つ
ビーーーーーーーーーーッ、ガーッ……
一同は瞠目した。
今までと反対側の扉が開いたのだ。当然のようにそこには駅が鎮座していた。
まあ、列車が停まるからには駅があるのは至極当然のことなのだが、まさか今までと反対側に現れるとは、一体どういうことだろう。
「……折り返し地点……」
睦がぽつりと呟く。なるほどそれはその通りだ。
今まで散々、この八号車を折り返し地点と言ってきたのに、何故駅が変わらないと思っていたのだろう。思い込みとは恐ろしいものだ。
理解して、駅を降りた。そこは今までの駅とは全く異なる様相をしていた。
つん、と香る刺激臭。瞳たちでも充分つらいそれは鼻のいい夜風を咳き込ませた。壁にはスプレーで落書きされたように「Massacre」の文字があった。赤紫色で非常に目立ち、主張するように。
「まっさ……くれ?」
英語に疎い鷸成が読み方がわからず、首を傾げる。そんな鷸成に、瞳が教えた。
「
爽が眼鏡のブリッジを持ち上げながら続ける。
「『DICK』と違って、こっちは随分とあからさまだね」
以前までの駅にあった「DICK」の文字は最初、壁に溶け込むような色で描かれていた。それが今回はどうだろう。灰色の壁にショッキングピンク……とまではいかないまでも、赤紫はかなり主張が強い。
睦がうーん、と考えた。
「なんか引っ掛かりません?」
「あからさますぎますからねぇ。先程までと違って。むしろ罠ではぁ?」
「どうだかな。罠と見せかけるためのものかもしれない」
こちらを混乱させるためにこんなあからさまにしているのだ、と瞳は推測した。睦は瞳を説得できるほどの根拠を持たないため、深く考えるのはやめた。
しかし、箕輪が言い募る。
「むっくんが言ってるんですよぉ? 案外無視できる問題ではないと思うんですがぁ」
「箕輪は何かと鹿谷の肩を持つな」
「他意はありませんわぁ。でも、直感能力に秀でているむっくんの言葉を一考の余地もなく否定してしまっていいのかしらぁ、と思いましてねぇ」
それは箕輪の言う通りだ。睦の弁論には悉く根拠はないのだが、的を射ている確率が高い。この可能性を無視するのは、後々手痛いことになるかもしれない。
が、根拠がない故に、何がどうなるのかの予測が不可能なため、現段階で検証の手立てがないのも確かである。
「あっ」
鷸成の声に気が逸れた。
「どうした? 鷸成」
夜風が鷸成の方に歩み寄ると、鷸成は地面を示した。そこには先程と同じように、一~八号車までの番号が振られている。
「これ、反対側の駅のときとおんなじ向きで番号が振られているよ~?」
「? 当たり前だろう?」
「何が当たり前なの? 向こうには駅がないし、ここが折り返し地点っていうなら、逆向きに走る可能性だってあるじゃん~」
気づいていなかった。逆向きに走る可能性なんてあると思っていなかった。何故なら先程の列車は当然のように前に進んでいったのだから。先に進むというのは必ずしも「前に進む」とは限らないのだ。
けれど、この様子だと、「前に進む」のが正解のようだ。車両番号はそのように振られている。
「とりあえず、三のところで待てばいいんじゃないかな。ここからの順番は三、七、五、六、四だ」
爽の提案に反対する者はなかった。
「あ、そうだ。箕輪さん、さっきの掛矢は?」
「きちんと持っておりますわよ?」
軽々と持ち上げてみせる箕輪。いくら木とはいえ、そこそこに重いし、絵面的に可愛い女の子が振り回すタイプのものではないだろう。
