ドンドンドンッドンドンドンッドンドンドンッガシャッ!

 とても乱雑に玄関が開け放たれた。おそらく外から蹴り開けたのだろう。

 入ってきたのは細身の女性を担いだイケメンサラリーマン風の男である。スーツを着ているからサラリーマンだと思った。顔はたぶん女子が見たらきゃーきゃー騒ぐような見事な塩顔イケメンである。

 これが玄関を蹴り開けたのでなければ、乙女も恋に落ちただろうに。勿体ない限りだ。まあ、世の中、顔が全てというわけではない、ということがこれで証明されたわけである。

 男は担いでいた女性を床のその辺に放り投げ、くん、と空気を嗅いでその端正な顔を歪めた。

「くせぇ」

 それはそうだろう。少なくとも人が三人、死んだまま放置されているのだから。

 そこから男は自分が放り投げた女性に近づき、その体を異様にぴかぴかの靴で蹴飛ばす。女性はう、と呻いた。

「起きろ、クソアマ」

「うぐっ」

 容赦なく腹を蹴る男。鷸成が無言で近づく。

「くそはテメーだよ」

 がっ、と男の腹にグーパンを入れるが、効いていないようだ。どうやら、人物には基本的に干渉できないらしい。

 胸糞の悪い光景だ。男が一方的に女性をなぶる。同じ男として風上にもおけない野郎だ、と男子一同は怒りに満ち満ちていた。ここに瞳と夜風がいなくてよかったのだろう。

 やがて女性が起き上がり、その顔が見えたとき、爽、睦、鷸成は息を飲んだ。

 光の加減で緑に映える黒髪、その愛らしい顔立ちは彼らのよく知る人物にそっくりだ。

「美月ちゃん……」

「の、お母さんかな」

 女性は自分たちより遥かに年嵩がありそうだ。三十代くらいだろうか。まあ、男の方もそれくらいだろう。

「……はい、あなた」

「!?」

 驚かずにはいられなかった。散々自分を蹴飛ばしてきた男のことをまるで夫であるかのように呼ぶのだ。

 まあ、察するに夫なのだろう。鷸成が見た子どもの体についた傷もこの男がつけたのだとしたら合点がいく。

 というか睦は部屋の中なのに外から帰ってきた靴のままなのが微妙に気になっているのだが……これはもしかして突っ込んではいけないタイプの話なのだろうか。

「片付けろ。燃えるゴミにでも出しとけ」

「え、でも……」

「あぁん? 誰が意見していいっつった?」

 こいつ、とは思ったが、何も手出しができない。

 よくタイムスリップやタイムリープものの話で出てくるタイムパラドックスという話があるが、これはそういう問題ではない。彼らがしているのはタイムスリップでもタイムリープでもなく、ただ過去の映像を見ているだけなのだ。

 瞳たちが降りて来なければいいのだが。

「あ、ちょっと僕、玄関の外見てきますね」

 玄関の扉が開きっぱなしなのをいいことに、睦が動く。瞳が危惧したことを思っていないわけではないが、ここで体を張るのなら、御守りのたくさんある睦が適任だろう。

 睦が開け放たれたままの玄関を覗く。普通に外の風景が続いていた。普通のマンションで普通にお隣さんとかがある。通報されないんだろうか。

 門まで思い切って行ってみると、表札には「佐藤」という嫌でも見慣れるであろう苗字が刻まれていた。

 と、それ以上確認すべきことも特筆すべき点もなかったため、睦は戻る。

 戻ると奥さんは死体の処理をやらされていた。細腕で子どもの体を持ち上げることができない。故に、包丁で……刻もうとしている。遠目にも手が震えていることがわかった。

「さっさとしろ。ただのものだろ」

 この男は人を何だと思っているのだろう? こんな大人にはなりたくない、と男子たちは思うのだった。

 そんな中、階段が軋む音が聞こえた。瞳たちなら、引き返させなければ、と身構えた睦と爽だが、鷸成が小さく呟く。

「みっちゃんだ……」

 何故足音だけで判別がつくのだろう、と睦は疑問に思ったが、フェイスメンバーにそれぞれの得意分野に関して問うのは愚問中の愚問だ。彼らは「特化しすぎている」からこそ、異常なのだ。

