れ
ミーンミンミンミーン、ミーンミンミンミーン、ジージジジジジー、ジージジジジジー……
ミンミン蝉と熊蝉が争うように鳴く夏の音がそこにあった。
「えっ?」
これまで、映写機発動の際は結構な騒音に悩まされていた鷸成が、もう耳を塞いでスタンバっていたのだが、杞憂に終わったようだ。
というか。
見渡す限り、田んぼ。純田舎というか。建物も木造っぽい建築が多くある。火災だなんだが懸念され、木造建築が疎まれる世の中とは思えない風景だ。
だが、それにもきちんと理由があり、少し向こうを見れば、さらさらと川が流れている。小川などではなく、雄大な川だ。なかなか川幅が広く、かかっている橋も大きい。が、車通りは少ないようだ。
「ここは……?」
瞳が辺りを見回し、きょとんとしている。それと手を繋いで、箕輪と睦がいた。
ということは、と隣を見ると、夜風が顔色を悪くしている。
「……双海がいない」
「爽が?」
瞳が動揺するが、それは一瞬のことだった。動揺を心の内に押し込め、瞳はすっと目を細める。
「ということは、ここは爽の過去か」
「ひーちゃんも知らない過去ですの?」
察しがいい割にずけずけと言えてしまう箕輪が問いかける。まあそれはいつものことなので、瞳はただああ、と頷いた。
「見ての通り、我々の地元ではない」
「そうですわね。十萌市にこんな場所があれば、箕輪の家の私がわからないわけないですものね」
そう、瞳たちの地元は箕輪の家が仕切っていると言って過言ではない。箕輪は地元きっての名家で、かつては地主だったため、広い市内に別荘がいくつもある。
石を投げれば、というほどではないが、地元のことを知り尽くした家であることに違いはないだろう。
それに、瞳たちの地元は駅があり、五分に一本は列車が出るくらいの都会である。対して、この一帯の風景は駅どころかバス停すら見当たらない。
「今時こんな田舎もあるもんですね」
なんとなく、都会の喧騒がなくて美味しいような気がする空気を飲んで、睦が言う。言ってる場合か、というように夜風が冷たい視線を飛ばした。
ブオオン、と威勢のいい車のエンジン音が聞こえて、鷸成は振り向いた。彼らがいるのは駐車場らしい。といっても、コンクリートで固められ、懇切丁寧に白線の敷かれたものではなく、土の地面にざっくり紐を刺して区切っているタイプのものだ。見れば、一番近くの建物は「旅館」と看板にあった。旅行客だろうか。
車の自動式スライドドアに、自分たちはとんでもなく遠い時代にタイムスリップさせられたわけではないという安心感を抱きながら、降りてきた子どもに瞳が瞠目する。
「わーい、着いたーっ」
「爽!?」
無邪気に笑う男の子に聞こえそうな勢いの驚き。映写機システムでこちらの声が聞こえなくてよかった。
名前に違わぬ爽やか印に若干の可愛さが入った男の子は、確かに言われてみると爽である。今との違いと言えば、夏らしく半袖短パンなことと、何より眼鏡をかけていないところだろう。眼鏡なしの爽なぞほとんどのメンバーが見たことがないか、目が3だと認識している。
「え、普通に爽やかイケメンじゃん……もう顔が出来上がってんじゃん……」
鷸成が引いた顔をする。鷸成は眼鏡を取った爽を見たことがなかったので、見たことのある瞳や箕輪、夜風から聞く「目が3」のイメージで育ってきた。まさに青天の霹靂と言えよう。
「さすがに幼少期までは知らなかった」
が夜風の弁。
「小学校入った頃にはもう眼鏡だったのでぇ」
と箕輪。さすがに小学校低学年の頃はまだ度が強くなかったため、目が3になったのは高学年のいいくらい度数が強くなってからだったという。
「別に昔まで3だったとは言ってない」
「それ屁理屈~!!」
一番爽と付き合いの長かった瞳の論に鷸成は難癖をつけた。
そんな鷸成を睦が宥めているうちに、映写機は進んでいく。
