ピルルルルルッ、ピルルルルルッ、ピルルルルルッ、ピルルルルルッ、ピルルルルルッ……

 けたたましい着信音。耳が抜きん出ていいわけでもない睦でさえ、顔を歪めるくらいの不愉快さ。

「うるっさいんだよっ! もう!!」

 これに耳のいい鷸成が反応しないわけがない。

 鷸成が夜風に突き飛ばされて、気絶していたので心配していた睦だが、杞憂だったようだ。座席に頭をぶつけていたから、脳震盪を起こしたのかもしれない。

 ただ、相変わらず夜風の様子はおかしいままだ。鷸成が起き上がったことに気づいていないようで、鷸成が倒れていた場所を凝視して、顔を青くしている。状況はあまりよくないのだろう。

 鷸成は乱雑にスマホを取り出し、ぴっと受信ボタンを押す。鷸成でなくとも耳に当てずに聞こえる音量で、女性の声が問いかける。

「アイシテミル?」

 その問いかけに鷸成が怒鳴った。

「当たり前だろ! よかちゃんに何したか知らないけど、殺したら許さないからね!」

 まあ、電話は勝手に切れたのだが。決意表明として、鷸成の発言は充分だった。

 ふらっと倒れる夜風を鷸成が受け止める。その悲嘆に暮れた表情に、鷸成は切なげに顔を曇らす。

「俺は絶対によかちゃんを不幸にはしないから」

 ……ある意味、告白よりすごいことを言っているのだが、なんだろう、鷸成が夜風に言う、というシチュエーションは恋愛というより、家族愛とか姉弟愛のような雰囲気で、リア充爆発とか言うのは不謹慎なような気がするのだ。

 鷸成は夜風を背負うと、睦たちの方にやってきた。

「えと、出口は?」

「確保済みですぅ」

 箕輪が生き生きとした表情で掛矢をふりふりと振る。その向こうにはとても木製の掛矢でやったとは思えない惨い風穴の空き方をしている。思わず鷸成の笑みもひきつった。

 ただ、間違えた車両に乗った瞳たちを逃すまいと再生する車両。それはもう列車ではない。

 が、それよりも異様なのは箕輪の即応力。再生してくる壁をドコスカバキィッとものすごい音を立ててぶち壊していく様は、爽快でもあるが、恐ろしい。掛矢はもはや彼女の相棒である。子どもの胴ほどはあるであろう頭、それに伴う重さを一切感じさせない様は堂に入っている。

「でも、ここから出るって言ったってどうするの? 正しい車両に乗り移っただけで正常な場所に戻れるとは思えないんだけど~」

 ひょこひょこと四号車と三号車の境目を越えながら、鷸成はリーダーに伺う。瞳は少し悩んだ風だったが、鷸成と夜風がああだこうだとしているうちにある程度考えはまとめていたのだろう。すぐに答える。

「飛び降りよう」

 正気の沙汰ではなかった。

 固まる鷸成に瞳は箕輪を示しながら訥々と語る。

「箕輪にタイミングを見て出入口にドアを破壊してもらう。この列車、おそらくいくつかの駅を巡っている。窓の風景に時折プラットホームが映るからな。タイミングよく壊して駅に飛び移れれば御の字だ」

 もう列車を破壊することに違和感を抱かなくなっている。これもまた瞳の順応性だろう。

 フェイスのリーダーはこういう作戦を滅多に間違わない。他に案があるわけでもないので、誰も反対しなかった。どれくらいの速度で列車が走っているかわからない状況、そこでピンポイントに駅に飛び降りるというあまりにも無謀な作戦。

 だが彼らは知っていた。瞳は勝算のない作戦を実行するような向こう見ずな人間ではないと。だからこそ信頼している。

「窓は開けられなくとも、箕輪に壊してもらえばいい。爽がおおよその速度を測り、私がその速度に動体視力を合わせる。私の合図で箕輪がドアを壊したら、一斉に飛び移る」

 それは各々の個性を生かした作戦だ。何日後にどんな天気がやってくるかわかる爽は風速から時速を計算することも可能だろう。瞳の「目がいい」のは単純な視力だけではない。色覚や夜目もあるし、動体視力もずば抜けている。頭脳明晰なこともあり、逆算はお茶の子さいさいだろう。