 階段から降りてきたのは、長い髪がぼさぼさの寝ぼけ眼の女の子……が二人。瓜二つの姿をしている。どう見てもどちらも箕輪だ。

「お父さん? お母さん?」

「あっ、お父さんもお母さんも帰ってきたんだ!! 私たちを置いて出ていったんじゃないんだね!!」

「だから言ったじゃない美月」

 敬語じゃない箕輪というのが新鮮すぎて、三人は目を丸くする。というか、この光景は異様だ。

 自分の子どもを包丁で捌こうとしている母親、暴力ばかり振るう父、死んでいる兄弟……それを目の当たりにして、平然としている。

 いや、片方は怯えている。美月と呼ばれた方だ。

 けれど、睦が首をひねる。

「おかしい。僕たちが知ってる箕輪さんはあっちだと思うんだけど」

 睦は美月と呼んだ方を示す。おそらく双子だろうが、肝の据わり方は確かに美月じゃない方が似ている。

「おい、これはどういう状況だ?」

 上から、混乱気味な様子の瞳が降りてくる。恐る恐る、夜風もついてきていた。

「どういう状況、と言われましても……」

「暴力男が奥さん脅して子どもを解体させようとしてるところ」

 言葉を濁していた睦が、さらっと答えた鷸成に「はえー!?」と変な声で驚く。せっかくオブラートに包もうとしたのに。

「どうせオブラートに包んでもそうなるんだから仕方ないでしょ~?」

「いやまあそうだけど」

 小学校卒業したてほやほやとは思えないくらいドライな意見に睦は若干引く。

 しかし、映写機はそれ以上の映像を叩き出す。

「あ、お母さんごはん?」

 美月じゃない方が、母親ににっこり尋ねる。母親の顔は当然ひきつった。息を吸うように暴力を振るう父親までもがドン引きである。血は争えないというやつなのか。

「お前らはゴキブリでも食っとけ」

「えぇ? お父さんったらひどーい。私たちそろそろ生のゴキブリは飽きてきたの。揚げるまでは言わないから茹でちゃ駄目ぇ?」

 ゴキブリを茹でたり揚げたりという発想がもはや箕輪なのだが。というかゴキブリを食べて生活しているのか。本当にどうかしている。

「あ、でも蛆虫はとろっとしててゴキブリより美味しかったよねぇ、美月ぃ」

「蚊はドアノブみたいな味がした」

「蝿のプチプチは癖になるよねぇ」

 聞いているだけで吐き気のする会話なのだが。この姉妹、人間やめてないだろうか。

 しかし、これで死体に虫が涌いていない理由が明らかになった。この双子が片っ端から自分たちの糧にしていたのである。他にもネズミを捕まえた、とか害獣駆除の領域なのだが、腹を下したりしないのだろうか。

 あの暴力男も顔面蒼白だ。降りてきた姉妹を引っ捕らえて、殴った。それは恐れからの暴力だった。力を持つ者として君臨しているとか、そんなものではない。この男はこの姉妹を恐れている。だからこそ生きているのだろう。

「かはっ、暴力いけないんだぁ」

 不意に、美月がもう一人を真似るように笑った。その手には見覚えのある……掛矢。

「これはこうしてぇ──」

 下手をしたら母親の胴より太っているかもしれない塊を、ぶん回す。

「こうすればいいんですのぉ!!」

 掛矢を思い切り振り回すと、霧のように周囲の景色が溶けてなくなった。

 瞳たちは地面に叩きつけられるところを間一髪、箕輪の手によって受け止められる。

「……いやいやいや」

 箕輪は異常味覚の他に異常筋力でも習得しているのだろうか。片腕に、女の子とはいえ人一人ずつである。瞳と夜風もきょとんとするより外ない。

「え……と」

「助かった、箕輪」

 さすがに瞳の順応は早かった。

「けど、このパターンで映写機強制終了って初めてだね~」

 鷸成が夜風を預かりに向かいながら言う。こいつもただ事ではない順応力をしている。

「あらぁ、捨てた過去など心底どうでもよかったものでしてぇ」

 てへ、と箕輪がやるが、普段なら通常の男子が召されるその仕草も、あんな物騒な光景を見た後では何とも言えない。

「あの、あれは、児童虐待ってやつ……?」

 躊躇いながらも睦が切り出す。場に緊張が走った。

 が、そんな中でも箕輪は通常運転。にこにこ笑顔で告げる。

「違いますわぁ。家庭内暴力でしてよ?」

「どっちもあんま変わんなくない……?」

 まあ、子どもだけでなく、母親も含まれていたからだろう。それにしても、「家庭内暴力」という言葉をこんなに明るくきらきらと言えるのは異様というか、箕輪は振り切りすぎている。何らかのバロメーターが。

