ピンポンパンポーン。

「まもなく、次の駅に到着致します。ご乗車のお客さまは転倒などなされぬよう、お気をつけくださいませ」

 ピンポンパンポーン。

 転倒する、というか。

 瞳は正座で爽に膝枕をしている。

 睦が顔をひきつらせた。

「この二人、付き合ってるのかな?」

「付き合ってませんよぉ」

 箕輪が楽しげに否定する。普段穏やかな睦がこめかみに青筋を立てているのが面白いようだ。

 箕輪と睦は仲良く同じ手すりにすがっているのだが、その点に関してはいいのだろうか、と夜風と共に座席に座る鷸成は思った。

 まあ、鷸成は「リア充爆発」という発想には至らない純粋な少年なので問題ない。

「次の駅か。折り返し地点だね~」

「長いな」

「しかも次の休憩車両終わったらノンストップでしょ~? 疲れるよ~」

「ああ、それに」

 瞳はもう中身が飛び散り、どこかにいってしまったため、ただの布切れと化した御守りを見た。

「御守りも壊してしまった」

「でもまあ、守ってくれたんですよね? さっき」

 それは確かに。

 がっつり三号車に入った瞳と爽は見る影もなく、御守りが一つ壊れている。そういえばすごい音がしたような気がしたが、中身は何だったのだろう。

 瞳がしげしげと見つめていた御守りの残骸を不意に箕輪が拐った。そして、内側だった面をぺろりと舐める。不意のことで驚いたのもあるが、何故舐めた?

「塩ですわねぇ」

「えっ」

 さすが味覚の女王。瞳ですら結晶を捉えられなかったのに、舐めて入っていたものを当てた。

 幽霊絡みの事柄、それ以外にも避けたい事柄や人に対して「塩を撒く」というのはとても初歩的な方法である。塩に退魔の力がある云々はさておき、わかりやすい一般的な作法で言うと、法事などに言った後、家に入る前に塩を自分の体に振りかけたり、庭に撒いたりする慣習がそれに相当する。

 それだと謎が一つ残るのだが……と考えをまとめようとしたとき、それを遮るように汽笛が鳴り、列車が停まった。

 ドアが開き、全員が出る。そこでは完全に黒く浮き出た「DICK」の文字が皆を出迎える。

「Leafの方も浮いてるな」

「うーん、俺にはわからない~」

 瞳の色覚が成せる業なので、他はあまりよくわからない。まあ、推理通り、「DICK」が「18782」に置き換えられたことから、「Leaf」も「8」でかまわないだろう。

「次が最後の休憩だ。有意義な話し合いにしたい」

「それは確かにね」

 有意義といってもぼんやりとしているが。

「とりあえず、御守りがあって助かった」

「会長の先見の明には驚かされるよ」

 瞳と爽が各々御守りの欠片を見て言う。

「中身はお塩でしたのねぇ。魔除けには持ってこいですわぁ。さすが会長さん。ところで、会長さんは何故私たちが幽霊関係の事に携わると知っていたのでしょう?」

 箕輪の疑問については、瞳も爽も肩を竦めるしかない。会長については謎が多い。フェイスのこともいつの間にかばれていたといった感じだ。

 何を隠していてもばれるのだろう、と瞳と爽は思っている。一所懸命か息抜きかまでわかってしまうような人だ。エスパーか何かだろうかと考えたが、そんなことはどうでもいい。それより特筆すべきは、「一所懸命やっていれば、必ず手助けしてくれる」という点だろう。会長の人格が表れている。

