ドンドンドンッドンドンドンッドンドンドンッガシャッ!

 乱暴に扉が開けられる入ってきたのは顔だけはいい男と箕輪によく似た三十代くらいの女性。

「ここいらに転がってる子どもたちの親だな」

 瞳が目敏く指摘する。状況証拠だけでも充分にわかることだが、瞳の目は顔のパーツの特徴などを瞬時に脳内で組み合わせることで、より正確に血縁関係であることを実感していた。

 そこから先は言われずともわかる。箕輪の言っていたことだ。この家では父親が暴力を振るって妻を従え、子どもを塵芥のように扱っている。

「くせぇ」

 自分がやったことだろうに、男が不機嫌を前面に押し出した顔で言う。人肉の腐る臭いで鼻がひん曲がりそうなのはこちらとて同じだ。特に夜風の顔色が悪い。

 片付けろ、と女性が言われ、顔を青くする。あろうことか、男は自分の子どもであろうに、燃えるごみにまとめて捨てろというのだ。瞳が苛立ちを隠せず、ぎりぎりと拳を握りしめる音が聞こえた。

 鷸成にも気持ちはわかる。以前見たとき、殴りかかったくらいだ。わかりやすく最低な親である。

 そんな親の下で育った箕輪が異様なのは仕方のないことだろう。むしろ、凶行に走らないのは奇跡的だ。まあ、昆虫食が凶行でないのかというとかなり微妙なラインではあるが。

 とてとてとて、と階段を降りてくる小さな足音。箕輪とその姉だ。美陽といったか。

 包丁を手に、死体を解体しようとする母を見て、朗らかに問う美陽。

「お母さん、ごはん?」

 美陽には、それが譬人間のものであろうと、肉であれば「ごはん」なのだろうか。殺した人間の体を解体してシチューになんかして、死体という証拠隠滅はよくミステリーで見る。最近ではカニバリズムという人肉食の世界観の話もある。だが、現実で人はそんなことはしない。するわけがない。瞳たちはそう思っていた。

 それぞれにそれぞれのトラウマがあって、苦しんできた。けれどまだ、自分たちは恵まれている方なんだ、と両親の留守中に食べたものについて語らい合う姉妹を見ながら思った。

 蛆虫、小蝿、蚊、ゴキブリ。食べるなんて思想とは程遠い言葉の羅列。それらをすらすらと食レポしていく辺り、もう既に味覚異常はあったのだろう。二人共。

「しかし、何度見ても違和感を感じるな。我々が知っている箕輪美月はどう見ても姉の美陽の方だぞ」

「まあ、性格はね~。むっちゃんは改めてどう思う~?」

「うーん、なんとなくだけど、箕輪さんは美月さんの方だと思う」

「根拠は?」

「ない」

 瞳は一つの可能性を思い描いていた。実は睦も同じことを考えていたのだが、睦は己の勘からその可能性を否定していた。

 瞳が描いた可能性。それは自分たちの知る「箕輪美月」は「佐藤美月」ではなく、「佐藤美陽」の方なのではないか、ということ。美陽の方が今の箕輪に近い性格をしているし、箕輪が言っていた「いつからか感情が切れてどうでもよくなっている」という条件に当てはまるのではないだろうか。

 美陽と美月は双子だ。片方が死んだのなら──箕輪に兄弟がいるという話は聞かないので──名を偽ることも可能だ。それくらい同じ顔をしている。見分けがつくのは性格と雰囲気の違いでのみだ。

「気色悪いこと言ってんじゃねえ!!」

 父親がどかどかと階段を上がり、美月の方を引っ掴んで階下に落とした。べたん、と成す術なく落とされた美月。色々食べたとはいっても、栄養失調であることは疑いようもない彼女は受身を取ることすらできず、床に叩きつけられる。目は開いているが、果たして意識はあるのだろうか。

 美陽はにこにこしたままだ。けれどそのもう一人の娘を前に、男は怯えていた。妹が受けた仕打ちをなんとも思っていないような変わりのない笑顔。それがとても恐ろしく感じる。

