らんらんらんらららーん、らららんらんらんらららーん、らららんらららんらんらんらんらん~♪

 どこか聞き覚えのあるクラシック音楽を口ずさむ少女の声。今まで不穏な考えばかりしていたので、思わぬところからパンチを食らったような気分になる。そう、鳩が豆鉄砲食らったような。

「滅茶苦茶聴いたことある曲」

「まあ、ヴィヴァルディの春なら誰でも聴いたことあるよね」

 即答した爽にさすが、と称賛を贈る睦。大したことないよ、と爽は謙遜するが、普通そんなにぽんぽんクラシック音楽の曲名は出て来ないだろうと思う。まあ、爽は名実共に生徒会役員に相応しい人物だ。頭が切れるし、働き者。天は二物を与えたのだろう。

 それはいいとして、辺りを見回す。

 太陽がてかてかと照らすそこはもう結構です、と言わんばかりに元気のなくなった稲たちが並んでいた。水は干上がり、土は乾いている。間違えようなく、春ではなく夏だ。

 謎すぎる選曲をした少女は金髪にミントグリーンの目を持つティアちゃんである。やはり七号車の映写機はティアちゃんのものらしい。

 クラシック音楽をこの年で嗜んでいるのか、とも思うが、おそらく異国の曲をどこかで聞いたことがあるのだろう。和風な見た目の村から相変わらず浮いて見える金髪はそういう事実を想起させた。

「……やっぱり、日照りになっちゃったか……」

 ティアちゃんのぽつりと呟いた一言で、前回の話を思い出す。ティアちゃんは村の者に日照りがくるから対策を、と提言したのだが、聞き入れられず、陰口を言われるわ、石を投げられるわ、親は助けるどころか暴力と罵倒を投げてくるばかりで、村の人々とそう変わらない。そんな散々な過去だ。

 日照りが起きている、ということは、ティアちゃんの言っていた一ヶ月が経った頃なのだろうか。前は日射しなど気にならなかったが、暑くなくともこのかんかん照りはきつい。

 先程の車両の薄暗さと対照的なものなので、よりきつく感じる。

「日照りな……」

「なんでティアちゃんにはわかったんだろう」

「さあ?」

 睦の疑問に瞳は肩を竦めた。今のところ、予言者みたいな感じになっている。

 爽も天候を当てる能力があるが、それは本人が言っていた通り、向こう一週間程度しかわからない。爽がその類稀なる触覚で読み、ある程度の範囲内の湿度なんかを踏まえて答えを出す。正確性は気象予報士よりある。

 そんな爽でも一週間、できて十日である。それがティアちゃんは一ヶ月だ。途方もない差である。爽より触覚が鋭いことは考えられない。そういう根拠があるなら、以前村人に言ったときに「風がそういう感じ」とかそれらしいことを告げたはずだ。それでも大人たちは一蹴しただろうが、瞳たちへのヒントにはなる。

 だが、ティアちゃんは「一ヶ月後、日照りになる」としか言わなかった。何の根拠もないからこそ、大人は一ミリたりとも信じなかったのだ。

 その結果がこれではざまぁない。近くに川などがあるなら、一ヶ月あれば水が引けたかもしれない。水車を作るなり何なり、方法はあったはずだ。大人たちはティアちゃんの言葉を子ども戯れ言と切って捨てた。故に日照りの被害を受けるままになってしまったと言えよう。

 しかし、一ヶ月後の日照りを予告されたところで信憑性に欠けるのもまた確かなのだ。予言者……占い師のような胡散臭さである。信じる方が難しい。

 さて、大人はこの結果を受けてどうティアちゃんに接するのだろう、というのが今回の映写機ということだろう、と一行は再び「春」を口ずさみ始めたティアちゃんを見守った。

 さっきからずっと「春」を口ずさんでいるが、どう考えても夏の日射しである。……まあ、純粋にティアちゃんが曲のタイトルを知らないだけだろう。「春」はヴィヴァルディの「四季」という楽曲たちの中の一つであり、お察しの通り、夏、秋、冬も存在するのだが、春以外はマイナーで知っている人がいたら相当クラシックにのめり込んでいるのだろう。

 どうでもいいことを一つ考えられるくらいの間を置いて、鍬や熊手と物騒に農具を手にした大人たちがティアちゃんの元へやってくる。その中の一人がすぱーん、とティアちゃんの顔を殴った。ぐーで。