「そういえば、箕輪や篠宮先輩の御守りは無事なのか?」

 そう、三号車から脱出する際、おそらく瞳と爽を二号車に放り投げたのは箕輪で、幽霊を三号車に押し込むという力業を成し遂げたのも箕輪、扉を閉めたのは夜風だったはずだ。

 箕輪はにこにこと御守りを取り出す。そこには緑色の御守りが二つ。

「あらぁ、心配してくださるんですかぁ。ご心配には及びませんわぁ。私のは少しのよれもありませんものぉ」

「私も大丈夫だ。いやむしろなんで箕輪が大丈夫なんだ……」

 夜風が幽霊に触って平気そうな顔をしている箕輪の神経を疑う。それも仕方ないだろう。爽を見てわかる通り、幽霊とは通常、すり抜けられるだけで背筋が寒くなるものなのだ。まあ、まず触れることこそが異常なのだが。

「うふふ、むっくんのおかげですわぁ」

「むっちゃん? そういえば三号車に向かってなんか投げてたね~」

 鷸成は睦と二号車にいたから見ていたのだろう。

「何を投げたんだ?」

「御守りです」

 睦は面倒くさいだろうに、きちんと袋に詰められた二十個以上はあるであろう御守りを律儀に持ち歩いていた。

 見た目には個数が減った云々はわからない。が、こういうからにはそうなのだろう。

「御守り、いくらなんでも僕に極振りしすぎだと思ったので、市瀬さんたちを助けるのに一個くらい使ってもいいんじゃないかな、と」

 確かに、他メンバーの十倍以上の個数を持たせられたのは意味ありげだ。

「たぶん、だいぶ追い払ったんだと思いますよ。まさか欠片も残らず消えるとは思いませんでした」

「……すまない」

 御守りが思ったよりこんな重要性があるとは。瞳は御守りの効力とその希少さを理解し、それを睦に使わせたことを謝った。

 が、当の睦はぴょこんと疑問符を浮かべる。

「何を謝ってるんです? 元々これは僕からの依頼ですよ?」

「それは……そうだが……」

「御守りは自分に対してだけでなく効果がある、というかなり有益な情報が手に入ったのでいいじゃないですか。危うく宝の持ち腐れと友達喪失するところでしたよ」

 友達、か。

 瞳は考える。睦はいつも依頼人でありながら、瞳たちと対等な立場で話したり付き合ったりしてきた。無論、フェイスは依頼を受ける際、依頼人によって態度を変えたりはしない。

 ただ、瞳にはよくわからなかった。友達という定義が。それは世間一般でとても曖昧なものだ。鷸成のようにクラスメイトはみんな友達というだだっ広さもあれば、夜風のように自分が厳選した人物しか認めないといったスタイルもある。

 フェイスのメンバー、及び睦のことを瞳は「仲間」だとは思っている。ただ「友達」と言われるとどうなのだろう。

 この駅に関してもそうだ。これでは互いの傷を舐め合っているだけの児戯なのではないだろうか。

 そんなことを考えていると、お知らせ音が鳴り、女性アナウンスが告げる。

「まもなく、列車が到着致します。お客さまは白線の内側まで下がって、お待ちください」

 いつもの無機質なアナウンスだ。

 ガタンゴトン、と列車が近づいてくる。

 折り返しの列車がやってくる。

 ビーッと汽笛が鳴り、列車が到着した。翁の面の幽霊が笑っているように見えた。歓迎するよ、とでも言うかのように。

 そうだ。そうなのだ。ここまではまだ前哨戦に過ぎない。むしろここからが本番である。

 三号車~六号車までは、箕輪、夜風、鷸成、睦のいずれかの過去がある。瞳と爽は長い付き合いだから、過去そのものを知っていたり、お互いを呼び戻せる言葉を持っていたりした。だが、残りの四人は小学校で知り合い、互いによく過去も知らないままつるんでいる。

 友達、という言葉を口にするのに違和感があったのはきっとこれだ。自分たちはお互いのことをよく知らないのに依頼だなんだとつるんでいる。それを瞳は違和感に思ったのだ。……まあ、単に瞳の頭が堅いだけとも言える。