「おじさーん! 遊びに来たよー!」
「おお、爽くん、よく来たね」
爽が飛びついていった先はがたいのいい壮年のところだった。壮年は厨房に立つような白い服を着ている。仕事中だったろうに、わざわざ出迎えに来てくれたのだ。
瞳が解説する。
「爽と関わるきっかけになったのは、皆が見たであろう私の過去のトラウマである交通事故だ。それ以前のことは軽くしか聞いていないが、ここは爽の両親の知り合いの店らしく、毎年夏休みにはこの旅館に泊まりに行くのが楽しみだったそうだ」
「田舎の旅館か~。老舗じゃなくても雰囲気あっていいよね~」
確かに、ロケーションは抜群だ。田んぼは綺麗に青々と、その向こう側にはきらきらとした川、山も傍にあって、空気が美味しい。蝉が鳴くのは夏の風物詩だから、そんなに五月蝿くも感じない。騒音も少なく、大自然の奏でるバラードが耳に心地よい。
確かに、いい店構えだ。どういう仕組みになっているかはわからないが、とりあえず爽についていくことにした。
爽たち家族が案内されたのは三階の和室。外でも見られた景色が存分に堪能できる部屋だ。
「んー、蝉の鳴き声からするに、ここらに四百匹はいるかな。ちょっと蝉の脱け殻探してくる!!」
夏に蝉の脱け殻を探す。実に男の子らしい。
「蝉の脱け殻なんてどうするんだ?」
「リーダー、わかんないの? 男のロマンだよ!?」
「唐揚げにすると美味しいですよぉ」
箕輪は相変わらずどんな引き出しを持っているのやら。
そんな賑やかしの見えない爽は色々なことをした。女将さんの掃除を手伝ったり、自主的に勉強したり、外で本当に蝉の脱け殻を見つけたり。その中で特に多かったのは、やはり出迎えてくれたおじさんとの会話だった。
「お、爽くんいいもん持ってんなー」
「あ、気づいちゃった? じゃーん、蝉の脱け殻!!」
爽が自慢げに見せたのは形がかなり整っている蝉の脱け殻である。そのリアリティに瞳がうっと吐き気を催す傍ら、箕輪が脱け殻が立派な状態であることを褒める。
「とても形が整っていますわぁ! 状態から見て、そんなに日は経っていないでしょう。せいぜい二、三日でしょうかぁ。細やかな蛹の体の線が浮き出ていて、これはもはや芸術といってもいいでしょう。大自然の成せる業ですわぁ。無数に蝉がいるとはいえ、ここまでのものを探すのは難しいものですの。蛹の殻を破って成虫になるのですから、割れ方は一般的に認知されているほど綺麗なものばかりではなく……」
「箕輪さーん! ストップストップ!!」
蝉の脱け殻についてノンストップで語り始めた箕輪に睦がストップをかける。これ以上は脱線どころの話ではない。列車だけに。
はっとなった箕輪が失礼しました、と折り目正しく謝る。昆虫の話が苦手らしい瞳がほう、と胸を撫で下ろす。みっちゃんわかってるね~、とのりのりで話を繋げそうになった鷸成のことは夜風がチョップで制した。
睦は幼い爽を見ながらしみじみ言う。
「双海くんも、男の子らしい男の子だったんだね」
「別に双海を女っぽいと思ったことはないぞ?」
夜風のツッコミにそうじゃなくて、と睦は続ける。
「些細なことで、はしゃいで、笑って、人に自慢してみたりして。今の大人っぽい双海くんにもこういう時期があったんだなぁって」
今の爽は生徒会書記で副会長である瞳のことをしっかりサポートしているし、小学生の頃から、フェイスのリーダー補佐としてしっかり務めてきた。非常事態になるとわりとぽんこつになる瞳をフォローするしっかり者。それが大方の双海爽に抱くイメージだ。
他からも特に反論はなかった。一つ、あるとすれば、瞳がぽつりと呟いたこれだ。
「保育園の頃から、あいつはしっかりしていたからな。隙がないというか」
瞳までもがこんな無邪気な爽を新鮮に感じるのだという。