「女の子の顔殴るなんてひどいよ~」

 鷸成、そうではない。

「なんでぐーぱんなんだ……武器たくさん持ってきた意味……」

 夜風もそうではない。

「馬鹿、武器で殴ったらもっとひどい怪我になるだろうが」

 瞳も冷静なのかそうじゃないのか。

 爽は呆れる。

「わざわざ見せるようなものかな。胸糞悪くなるだけだと思うんだけど」

「そうだね」

 睦には何が起こるかわかっていた。なんとなくでわかってしまう自分の直感能力が恨めしい。……折檻が行われるのだ。理不尽としか言いようのない、暴力が。

「お前、正体は何だ? 化生か。正体を現せ!!」

「狐か狸でも化けたんだろう。狐なんかは妙な術を使うというじゃないか」

「あぁん? だとしたら、どうして巴さんとこの娘なんかやってんだ?」

「こいつが何かの術で記憶いじくったんだよ! お可哀想に。子どもがいねぇって嘆いてたもんな」

 夜風が目を細める。

「物事の本質も見極められない愚者共が……狐なら匂いも違うし、第一長年一緒に暮らしていたら毛の一本でも見つかるだろうが」

 夜風が本気で怒っているので一同がぎょっとする。どんなに夜風が陰キャであろうと、「愚者共」などという真正面から人を貶す言葉を口にすることは滅多にない。というか、夜風は名前の通り、夜風のように静かな人物なので、キレることがほとんどない。よほど腹が立ったのだろう。

 確かに狐は人を化かすと言われる代表格の獣だが、ティアちゃんにとってはあらぬ疑いだ。懸命に否定する。

「私は狐なんかじゃありません。狸でもありません」

「じゃあ何だ? あやかしか!?」

「違います!!」

 村人も想像力の豊かなことだ、と一行は呆れ果てる。何故普通の人間の女の子と思ってやれないのだろうか。

 まあ、日照りを予言して当てた少女を気味悪く思っているのだろう。

 しかし、気味悪く思っただけで農具で殴ろうなどとは……野蛮だし、思考回路がひどすぎる。

「正体を現せ!!」

「おらぁ!」

「きゃっ、うっ」

「人間ぶってんじゃねえぞ」

「俺たちにゃわかるんだからな!?」

 何がだよ、と一同は思うが、映写機の映像に干渉できないのがもどかしい。

 鷸成は生々しい殴打の音から目を逸らすようにそっぽを向き、耳を塞いでいる。

 けれど、それでも尚、鷸成の耳は大人たちの罵倒の声や殴打の音を捉える。その中でふと、こちらにゆっくりと歩いてくる足音に気づいた。

「誰……?」

「やめんか」

 鷸成が振り向くと同時、老人の声が大人たちの動きを止めさせた。その威圧感と厳格さの伴った声はその場の誰もに電撃を走らせるかのようで、一瞬のうちに皆が止まる。

「村長……」

 やはり、立場が上の人物らしい。そこに立つ老人に大人たちは敬意を持って跪いた。

「その娘は、神から愛されているのやもしれぬ。それを化生だ妖だのと責め立てるのはお門違いも甚だしいというものだ。警告を聞かなかったのは儂らなのだから、神がお怒りになり、このような惨状になるのもまた必然だったのだろう」

 やっと話の通じそうな人物が出てきた。そう一同が胸を撫で下ろしたのも束の間。

「その娘を神の御元へ還そう。これが神の怒りを鎮める唯一の方法だ」

 老人はとても穏やかに、優しく、そう語った。

「……何を言っているんだ、こいつ」

 夜風が目を見開く。

 神の元へ還す、という曖昧な表現で和らげているが、言外に「殺す」と言っているようなものだ。そんな残酷なことをまだ幼い子どもの前で、よくも善行であるかのように言えたものだ。

 ましなやつが来た、と思ったが、とんだ見当違いのようだ。むしろ殴っていた大人たちより残虐である。

「決行は早い方がいいだろう。土地神様がいらっしゃるまで時間がある。身を清めさせ、供物と共にご用意するのだ」

 一応、供物などとの区別はつけるつもりらしい。そう変わりないだろうが。

 時間はある、と言っていたが、そこからの人々の準備は何やら慌ただしく、急いで水浴びをさせられ、豪華とは言い難いがきちんとした食事を摂らされ、着物は洗い立ての綺麗なものにされ、と身支度を瞬く間に整え、ティアちゃんはどこかへ連れて行かれる。

