ガタンゴトンガタンゴトンガタンゴトンガタンゴトンガタンゴトンガタンゴトンガタンゴトンガタンゴトンガタンゴトンガタンゴトンガタンゴトンガタンゴトンガタンゴトンガタンゴトン……

 列車が徐々に近づいてくる。ライトがホームを照らした。その明るさを見て、今何時なのだろう、と疑問に思う。終電は日を跨いでだったので、草木も眠る丑三つ時だろうか。

「間もなく、蛻苓サ翫′蛻ー逹?閾エ縺励∪縺吶?ら區邱壹?蜀??縺セ縺ァ縺贋ク九′繧翫¥縺?縺輔>」

 先程とは違い、またわけのわからない音声に戻っている。まあ、白線の内側にいれば何事もなく済むだろう。

 やがて、汽笛と共に列車が停まった。入る前に、瞳が指示する。

「篠宮先輩、鷸成の手を離さないでやってくれよ」

「わかった」

「リーダー、どゆこと~? まあ、よかちゃんと手ぇ繋げるのは嬉しいけどね~」

 他の皆が姉弟のように手を繋ぐ二人の微笑ましい姿をただ見る中、爽だけは気づいていた。──瞳もまた、この列車の法則性に気づいたのだ。

 中に入ると相変わらずのグリーン車であるが、五号車は何故か、今までなかった優先席の張り紙があった。

「優先席ってあんまり座りたくないよね~」

「わかる。いざおじいさんおばあさんとか来たときに避けるくらいなら最初から立っとく」

「あ、むっちゃんそのタイプ~? 俺もなんだ~」

「え、意外」

「なんだと~」

 言い合いになりそうな二人にわざとらしくこほん、と咳払いをする瞳。

「車内では静かに」

 ……一号車で泣き喚きまくったのはどこのどいつか、というのは、突っ込まない方がいいのだろう。

「お二人は優しいんですねぇ。私はわりと平気で座ってしまいますわぁ」

「……私は隅っこがいい。列車もバスも、混んでいるのは嫌だ」

 生徒会所属の優等生二人はもちろん、どんなに自分が具合悪くとも優先席に限らず、席は譲るタイプだろう。

 なんて話をしているうちに、歪んだお知らせ音が鳴る。

「間もなく、蛻苓サ翫′逋コ騾イ閾エ縺励∪縺吶?るァ?¢霎シ縺ソ荵苓サ翫?縺秘□諷ョ縺上□縺輔>」

 何を言っているかは全くわからなくなったが、前半戦で毎回律儀に放送していた駆け込み乗車への注意喚起だろう。誰が駆け込み乗車をするのだろうか。

 まあ、謎のままの方がいい謎もある。六人は黙って発車を待った。

 けたたましい汽笛と共にドアが閉まり、列車がゆらりと動き始める。

 ぐいーと慣性の法則で隣に倒れ込みながら、鷸成が苦笑いする。

「ちょっと思ってたけどさ~、この列車運転荒いよね~。動くときも止まるときも~」

「映写機見てるときは気にならないけどね」

 そう。どう考えても運転が荒い。だから慣性の法則が強く作用する。両手に花状態の向かいの爽はどちらに傾いても美味しいのでくたばれと睦が密かに思っているのは内緒だ。

「でも、立たないで済んでるだけましか~。立ってるとそれだけでしんどいからね~」

「まあ、確かに。……列車やバスはできれば座りたい」

「でしょ~。よかちゃんは本読むしね~。あ、でも手すりに体巻きつけて固定して本読んでる猛者見たことある~」

「凄まじい。読書への執念だな」

 そんな他愛もない話をしていると、音程が微妙にずれているお知らせ音がもたもたと鳴った。

「縺比ケ苓サ翫>縺溘□縺阪?√≠繧翫′縺ィ縺?#縺悶>縺セ縺吶?ゅ%縺ョ蛻苓サ翫?莠泌捷霆翫′特別車両縺ィ縺ェ縺」縺ヲ縺翫j縺セ縺吶?ゅ←縺?◇縺頑・ス縺励∩縺上□縺輔>」