「でも、これが映写機……過去のトラウマを映すものだとしたら、この先、何が待っているのでしょうか?」
箕輪の投げかけた疑問に一同が首をひねる。
今のところ、この映写機は平和そのものなのだ。ただの子どもの夏の一ページを語っているだけにしか見えない。
まだ仮定ではあるが、映写機は過去のトラウマを映すもののはずだ。これがどうなったらトラウマになるのだろう。
疑問は疑問のまま、双海一家の旅館滞在生活は過ぎていき、何もないまま、終わろうとしている。
滞在最終日。爽は窓の外を吹く少し涼しい空気に晒され、ん? と首を傾げた。
それをおじさんに伝えに行く。昼休みで、外で薪割りをしていた。
「おじさん……」
「どうした? 爽くんや」
心持ち、暗い顔をしている爽をおじさんは訝しげに見た。
爽は顔を上げたり、下げたりと葛藤していたようだが、やがて躊躇いながらも告げた。
「一週間後くらいに、台風が来る。台風が過ぎても雨がなかなか止まないくらい、続くんだ」
「おお、いつもの天気予報かい? 有難いねぇ」
どうやらこのおじさんは爽の能力のことを理解しているらしい。冗談だとか誤魔化さず、きちんと聞いてくれる。だからこそ爽も話したのだろうし、このおじさんの口振りは爽が天気予報を伝えたのは一度ではないことがわかる。
大雨が続く。それはこの土地的には恵みよりも厄災を起こす。何せ、雄大な川があるのだ。川は大きく、土手はあるが、低い。ともすれば洪水となって、この街は大変なことになるだろう。
それを知らせてくれた爽をおじさんはごつごつした手で撫でた。
「ありがとな、爽くん。気をつけるわ。乗り切ったら、来年も遊びに来とくれよ」
「……うん」
自分の能力を信じて認めてくれたおじさんに爽ははにかんだ。
「いい話じゃないか」
「今時珍しいくらいな」
瞳と夜風がそう評価する中、ぽやんとしていた箕輪がふと気づいたように問う。
「あらぁ? でも、爽くんが夏休みに旅行に行くなんて話、今までにありましたっけ?」
言われて、睦がぞくりとする。
「まさか、水害で、このお店が……」
なくなったのでは、と言おうとしたところで、場面が切り替わる。
そこは爽の自宅だろうか。爽がリビングで、食い入るようにテレビに流れるニュースを見ている。あの街の名前は知らないが、川が氾濫したことを伝えるニュースの内容と、爽の様子からして、先程の旅館のある街で間違いないだろう。
ニュースが続けたのは雷が運悪く当たり、火災になってしまった旅館のことだった。
想像もしなかった結末である。川の氾濫前に旅館は雷に当たり、火災を起こした。ほどなくして氾濫が起こり、皮肉にもその洪水で火は鎮まったものの、死者が出たという。
女子どもを先に避難させるため、最後まで残っていた男性が亡くなったという。
同時、爽の母が受けていた電話を切った。
「爽、落ち着いて聞いてね」
「……嫌だ」
「旅館のおじさんが」
「嫌だ嫌だ嫌だ」
「……火事で亡くなったって」
「嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だぁぁぁぁぁっ!!」
察してはいたのだろう。ニュースを見た時点で。
けれど、心が受け入れるのは難しい。人の死に関して──知人の死に関しては。
自分を理解してくれる、数少ない人が、この世からいなくなった。それはまだ幼い、四、五歳くらいの男の子には受け入れがたい事実だったことだろう。
塞ぎ込む爽に母は続ける。
「でも、爽のおかげで他の従業員さんや女将さんたちは助かったって……」
「意味ないもん!!」
それは、子どもらしい癇癪だった。普段癇癪を起こさないからこそ、その出来事は爽の心をひどく揺るがした。
「おじさんが助からないなら意味ないもん。僕のやったことは……」
ばつん、と爽を残して辺りが暗くなる。爽は徐々に今の中学生の爽へと変化していった。
