぁ」

 それは褒めているのか、貶しているのか。相変わらず掴み所のない発言をする人だ、と爽は肩を竦め、リーダーを見やった。

 我らがフェイスのリーダーは凛とした眼差しで、真っ直ぐ会長を見つめ返していた。

「確かに、普段の私ならそうしたでしょう。たぶん、これから先もこういう私情的な判断を下すことは少ないと思います」

「私情って認めるんだね」

 口を挟みつつ、会長は潔い瞳の弁論を待った。

「けれど、これから先、この判断をしなかったら、私は一生悔いていた。人一人救えない自分を、憎みすらしたでしょう。ティアちゃんが我々に託した課題はあまりにも身勝手だったけれど、それはティアちゃんが私と同じ、知っている友人より知らない他人を優先してしまう人だったからこそです。それなら、私は一度くらい、知っている友人を思う道を選びたかった」

 空気のような存在として扱われ、自分の存在を認めてもらいたかった睦。

 大事な弟を一歩間違えば殺していたかもしれないことに怯え続けた鷸成。

 弟に嫌われることを恐れすぎた夜風。

 感情を失い、本当の笑い方もわからなくなっていた箕輪。

 大切な人を救うことができなかった己の不甲斐なさを悔い続けてきた爽。

 何より、人一人の命が自分の目の前で零れ落ちる様を見て、妄念に囚われ、亡者の憎しみに身を焼かれ続けた瞳自身が、苦しみを理解し、知るからこそ、ティアちゃんを解放したのだ。

「私たちはこれからもまだまだ生きます。生きていく中で、トラウマを思い出しては苦しむことを繰り返し続けるでしょう。それは生きているのだから仕方ないのです。けれど、それに死んでからまで囚われ続けなければならない、というのは、哀れでなくて、何なのでしょう?」

 つまり、と瞳はそれを一言にまとめた。

「ティアちゃんを愛してみたんです」

 その一言に、とてもシンプルな言い訳に。

 会長は呵々大笑した。

「ふふふっ、さすが市瀬クンだ。物事の真髄を見極めることに特化している」

 会長の目の妖しげな光が和らいで、会長はふっと顔を綻ばせた。

「じゃあ、これからも頑張って、生きてみようかな、ワタシも。最後の仕事を終わらせたら、キミたちを自由にしないとね」

「最後の仕事?」

 これでも、巴家は長らく「ティアちゃん」という都市伝説を管理してきたのだ。母体であったティアちゃんがいなくなったことで、もう怪異に干渉することはできない。

 そんな人間にできる最後の仕事。それは──

「新しい都市伝説の名前、つけようか」

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