 ここからの休みなしの怒涛の映写機列車をよくわからないメンバーのために連携して乗り越えなければならない。つまり、瞳と爽の話はゲームで言うところのチュートリアルでしかなかったのだ。

 フェイスには五感を司る顔という意味の「FACE」と信頼という意味の「FAITH」がかかっている。

 信頼を試されるここからは、まさしくフェイスの腕の見せ所だ。

 八号車は相変わらず高級感のある車両となっている。適当な場所に腰掛けよう、と瞳が席を悩んでいると、先に入っていた箕輪が「あらぁ?」と声を上げる。

「どうした?」

「いえ、今までの車両にこんなものありましたかしら?」

 箕輪が示したのは七号車と繋がる扉に立て掛けられた……なんだこれ、と瞳は思う。

「金槌のお化け~?」

「鉄製じゃないだろう」

 そういう問題ではない。

「……打出の小槌?」

「だったらもっと振りやすい大きさにするだろう?」

 そういう問題でもない。

 そこで箕輪が答えを提示する。

「掛矢だと思いますわぁ」

「かけや?」

 大工仕事で柱同士を接合するのに使われた道具だとか云々。木製なので、鉄の釘を打つのはいくら大きくても重荷だろう。

「でも結構丈夫なんですのよ? 窓ガラスくらいは割れるのではぁ? むっくん、持ってみてくださいなぁ」

 箕輪がひょいと片手で持つものだから、冗談だろうと思っていたのだが、受け取った睦が慌てて両手で持ち直し、おっとっと、となっているのを見て一同の視線が箕輪に注がれる。これまでも瞳と爽を放り投げたり、幽霊をぎゅうぎゅう押し込んだり、腕力を見せてきた箕輪だが、重そうな掛矢を軽々取り扱っていた。人でも殺すのだろうか。