「そういえばとあるゲームでは回復魔法使いの女の子がハンマーぶん回して敵を蹴散らしてたな~」
「質量もありますし、この掛矢も武器としては充分ですわねぇ」
リアルファンタジーゲームが行われようとしている。
だが、掛矢を幽霊に対する武器として用いるならば、物理的な問題もあるが、箕輪が適任だろう。何せ箕輪はこの中で唯一幽霊に触れる。他の者だと実体がないであろう幽霊に攻撃当てられない物理的な問題があるのだ。
箕輪は腕力もあるだろうし、運動部に所属していないのが不思議なくらいの体力お化け、しかも鉄の精神力の持ち主である。これ以上の適任はここにはいないし、元の世界に戻ってもいるかどうかわからない。
「じゃあ、決まりですわね! 安心してください、きっちり皆さんをお守りしますわぁ!」
「うん、こんなに心強いことある?」
もしかしたら塩の入った御守りより安心感があるかもしれない。
そうして掛矢の持ち主が改めて確定したところで、アナウンスが鳴った。
「間もなく、蛻苓サ翫′蛻ー逹?閾エ縺励∪縺吶?ゅ螳「縺輔∪縺ッ逋ス邱壹?蜀??縺ォ縺ヲ縺雁セ?■縺上□縺輔>」
「うええ!?」
一番驚いたのは鷸成だ。これまで無機質な女性が淡々と告げていたアナウンスがノイズ混じりの聞き取れない言葉で流れたのである。ガタンゴトンと音がすることから、白線の内側に下がれ的なことを言われているのはわかるが。
放送の途切れ方も、ノイズがひどくて聞いていられない。鷸成が耳を塞いでしゃがみ込む。お知らせ音も微妙に音がずれていて、耳のいい鷸成にはきついだろう。
「どうなってるんだ? 本当に」
あからさまに仕様が変わったようだ。一行に緊張が走る。
列車の音が緩んできて、やがて、一同の前に停まった。
そこで、瞳が目を見開く。
どんなに目を凝らしても、幽霊がいない。
「これまでがチュートリアルのイージーモードだったってことだよ。乗ろう」
爽に促され、瞳が乗り込む。他の者も後に続いた。
乗った途端、夜風がうっと呻いた。
「ひどい臭いだ……腐乱臭か?」
それは瞳たちにも酸っぱい臭いとして感じられるほど。乗り込んだグリーン車は普通のようだが。
箕輪が真顔で、あら、と声を上げる。
「人肉の腐る臭いですわ」
「じんに!?」
「久しぶりに嗅ぎますわねぇ」
「……は!?」
箕輪の言うことは、はっきり言って異常の極みだった。理解を頭が拒否する。人肉の腐った臭いなんて、何をどうすれば嗅ぐ機会があるのか。
しかも、久しぶりに、と箕輪は言った。人肉の腐った臭いと断定したことからもわかる通り、これはつまり、箕輪が過去に人肉の腐った臭いを嗅いだことがあるということだ。しかも、直接。
箕輪は掛矢を手にしたまま、朗らかに言う。
「なるほど、ここは私の列車、ということですわねぇ!」
箕輪の言葉に唖然とする一同に、歪んだお知らせ音が届く。
「間もなく、蛻苓サ翫′逋コ騾イ閾エ縺励∪縺吶?るァ?¢霎シ縺ソ荵苓サ翫↑縺ゥ縺ッ縺頑而縺医>縺溘□縺代∪縺吶h縺??√h繧阪@縺上鬘倥>縺?◆縺励∪縺」
ぼわーん、とお寺の鐘と組み合わせたようなお知らせ音が下降し、慌てて席に就く。
やがて、列車がゆっくりと動き出した。
移り変わる景色を眺めながら、睦は箕輪に問う。
「箕輪さん、なんでここが箕輪さんの車両だって……え?」
隣には誰もいない。あんなに目立つ掛矢も消え失せていた。
またお知らせ音が鳴る。その不協和音に鷸成が顔をしかめた。
「縺比ケ苓サ翫>縺溘□縺阪?√≠繧翫′縺ィ縺?#縺悶>縺セ縺吶?縺薙?霆贋ク。縺ッ特別車両縺ィ縺ェ縺」縺ヲ縺翫j縺セ縺吶?ゅ←縺?◇縺頑・ス縺励∩縺上□縺輔>」