 相変わらずの聞き取れない言語だ。続くお知らせ終了音も半音ずつ音を外したような間抜けなメロディに聞こえる。

「今度は誰だろうね~」

「鷸成」

「どしたのよかちゃ」

 夜風が目を見開く。不安で強く握りしめていたはずの鷸成の手が、ふっと消えて空気になったのだ。言葉も途切れた。

 夜風は途端に不安になる。自分から嫌な臭いがする。自分の感情臭だ。自分の臭いほど自分ではわからないもので、夜風でも自分の感情臭を感知するのは難しい。けれど、今は嗅いだだけで肌が粟立つような感覚の感情臭が自分のものであることがわかった。

 鷸成がいないと、夜風は脆い。鷸成の匂いはいつも夜風を安心させてくれる。どんなに嫌なことが自分にあっても、明るく元気で、心の底からちゃんと笑いかけてくれる鷸成からは日だまりのような匂いがする。あの赤い髪みたいな温かく、けれど激しくはない柔らかい香り。

 みんなは鷸成が夜風に甘えているように見ているようだが、本当は違う。夜風が鷸成に支えられているのだ。

 落ち着け、落ち着け、と震える手をどうにもできないまま、夜風は自分に言い聞かせる。電気も消えたから、暗闇だ。幸い、暗闇は嫌いではないのだ。落ち着け。

 そう思っていると、知らない体温が自分に触れた。

「篠宮先輩、無理に落ち着かなくていいです。鷸成くんが、いなくなったんですね」

 睦だった。年下である鷸成より、その手は華奢に感じられる。体温は鷸成より低く、少しひんやりとしている。

 暗闇で見えないだろうが、夜風は睦に頷いた。睦はなるほど、と呟く。

「やはりか……」

 瞳の声が聞こえる。瞳はこうなるとわかっていたようだ。箕輪だけが呑気である。

「いざというときは私が物理でなんとかしますわぁ」

 頼もしい。確か彼女はまだあの槌のお化けみたいな掛矢を手にしていたはずだ。物理的攻撃力で言ったら箕輪以上の者は他にいないだろう。

「箕輪、それは最終手段だ。それにこれから始まるのが鷸成のトラウマだというのなら、物理ごり押しで解決できる問題ではない。心の問題だ」

 まあ、あるときから心が焼き切れて感情臭の一つもしない箕輪に心を説いても仕方がない。箕輪からの反論もないため、明るくなるのを待った。

 どこからともなく子守唄が聞こえてきた。母親であろう女性の慈しみに満ちた歌声だ。揺りかごのうたを歌っている。

 辺りの景色はとあるマンションの屋内に変わる。ある程度の清潔感と安心感のあるクリーム色の壁、コスモスのような色をしたカーテンは開けられ、昼間の目映さが部屋に入り込んでいる。

 灰色のソファに女性がゆったりと座り、その膨らんだ腹部を撫でていた。その傍らには小さな赤い子がいた。比喩などではなく、髪も目も赤っぽい色をした子どもだ。母の歌声を心地よさそうに聞いている。

「鷸成だ……」

 夜風がぽつりと呟く。

「鷸成!!」

 鷸成に飛びつく夜風を睦が慌てて止めようとしたが、遅かった。夜風は鷸成の体を通り抜け、横の母親までをも通り抜けた。

 まざまざと実感させられる。自分たちは映写機の中では異端なのだ。本人以外はただの傍観者。だから物には触れられないし、声をかけても反応してもらえない。……それの何と虚しいことか。

 どんなに耳のいい鷸成も反応しない。本当に幽霊になってしまったようだ。夜風に不安が押し寄せる。

「……鷸成……」

 夜風がここまで衰弱するとは思わなかった。鷸成とは微笑ましい姉弟みたいに見えて、鷸成が遠慮なく甘えているから、依存関係が見えなかった。まさか、夜風がこんなにも鷸成に依存しているなんて、誰も知らなかったのだ。