 そこは村の外れだった。向こうにはここよりぐっと現代的な空間が見える。

 ここまで付き添っていた遣いの者が語った。

「まもなく、向こうの都会から土地神様がおわします。この娘が土地神様と対面すれば、儀式は終了でございます」

 そこで箕輪が首を傾げる。

「土地神様なのに、別な街からやってくるのですか? 不思議ですねぇ」

「ここいら一帯の土地神ってことじゃないの~?」

 鷸成が軽く答える。が、事の重大さがまだ六人にはわかっていなかった。

「……これ、線路じゃないか?」

 瞳がティアちゃんが立たされたところの足元を見る。ゴツゴツと剥き出しの金属の線。敷かれた石と枕木。確かに絵に描いたような線路がそこにあった。

「まさか、土地神様って……」

 睦が答えを口にしようとしたところで、耳をつんざくように主張する「ポォーッ」という音が聞こえた。誰が聞いてもわかる、汽車の汽笛だ。

「土地神様のおなりだ。皆、下がれ」

 村長の声に見届けに来ていた村人が線路から遠退いた。ティアちゃんだけが何もわからずに呆然としている。

 その村長が言う「土地神様」がそこを通ったのはほんの瞬き一つ程度だった。けれど確実にそれは少女の命を拐っていった。

 長いようで短い時間、土地神様とやらがその場を過ぎ去り、後には血塗れの少女が無惨な姿で取り残された。清めた意味はあったのか、というくらい。

 そこに塩を蒔いて、村人たちはひれ伏した。

 なんとも呆気ない生け贄の儀式だった。

「……こんなのって、あるかよ……」

 鷸成が呆然として呟く。

 汽車が何者かわからないから、神と奉り、神に還すと言って、生け贄を轢かせる。びっくりするくらい人間味の存在しない話だ。

 睦はだから「列車」なのか、と納得していた。何故、「ティアちゃん」という怪異に巻き込まれた自分たちが駅で列車を待ち、出口を目指すのか。それはティアちゃんがこの儀式によって、「列車に取り込まれたから」だ。比喩でもなんでもなく。

 それをみんなに伝えようと睦が口を開きかけたところで、舞台が暗転する。周囲が何も見えなくなるが、驚いた箕輪や鷸成の声が聞こえ、とりあえずはぐれていないことは確認ができた。

 鷸成は暗闇の中、声が聞こえた。他の誰でもない、ティアちゃんの歌声。シャボン玉の歌のハミングだ。

 シャボン玉が壊れて消える歌。……そうだ、何故この歌は「割れた」ではなく、「壊れた」と表現しているのだろう。作者の感性かもしれないが、普通シャボン玉は「割れて」消える。

 ……もし、このシャボン玉がティアちゃんのことを示しているのなら、列車に轢かれて死んだティアちゃんは確かに「壊れて」消えたのだ。この世から。

 そう思うと、休憩車両で聞いていたときより一段と悲しい歌に聞こえてくる。

 一方、睦はその無垢な歌声に別なものを感じていた。

 不気味な歌、不吉な歌なら、他にいくらでもある。童歌や子守唄、そういったものは子どものうちは音だけ聴いて綺麗だな、と思うのに、後から意味を知って怖い、と思うものが圧倒的に多い。

 ティアちゃんが村人たちの理不尽により死んで、それを恨みに思っているなら、シャボン玉の歌などではなく、もっと違う歌を歌うんじゃないか、という風に思った。

 ティアちゃんは誰も恨んでいない。自分たちを招いたのも、本当にただ、友達になりたかっただけだとしたら……それなら「アレ」は間違っているのではないだろうか。

 それを伝えようとしたところで、歪んだお知らせ音が邪魔をする。歌声も消え、辺りはぱっと明るくなり、元のグリーン車で揺られていた。

「間もなくくくくく、駅にととととちゃくしままままます。てんととととなきよ、おねがががががががしま」

 ピンポンパンポーン。

 アナウンスが言い終わっていないだろうに、突然正しい音階でお知らせの終了が知らされた。

「……もしかしてとは思っていたが、悪い意味で予想を裏切らなかったな」

 瞳が呟いたのに、誰も答えられなかった。

 列車がゆるりと速度を緩め、列車が駅に到着する。

 列車から降りると、皆一様に神妙な面持ちとなった。

「これが、ティアちゃんの過去か」

 悲惨以外の何者でもない。

「シャボン玉の歌も意味深だったし……もしかして春にも意味があったのかな」

「あれはさすがになんとなくじゃない~? 夏に春の歌なんて、知らなかっただけだと思うよ~?」

 それは確かに。瞳や爽も、季節に関係なく、「この曲何だっけ?」くらいな感覚でクラシックを口ずさむことはある。

「そういえば、瞳のときみたいに『アイシテミル?』っていう電話なかったね。まあ、僕や美月ちゃんのときもなかったけど」

「え、爽兄のときはあったよ~?」

「えっ」

 きょとんとするのは爽だけでなく、瞳までもだった。二人はあのけたたましい着信音を聞いていない。

 察した睦が告げた。

「あのとき二人は特別車両から出ていたからかもね。僕たち四人には届いたんだ」

「それはたぶん、ひーちゃんのときと同じで、爽くんを『助けてみる?』ということだと思ったので、私たちはすぐに助けに向かったのですわぁ」

 箕輪の補足にうんうんと頷きながら、睦はふと、違和感を覚える。

 では何故、箕輪とティアちゃんのときは鳴らなかったのだ?

 ティアちゃんはもう死人だから特別扱いなのかもしれないが、箕輪は? 何故……あ。

「そっか、箕輪さん、映写機ぶっ壊したんだったね……」

 仮説が正しければ、映写機と「アイシテミル?」の通信は同調しているのだろう。それを壊したなら、機能が働かないのも頷ける。

 だが、このままでいいのだろうか、と思っていたら、列車の音が近づいてきた。

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