 常人にはできない。けれど、彼らにはできる。もしかしたら、選ばれたのはそれが理由かもしれない。ティアちゃんはこれをわかっていたんじゃないか。

 いや待て。何故睦が知り合っただけの幽霊がそんなことを知っているのだろう。

 謎が色々と深まっていくが、とにかく、今は脱出に集中した方がよさそうだ。

「鷸成、篠宮先輩を頼めるか?」

「もちろん!」

「いい返事だ。チャンスは一度きりだ。一斉にに飛び降りるんだぞ」

 窓はやはり開かず、箕輪が掛矢を振るった。ガラス片が飛んでこない辺り、これは実物の列車ではなく、幽霊の体のようなもので構成された列車なのだろう。

 爽が手で風に触れる。ものすごい風が吹き荒れており、髪の靡き方が尋常ではない。列車は飛行機を除けば最速の乗り物だから当然だろう。

 爽が瞳に体感速度を伝えると、瞳は頷き、窓の外の景色をじっと眺めた。箕輪が掛矢を握り直し、睦と鷸成にも緊張が走る。

 瞳は視界の隅に窪んだ場所を捉える。

「今だ!!」

 箕輪が掛矢を振るう。しっちゃかめっちゃか振り回し、一車両分の壁が壊れる。一同は座席ごと吹っ飛ばされたそこを蹴り、絶妙なタイミングで通りすぎようとしていた駅へ転がり込んだ。

 列車が轟々走り抜けていくのに、睦は震えた。あとほんの瞬き一つ分でも遅かったら、自分たちはどうなっていたか。想像するのも恐ろしい。

 ともあれ、脱出には成功した。あとはここがどこかである。

 瞳が壁を見た。そこには派手な色で「Massacre」と書かれていた。これはおそらく「皆殺し」の語呂合わせの始まる最初の壁だ。

 この前の「DICK」のときとは対照的で、妙に鮮やかだったのを覚えている。そして、「DICK」とは逆に、徐々に不鮮明になっていったことも印象的だ。まるでまた何か別な文字が仕込んであるような。

 もしかしたら、四号車に乗る前に、睦と意見が分かれた原因がこの壁にあるのかもしれない。

「次の列車が来る前に壁を調べよう」

 そこで瞳は鷸成を見た。

「篠宮先輩は……」

「まだ寝てる」

「というかお前赤まみれだぞ。紛らわしい」

 そう、鷸成は先程の列車でついた赤い汚れをそのままにしていた。少し黒が混じったようなそれは血の色に似ていて紛らわしいことこの上ない。

「怪我はないよ~」

「そういう問題でもなかろう」

「でもさ~、洗う場所もないし、着替えもないから無理なんじゃない~?」

 それは確かに。ではどうしようもないので放置するしかない。夜風が起きたとき気絶しないといいのだが。

「お顔だけでも拭きましょう?」

 箕輪がハンカチを取り出す。良家のお嬢様なので、生地が値の張りそうなものだ。鷸成は慌てて自分のポケットからハンカチを取り出した。

「だ、大丈夫~。自分で拭くからさ~」

 肌触りのよさそうな生地だったが、さすがに高そうなので、鷸成は全力で遠慮した。

 ハンカチ程度の布面積では顔の汚れを取るのでいっぱいいっぱいだったが、まあ、何もしないよりはましだろう。あと一歩遅ければ、夜風も赤まみれだったにちがいない。これは鷸成のファインプレイである。