 睦が苦笑いしながら箕輪に掛矢を返す。

「これは箕輪さんが持ってたらいいんじゃないかな?」

 異論はなかった。

 謎の掛矢の持ち主が決まったところで、発車アナウンスが流れ、瞳たちは急いで席に就いた。ほどなくして、ガタンゴトン、と重々しく列車が動き出す。

 ピンポンパンポーン。

「この列車は八号車が休憩車両となっております。皆さま、ごゆるりとお寛ぎくださいませ」

 ピンポンパンポーン。

 案の定な放送だ。まあまだ旅路は長いので休憩はやはり有難い。どうして掛矢があったのかは謎のままだが。

「そういえば」

 話題を模索している瞳より先に口を開いたのは睦だった。

「スプレー缶はなんで鷸成くんに?」

「ああ、実は扱いが上手いんだ。小学生の頃、フェイスのみんなでアート展に行ったことがあってな」

「あ、それ懐かしいね! まだフェイスできてそんなに経ってない頃だよ」

「スプレーアートを取り扱っていたんですよねぇ」

「そこでまだ入学前の鷸成と会ったんだよな」

 えへへ、と鷸成が照れる。

「美術系統のものはちっちゃい頃から好きで、あんなおっきなキャンバスに描いていいって言われたから興奮しちゃったんだ~」

 夜風も懐かしげに微笑む。

「あのときの鷸成は現場の芸術家を騒がせていたな。天才降臨とか」

「やめてよ~、褒めても何も出ないよ~よかちゃん」

 鷸成の頭を撫でる夜風。それにすり寄る鷸成。とても微笑ましいフェイスの日常風景である。こうして見ると、姉弟のようだ。

「ところがこれで長男なのですよねぇ、いっくん」

「ええ!?」

 睦が衝撃を受ける。瞳と爽も固まっていたので、初耳だったようだ。

「そだよ~。俺四人兄弟の一番上なんだ~。三人弟いる」

「三人!?」

 昔は兄弟が十人近くいるのが普通だったと言われているが、今の時代で四人兄弟というのはかなり珍しい。

 というか、フェイス内では一番年下なので、弟ポジションみたいになっているが。まさかの長男坊とは。

「えへへ~、家帰ると兄ちゃんやらなきゃだから、みんなに甘えられる時間は貴重だよ~」

 このとき、瞳、爽、睦の思考は合致した。兄をやっている鷸成など、とても想像がつかない。

 特に、夜風にじゃれついている今の状況からは説得力の欠片も感じられない。

 非リア充の睦から見て、瞳と爽の組み合わせは「いちゃついてるカップルはぜろ」なのだが、夜風と鷸成の組み合わせは「姉弟でじゃれてるみたいで微笑ましい」だ。この差は一体何なのか。年の差だろうか。

「他のみんなは兄弟いるの? 市瀬さんなんかは、弟とか妹がいそうだよね」

「よく言われる、が私は一人っ子だ」

 まじか、と睦が驚く中、鷸成がうんうん頷く。

「リーダーは『姉ちゃん』って感じしない~」

「それは私を侮辱してるのか?」

 おっと、瞳からゴゴゴゴとものすごいオーラを感じる。見るからに怒っている。だが、むしろそれこそが瞳が一人っ子であることの証明のようだった。

 よかちゃん助けて~、と鷸成は自業自得なのに呑気なものである。夜風はよしよしと宥める。慣れた手つきだ。

「もしかして、篠宮さんは弟いるの?」

「ああ。鷸成より一つ年下だが」

 それで鷸成の扱いに慣れているわけである。

 睦は自分から一番遠い爽にも声をかける。

「双海くんは?」

「アハハハハハ」

 空笑いする爽にえっ、と睦がびびっていると、向かいの箕輪がこっそり耳打ちしてきた。

「爽くんのお宅は兄弟仲がよろしくないそうで……間に挟まれてすごーく苦労なさっているそうですよ?」

「わお」

 睦は遠い目になる。

「僕も姉さんには振り回されっぱなし……」

「わかるかい!? 睦くん!!」

「え、あ、はい」

 突然の爽からの反応に困る。

「僕ん家はねー、姉さんと弟が仲悪くて悪くて……しかも子ども部屋一つしかなくて、三人一部屋なんだよねー……」

「さっきの過去では双海くん一人だったよね?」

「父さんと母さんが僕の息苦しさ察してくれてねぇ……あと、姉さんと弟はあのおじさんのこと悪く言うから。僕を引き合いに出して」

 五感異常は家族に理解されないことがある。特に触覚に関してはわかりづらいだろう。小学生にもなっていない子どもが向こう一週間の天気予報を当てるなど、不気味でしかない。

 睦も異常直感を理解してもらうまでは苦労したものだ。まあ、今も気苦労は絶えないのだが。

 最後に、箕輪に話題を振る。

「箕輪さんは? 一人っ子?」

「一人っ子になりましたわね」

「ん?」

 なんだか言い方に含みがある。

 そんな睦の様子に、瞳が補足した。

「箕輪は箕輪の家の養子なんだ。その前のことは知らないが、箕輪の家は子宝に恵まれず、家を絶えさせないために箕輪を引き取った、だったよな」

「さすがひーちゃん。素晴らしい記憶力ですわぁ!」

「へぇー」

 なるほど、それで箕輪は逐一自宅であるはずの箕輪家のことを「箕輪の家」と暈していたのか、と睦は一人納得する。

 そんなメンバーの兄弟事情が大体明らかになったところで、列車の速度が緩んできた。

 ピンポンパンポーン。

「まもなく、次の駅に到着致します。転倒などのないよう、お気をつけください」

 ピンポンパンポーン。

 安定のアナウンスを聞き終え、けれど瞳はもやもやしていた。

 睦の話題のまま走ってしまったが、本当に最後の休憩がこれでよかったのだろうか、と。

 しかし、列車が停車して、直後。

 どんな思考も吹き飛ぶような、思いがけない出来事が起こった。

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