「お父さんったらひどいわぁ。私たちはお父さんたちの子どもなのよぉ? 床に叩きつけるなんて、とっても痛いんだからぁ」

 本当にそう思っているのか、疑わしくなるほど、美陽の笑顔は崩れない。

 ただ、瞳が顔をしかめる。

「双子は痛みを共有することがある、という話は聞いたことがある」

「離れた場所で、片方が怪我をすると、もう一方も同じ箇所が痛くなるっていう話だね。双子じゃない人たちの間では、一種のホラー現象として扱われることもある」

 ホラーは言い過ぎかもしれないが、原因不明の怪奇現象としてよく耳にする話だ。

 美陽はにこにこ笑顔だが、もしかしたら、床に落とされた美月と痛みを共有しているのかもしれない。

 睦は違う意味でぞくりとした。もし、痛みが共有されているのだとしたら、とてつもないもののはずだ。それをけろりと笑ってやり過ごしている、そんな美陽が怖かった。まるで、人間であることをやめてしまったかのように見えて、悲しくなる。

「お前は! お前は俺の子どもなんかじゃない! 俺に子どもなぞいない」

「あらぁ」

 父親の宣言に、美陽は目を狐のように細める。

「何人も物的証拠がありますのにぃ、そんなこと言ってもいいんですのぉ?」

 ぐぬ、と男は押し黙る。

 美陽が物的証拠、と言ったのは当然、そこらに放置され、半ば腐敗している兄弟たちのことだ。証拠という言葉は犯罪を連想させる。そこに物的とついたらもう言い逃れはできない。

 暗に美陽はこの家庭内暴力を密告するし、密告できると示しているのだ。

 この暴力しか脳がなさそうな父親を真っ向から挑発するとは、やはり正気の沙汰ではない。こういうところは箕輪そっくりだ。双子だからだろうか。

「やめて、美陽!」

 そんな娘の挑発を止めに入ったのは母親だった。自分も被害者であるのだろうに、どうやら夫の暴力が周囲に明らかになるのを恐れているようだ。もしかしたら、暴力を愛だと思っているのかもしれない。

 哀れな母に美陽は小首を傾げる。この娘も娘で悪意が全くないのだ。瞳たちがそう受け取ってしまっただけで、実際は父を告発するつもりなど微塵もないのかもしれない。

 そこに父親が割って入る。というか、自分を擁護してくれたはずの妻を蹴り飛ばす。

「誰が喋っていいと言った? それにこいつは生まれてすらいない。名前なんかない」

 とんだクズ親である。自分の子どもに名前なぞないとはどういう神経をしているのか。

「……いや、『生まれていない』……? まさか、出生届けすら出していないというのか」

 瞳が思い至り、顔色を悪くするのに対し、鷸成が疑問符を浮かべる。

「出生届け出してないと名前ないの~?」

「まあ、戸籍は登録できないんじゃない?」

 睦が簡素にまとめる。大体そういうことだろう。

 爽が頷いた。

「なるほどね。箕輪の家に拾ってもらえていなかったら、今の美月ちゃんはないってわけだ」

 無戸籍児というのは取り扱いが独特で、なかなか簡単には解消できないものである。というのも、戸籍を取るというのが実は事細かな条件がたくさんあり、大変なのだ。詳しくは瞳や爽も知らないが。

 生まれてから時が経つにつれて、より面倒になっていき、実年齢が二十歳くらいの人でも取るのが難しいとのこと。

「まあ、いつから生まれて生きていますって証だからね。いつ生まれたのかわからないと。記録とも照らし合わせなきゃだし」

 そういう点では力のある箕輪の家ではすぐに素性を調べ上げ、戸籍を獲得することが可能だっただろう。納得である。

 この父親は子どもの存在そのものを「ないもの」として扱い、子育ての義務から逃れているのだ。そもそも子どもがいないのなら、「児童虐待」を疑われることはない。黒い抜け道である。