「意味が、ない。助けたい人を助けられない力なんて、意味ないよ……」
頭を抱えて蹲る爽に瞳が歩み寄ろうとしたそのとき、仲間の五人ではない人影が、爽に向かっていくのが見えた。
「旅館のおじさん、の霊……?」
「感情臭がある。普通の幽霊だろう」
瞳に夜風が指摘する。夜風は感情臭がする、とだけ言った。悪意などがあったら注意するだろうに、それだけ。つまり、あの幽霊には悪意がない。
おじさんの幽霊が、す、と爽をすり抜けた。爽ががばっと顔を上げる。
「おじさん……? だけど、ぞくっとした。やっぱり、僕のこと恨んでるんだ」
爽は霊感はあるが、霊の悪意云々までを見極める能力は持たない。完全なる誤解である。
その誤解を解こうと幽霊が一所懸命に爽の周りをうろうろしたり、すり抜けたり。しかしそれは完全に逆効果だった。
爽は堪らず逃げ出した。三号車に繋がる扉を開けようとする。瞳はまずい、と思って止めに走った。が、扉はすらっと開いてしまう。
三号車の何がまずいかというと、瞳が乗る前に視認した怪士面の幽霊が三号車にいるのだ。
怪士は「あやかし」「神霊」だ。ともすれば爽を連れ去ってしまうだろう。
ごうごうと風が吹き荒れる中、爽は三号車の扉を開けようとする。そこに瞳がすがりつく。
「やめてよ! なんで止めるの!?」
「危ないからに決まっているだろう!?」
「どの号車でも変わらないよ!!」
かちゃり、と扉が開く。
ゆら、と中空に揺らめく怪士の面があった。獲物が来た、とでも言うように、二人の姿を捉える。
「爽、捕まる! 逃げよう!!」
本能的に危機を察した瞳。けれど、見えているものが違うため、爽は「普通に見える」グリーン車に進んでいってしまう。
「爽! 駄目だ!!」
瞳が爽の手を引くが、爽はその程度では止まらない。見えていないはずの怪士面の幽霊に引き寄せられていくようだ。
「駄目、駄目だ駄目だ駄目だ!! 爽を連れて行かせはしない!!」
瞳がぎゅっと爽を抱き寄せた。瞬間、何かがぱぁんと弾ける音がする。
見ると、会長からもらった御守りが二人共一つずつ壊れ、中身が出ていた。それからふわりと妖しげな煙が立ち上り、それを吸ったのか、怪士面の幽霊が小さくなって消えた。
タイミングを見計らっていたのか、二号車から手が伸びてきて、瞳と爽を二号車へ引き込んだ。
「二人共、生きてますわよね!?」
「うん、心臓動いてるから大丈夫」
箕輪と鷸成の会話が聞こえる。瞳が少し起き上がると、箕輪が幽霊を三号車に押し込んでいた。
「二号車は満員ですの。三号車で我慢なさって!!」
そう言って箕輪がぎゅうぎゅうと幽霊たちを三号車に押し込め、扉に手をかけていた夜風に合図を送る。
ぴしゃん、と扉が閉められ、ふう、と一同が息を吐く。これにて一段落。
……と思ったが、爽が恨みがましげに瞳を見る。
「なんで、僕なんか放っておけばよかったじゃないか」
「何を言っている、ど阿呆」
瞳は膝の上に乗せた爽の頭にでこぴんする。
仲間を助けないわけがない、というのもあるが。
夜風が告げる。
「あの旅館のおじさんの幽霊からは悪意の匂いはしなかったよ。むしろ泣きたくなるくらい、温かい匂いがした」
「『みんなを助けられてよかった。助からなくてごめんな』だってさ」
鷸成が続け、ようやくおじさんの本当の思いが伝わる。爽の眦が熱くなった。
その頭を撫でながら、瞳が諭す。
「『私たちはヒーローになれる』そう言って、我々をここまで導いてきたのは、全てのきっかけは、お前だろう? 胸を張れ」
塞き止めていたものが一気に溢れ出し、爽は慟哭した。
少しずつ、列車のスピードが緩やかになっていく。
二号車を無事、クリアしたのだ。
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