 怖くて踏み込みにくい。だが、聞かなければならないだろう。

「その……美月ちゃん、双子のお姉さんは……」

美陽みはると言いますぅ」

「そうじゃなくて」

 そう、名前は問題じゃない。

 箕輪の家に引き取られたのは一人だけだと聞く。では、もう一人はどうなったのか。

「うふふ、そんな昔のこと、忘れてしまいましたわぁ」

 箕輪にしては珍しい、暈すような言い方だ。

 誰にでも事情はある。これ以上聞くのは野暮なのかもしれない。

 爽が言い募ろうとしたところで、箕輪がふふ、と笑う。

「でも、皆さんの過去を知るのに、私だけ明かさないのはフェアじゃありませんからぁ、すこぉしお話ししましょうかぁ」

 列車が駅に着くまで、と箕輪が告げる。

 そこで瞳は気づいたのだが、映写機を強制終了させたこの状態で、列車は駅で停まってくれるのだろうか。若干不安だが、映写機は壊れたのか再び過去回想になることはなかったので、話を続けることにした。

 箕輪が淡々と語り出す。

「まず、皆さん見ておわかりの通り、私の実父は暴力男でしたぁ。それはもう他人が勝手に呼吸するだけで苛立つような近年稀に見る短気でしたのでぇ、実家からは勘当食らっていると聞いたことがありますぅ。あ、実父の家族の話を聞くと当然ながら殴られましたぁ。酒瓶投げられたこともありますねぇ」

 父親だけでお腹いっぱいの情報量である。近年稀に見る短気とはよく言ったものだ。

「そんな実父に惚れてしまったのが実母ですねぇ。これは残念ながら男運と見る目がなさすぎたとしか言い様がありません。でもあれで付き合い始めから婚姻までは両想いだったんですってよ? 俄には信じ難いですよねぇ」

 いちいち反応しづらい語りである。驚いたらいいのか、呆れたらいいのか。素直な鷸成だけがまじで!? と反応しているのに対し、他四人は苦笑いしかできなかった。

「その愛の結晶が今皆さんの前でお喋りしているこの私なのでございます!」

 愛の結晶という言葉が感じられない子どもがこの世に他にいるのだろうか。まあ、最初の子どもだから、まだ愛し合っていた時代の子どもなのだろう。

「ところが! 二人は子育てがてんでできず、それに苛立った実父の短気発動! 実母を殴り始めます」

 カードゲームのように言わないでほしい。

「弟や妹も生まれましたが、育児放棄! 子どもをほっぽってラブホで二人! みんなえっちな想像するかもしれませんが、実父が実母を暴力しているだけでした。防音いいですからねぇ!!」

 とても笑えない。

「子どもたちは早く死ね、と家で殴られました。さすがに実父にロリショタの趣味はなかったようです」

 逆にロリショタ趣味があったら怖すぎる。暴力男どころの話ではない。

「あれであの家、防音が徹底されておりましてねぇ。ご近所さんにも気づかれず、暴力は徹底されていきました」

「あ~、それで音が変な感じしたんだ~」

「いっくんはお気づきでしたのね」

 防音の壁と遮音カーテンなどで徹底されていたらしい。それを家の建設のときから拘っていたらしいので、いつかは暴力を振るうつもりだったのだろう。とんでもない男だ。

「それで、お金に困ってしまい、私たちには水も与えられませんでしたねぇ。切り傷の多かった子がいたでしょう? あの子は『水を飲みたい』と駄々を捏ねたばっかりに、『自分の血でも啜ってろ』と酒瓶で切り刻まれた成れの果てなんですぅ」

 怖すぎる。もうティアちゃんとか通り越して箕輪の元の家がホラーだ。元気っ子な鷸成も青ざめている。

 グロテスクというか、駅にあった「Massacre」を体現したような家だ。ずっと箕輪がにこにこなのも怖い。

「み、箕輪さんはなんでそんなに軽く話せるの……?」

 恐る恐る、睦が聞く。箕輪は一瞬真顔になってから、再び笑顔になった。いや、笑顔を作り直したようにも見える。

「あるときから、何もかもがどうでもよくなってしまいましたの。何も感じなくなって……それから、私は家族のことなんて、他人事のように思えてしまうんです」

「え、でも……」

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