「俺の許可なく勝手に喋るな。貴様もだ」

 ぱしぃん、と美陽の頬を張る父親。それでも美陽は笑顔を崩すことなく、頬を腫らしていた。

「じゃあ、『ごみの片付けは私たちがやりますので許してください』」

 美陽は動揺を一切見せず、言い切った。

 ごみの片付け、つまりは兄弟たちの亡骸を片付けるということだ。おそらくだが……食べるつもりだろう。

「は……?」

 その意図に気づいているらしい父親が、ありありと顔に恐怖を浮かべる。

 それもそうだろう。何も知らない人から見たら恐ろしい話だ。「人を食べる」など。そんなことするのは空想上のモンスターや鬼やドラゴン、人外ばかりだ。

「貴重なお肉をただ捨てるなんてもったいないですわぁ。それに美月と二人なら、これくらいすぐぺろりですわよぉ? ごみの日が来るより早いですぅ」

 父親が悩む。いや、そもそも前提が全ておかしいのだが、人肉を食べさせるのも道徳的ではないし、人肉をごみに出すのも人道的ではない。

 この双子は腹を空かしている。もっと食べたいとせがむ。それが父親には鬱陶しくてならない。

 双子に肉を食べさせることで、部屋の臭いや邪魔なごみがなくなるばかりでなく、双子の食欲も抑えることができる。利点しかない。

「……自分で捌け。あまり部屋を汚すな」

 男は妻から乱雑に取り上げた包丁を美陽に差し出す。美陽は手を切らないように受け取り、わぁい、とはしゃぐ。

「やったわ美月ぃ、久しぶりのお肉よ!」

「本当だ」

 この子たちの倫理観も壊れている。こんな普遍には遠く及ばない家庭で育ったためだろう。嬉々として兄弟だったものを包丁で捌き、水洗いする姿は、この世のものとは思えなかった。

「何フライパン使おうとしている。汚い」

「お肉は焼かなくてもくにくにした食感で美味しいけれど、お腹壊しちゃう。それにおうちからいい匂いがした方がいいでしょう?」

 美陽は父親の扱いに相当慣れているようだ。他の兄弟が死んだ中で、この双子だけが生き残っている理由がわかったかもしれない。

 姉の美陽が年不相応に強かなのだ。心が壊れているのかもしれないが、暴力に物を言わせる成人男性を黙らせるほどの物言いはよほどの胆力がないとできない。

 じゅー、と普通の肉を焼く要領で、美陽は人肉を焼いていく。ステーキのように焼き上げたり、茹でたり、調味料と混ぜたりして、様々な料理を作り上げ、美陽は美月と一緒に二階へ引っ込んだ。

 視点が双子に変わり、二人で料理を囲む。美月の表情が優れない。

「どうしたの、美月。冷めちゃうよ?」

「何も、思わないの?」

「え?」

 美月は思い切って姉に切り出す。

「これ、全部、私たちの妹や弟だったものなのよ? 何も思わないの?」

「思わないわ」

 即答だった。睦は過去を語ったときの箕輪の表情と美陽が重なって見えた。

「私は何も思わなくなった。自分のこと以外、どうでもよくなったんだ。美月はね、私とおんなじだから、私の半分だから、一緒に生きるの。他はどうでもいい。お父さんもお母さんもどうでもいい。頬っぺただって、全然痛くないんだ。でもそうなったのはきっと、美月に与えるためなの」

「与えるため?」

 美陽は太陽のように翳りのない笑顔で宣言した。

「そう。私に何もなくなっちゃったのは、きっとそれら全部を神様が美月に譲ったからなの! だから、美月が幸せなら、美月の半分の私も幸せってことになるの」

 倫理観が壊れている、と言ったが、語弊があった。

 美陽は妹思いの良い姉だ。欠落だらけになってしまったけれど、妹への愛だけは失っていない。

 それだけでも、ましなのだろう。

「さ、食べよう」

「……うん」

 こんな、互いを思う睦まじい姉妹の間に何が起こるのだろうか。

 場面が変わるのだろう。部屋が暗転した。

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