ザザザ、ジジジ、ウワンウワンウワンウワン……と放送は終わった。
顔を上げると、先程より臭いがひどい。夜風でなくとも、さすがに吐き気を覚えるレベルの腐臭だ。
辺りを見て、言葉を失う。
グリーン車だったそこは、掃除の行き届いていない、淀んだ空気の家だった。廊下と部屋の境界の戸がぶち破られ、所々に埃の積もった階段が剥き出しになっている。
しかし、この家の荒れ果てようはそこに留まらない。そこには、何人かの子どもの死体があった。階段から落ちて当たり所が悪いまま放置されて白目を剥いている女の子。彼女はもう怪我が痛いと呻くことはない。死んでいるのだから。
部屋の隅には身体中に切り傷があり、ガラス瓶の破片のようなものが頭に刺さった状態で絶命している男の子がいた。失血死だろう。体に大量の血が伝った痕があるし、床は血が染み込んで赤黒くなっている。
部屋の真ん中に置かれたベビーベッドの中にも、成長する未来を奪われた赤ん坊がいた。餓死だろうか。頬が痩せこけ、手も足も触れただけで折れそうなほど細い。しわくちゃの泣き顔のまま、亡くなっている。
「何ここ……」
ほとんど無音の部屋に鷸成が恐怖を覚えたらしく、言葉をこぼす。夜風もそんな鷸成に寄り添いながら、体が震えるのを止められずにいた。
地獄がこの世にあるのだとしたら、こんな光景なのだろうか。何が恐ろしいって、こんなに腐臭が漂っているのに、何も音がしないこと、何も他に見えないことだ。
普通、動物が死んで、その死体が放置されたら、ハイエナや虫などが放っておかない。蛆が涌いたり、小蝿が飛んでいたりするものだ。それが、一切ない。人間も動物なのだから、例には漏れないはずなのに。
「ここが、箕輪さんの過去? 箕輪さんは見当たらないけど……」
睦が辺りを見回す。どれだけ残酷な状況であろうと、立ち止まっていては前に進めない。
「ここは、箕輪の家じゃないはずだ。おそらく、箕輪が引き取られる前の家……」
「じ、じゃあその辺で死んでるのって……」
「十中八九、箕輪の『実の』兄弟だろうな」
瞳はどうにか冷静に振る舞い、この家の玄関に向かおうとする。玄関は元のグリーン車なら、四号車のある方向に存在した。二号車でのことを考えると、無闇に開けていいものではないだろう。
「……部屋の探索をしよう。ここが美月ちゃんの過去だっていうのは俄には信じ難いけど、これが美月ちゃんの映写機が映し出した映像なら、美月ちゃんを見つけないと、話が進まない」
「そうだね」
ここが箕輪の家じゃないとすれば、鍵になるのは下の名前の「美月」だろう。それにここがどういう場所かもわからない。
「俺は遺体を探ってみるよ。よかちゃんは別な部屋を調べて」
「だが……」
「篠宮先輩、二階に行けそうです」
夜風は瞳に手を引かれ、二階に続く階段を上がっていった。
ふう、と鷸成が息を吐く。
「これ以上ここにいるのはよかちゃんの精神衛生上、あんまりよくないからね~。あ、むっちゃんと爽兄は棚とか調べて~」
「意外と仕切り上手だね」
「意外は余計だよ~。これでも長男だからね~」
鷸成は傷だらけの遺体に合掌し、それから体を探った。
服をめくると、服の中も傷だらけだった。打撲痕である。
「これは……」
よく見ると、頬にも殴られた痕のようなものが……と手を伸ばしたところで、それは来た。
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