 夜風が中学に上がってから、鷸成が今年中学に入学してくるまで。夜風は元々物静かで、少々陰気なところがあるので、静かで暗い雰囲気なのはいつものことだと思っていた。瞳たちが入学してくる前、放課後にフェイスの面々で集まる前、自分たちの知らない夜風は、同じ学校に鷸成がいない状況をどんな心境で乗り越えていたのだろう。

 やはり、自分たちは互いのことを知らなすぎる。フェイスがどういう目的の組織かも、箕輪の笑顔の秘密とか、夜風と鷸成の関係もよく理解していなかった。

 それを知る機会としては、この機会は絶好なのだろう。だが、精神をすり減らしてまで知りたいことではない。

「篠宮さん」

 箕輪が夜風に歩み寄る。

「今のところ、いっくんは危険に晒されていません。お母さんの綺麗なお歌を聞いて落ち着きましょう」

 箕輪のきらきらした笑顔。どこか、鷸成の底抜けに明るい笑顔を真似ているように見える。

 結局、本質的には感情のままに笑う鷸成と作り笑いの箕輪では違うのだが、それでも夜風は安心した。

「いい声だね」

 傍らで鷸成の母の歌声を聴いていた睦が呟く。瞳や爽も頷いた。

 鷸成の母の歌声はそっと心に染み込んで、優しく撫でてくれる、そんな感じの心地よさを持っていた。これなら、耳が敏感な鷸成も優しく育ったのも頷ける。

 夜風も次第に心が落ち着いてくる。ふと、母親の隣に座す幼い鷸成を見つめる。目を閉じて聞き入っているようだ。とても穏やかな表情をしている。

 母親が自分の腹を撫でながら、一通り歌い終えると、鷸成は満足げに笑った。

「母さんの歌、俺好き! 優しい声で風みたいにふんわりしてるんだ」

「ふふ、ありがとう、鷸成。鷸成もたくさん聴いた歌だから、上手に歌えるんじゃないかしら?」

「母さんみたいな声は出せないよ」

「それはそうだわ。お母さんは女の人で、鷸成は男の子なんだから」

 母親が鷸成の頭をゆっくり撫でる。優しく髪をとかすように。

「鷸成は優しい声を知っている。だから優しい声を出せるわ。揺りかごのうた、歌ってごらん」

「……やってみるね」

 ちょっと照れくさそうにはにかんで、鷸成は母が歌った歌詞をなぞる。子ども特有の澄んだ高い声が場を満たす。母親のようにはいかないが、天真爛漫な鷸成らしさが溢れている歌声だった。

 音感もしっかりある辺り、鷸成の聴覚がいかに優れているかがわかる。瞳たちも聴いていて心地よかった。

「そういえば、鷸成くんが歌っているのって、聞いたことがなかったよね」

 睦が切り出すと、箕輪が相槌を打つ。

「そうですわねぇ。こんなお母さんなら、音楽が好きになっていてもおかしくなさそうですが……いっくんは音楽より美術系統の話の方が多いですわねぇ」

 言われてみれば、そうだ。鷸成の両親は鷸成の聴覚過敏にきちんと理解を示しているようだし、母親がこれだけ歌が上手いのなら、そちらの方面に興味を持っても不思議ではない。

 そういえば、この幽霊列車で似たような話題になったとき、音楽は音を見つけるまでが大変、と言っていたが……一度は志したことがあるのだろうか。

 そんな疑問が鎌首をもたげる中、鷸成の母は鷸成に語りかける。

「鷸成も、あと何ヵ月かしたら、お兄さんになるのね」

「俺、頑張るから!!」

「あらあら、頼もしいですこと」

 鷸成は宣言すると母親の腹を撫でながら、中にいる兄弟に語りかける。

「兄ちゃん待ってるからな~。早く出てこーい」

「早く産まれるのはお母さんにもこの子にもあんまりよくないからね」

「んじゃ、いいくらいの時期に産まれろ~」

 鷸成の発言に一同が噴いてしまう。あまりにも鷸成らしい、素直な発言だ。

 そんな微笑ましい光景がぱっと暗転した。

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