「はぁ~。俺は疲れたよ~」

 鷸成が壁に寄りかかる。夜風は片隅に座らせていた。

 疲れるのも無理はないくらいどたばたした。一番働いたであろう箕輪が一滴も汗を流していないことが異様だ。

 だが、まだ終わったわけではない。なんとかセーブポイントに戻ってくることができたが、謎は残ったままだ。「皆殺し」の語呂合わせでないとしたら、一体何なのだろうか。

 瞳は壁をじ、と見る。夜風が倒れて匂いで嗅ぎ分ける手段がない以上、あとは瞳が目で見て違和感がないか確かめるしかない。考えてみると、この最初の一枚以降、色が薄れていくにつれ、「Massacre」の文字に違和感を覚えた。まるでその正体を暴かせないかのように列車がすぐ来たため、確かめることができなかったのだが……。

「鷸成、ちょっと避けてくれ」

「は~い」

 鷸成が文字に被るようにして寄りかかっていたため、退いてもらう。

 すると、鷸成のいたところには斑に赤い塗料がつき……

「ん?」

 斑、というか、なんだか線みたいなものが浮き上がって見える。

「爽、これ、どう思う?」

「ん? どれどれ……」

 瞳に聞かれた爽は壁に触れてみた。線のようなものが浮き上がったところと他の部分を比べる。次第に目が見開かれた。

「何か書いてある」

 ちょっと待ってね、と爽は壁を撫でながら確かめていく。普通の人なら気づけない程度ではあるが、肌触りの違う場所がある。それは曲線だったり、交わったりしていた。

 爽が鷸成に告げる。

「鷸成くん、壁一面にスプレー噴きつけてくれる?」

「了解~」

 スプレー缶を取り出した鷸成は、壁の全面にまんべんなくスプレーを噴きかけた。夜風は箕輪が抱き上げて、コンクリートの壁が一面黒のスプレーで満たされる。

 が、それだけではなかった。

 コンクリートの色と「Massacre」の色が混じりつつも、そこには確かなメッセージが浮かんでいた。

「殺さないで!!」

 決死の叫びのようなその文字は、おそらく正解の語呂合わせだろう。「5637110」となるはずだ。

 最初の電卓はヒントであり、「Massacre」の文字と同じくミスリードだったわけである。

 通常、「嫌なやつ足す嫌なやつは皆殺し」で語呂合わせを暗記しているから、「皆殺し」が正解だと思ってしまう。電卓がより一層それを信じさせる。瞳たちはそのミスリードに見事に引っ掛かってしまったというわけだ。

「三、七、五、六まではよかったが、四ではなかったわけだ。なるほど」

「嫌なやつを足したわけじゃないからね。なるほど」

 四号車から脱出できたのは奇跡と言えよう。でなければこれに気づくことはできなかった。それに、睦の勘は当たっていた。

「でも、御守りが壊れてしまいましたわぁ」

 箕輪は塵と化した緑の御守りを手にする。命の危機から御守りが守ってくれたのだろう、という感謝と御守りがこのレベルで壊れるってというとても笑えない状況に、睦はどんな顔をしたらいいのかわからなくなる。

 睦も持ってきていた御守りを確かめると、半分くらい量が減っていた。

「俺とよかちゃんのも二つ共ぶっ壊れてる~」

「私もだ」

「僕のも」

 睦以外全員残機0。もうミスはできない。

「僕の分けましょう。一人一つずつしか持てないけど、ないよりはましです」

 睦の御守りは自分以外の者の身代わりにもなってくれることが実証されている。全員に配られ、未だ目を覚まさない夜風には服のポケットにそっと鷸成が入れた。

「で、次は~、三号車?」

「そうだな。もう一度箕輪の過去からスタートだ」

「……」

 箕輪が押し黙る。珍しいことだった。いつもなら「あらぁ、お恥ずかしいですわぁ」などと言って笑うのだが。

 睦が箕輪の手を取る。

「箕輪さん」

 箕輪がぱっと顔を上げると、睦が真っ直ぐな眼差しで告げる。

「どんな過去でも、どんな箕輪さんでも、僕たちはちゃんと受け入れるから。信じて」

 箕輪は睦の眼差しに眩しそうに目を細め、それからふい、と目を逸らした。

「私が信じられないのは、私自身ですわ」

「え?」

 箕輪の意味ありげな発言の直後、汽笛が聞こえてきた。

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