り
ピンポンパンポーン。
車内放送のようなものが流れる。リズミカルで幽霊列車とは思えない軽やかなメロディラインに、一同は拍子抜けする。
その後に続いたのは、件の女性の声だった。
「当列車にご乗車いただき、誠に、ありがとうございます。尚、この列車の一号車は特別車両となっておりますので、ご乗車中のお客さまは存分にお楽しみください」
ピンポンパンポーン。
下降する音階でお知らせの終了を告げる。全員が顔を見合わせた。
「一号車ってここだよね?」
「特別車両? 特に変わったところはないが」
「それより、お楽しみくださいって、一体何を……?」
嫌な予感しかしない。
どよーんとした空気になる中、相変わらず箕輪がぽわぽわと笑いながら、ぽん、と手を叩く。
「もしかしたら、これも脱出系のお話なのかもしれませんわ!」
「え」
「この車両のどこかに、脱出のヒントがあるかもしれません。探索してみましょう!」
「ねえ、箕輪さん、それじゃあ僕たちが乗らなければ話が進まない展開じゃん」
「罠だったのですわ!」
「そんな明るく言われても……」
睦が頭を抱える。この御仁は脳内がお花畑なのだろうか。花が脳内飛び出してそこら中に散らされているような気がする。
まあ、箕輪美月という人はこういう人だというのはわかっているけれども。
そこで爽が挙手する。
「美月ちゃんの言うことも一理ある。探索してみよう」
「え、脱出のヒント探すんですか?」
「違うよ。この車両が特別なのなら、何かしら仕掛けがあるのかもしれない。次の駅までどれくらいあるかわからないし……そもそも、次の駅に着くために必要な装置がある、という可能性もあるからね」
なるほど、と睦が手を突く傍ら、向かいの相棒に同意を求めようとした爽だが……
「瞳?」
「あ、あ、あ、あああっ」
瞳が頭を押さえて叫び出す。その絶望に満ちた表情を爽は
そう、爽はこの悲壮感溢れる瞳の表情を知っている。爽だけが。
「ひーちゃん、どうしたんですかぁ? 乗り物酔いですかぁ?」
「乗り物酔いでこんな悲鳴上げるわけないでしょ。市瀬さん、市瀬さん、しっかりしてって……え?」
バツンと車内の電気が落ちた。爽が最後に見たのは電気の落ちる音に反応して耳を塞ぐ鷸成。照明と同時に、瞳の悲鳴も聞こえなくなる。
「停電!?」
「電車は走ってるよ、むっちゃん。がたごと音がするでしょ?」
「え、聞こえないけど……」
確かに、列車独特の走行音も聞こえなくなった。おそらく、鷸成が聞いている音は霊的なものなのだろう。
だが、列車が走っているということは停電ではない。暗くなっただけだ。気がかりなのは、瞳の声が聞こえなくなったこと。こんな真っ暗闇では何も見えない。肌で空気の振動を読んで他の者の動きを捉えることが爽にはできるが、夜目があるのは生憎と瞳だけだ。無闇に動かないのが得策である。
「みんな、動かないで。それと瞳、返事をしてくれないか?」
「あの、爽くん」
瞳の錯乱時に隣で宥めていた箕輪の声。いつも朗らかなのに、緊張感に満ちている。
「ひーちゃんが、さっきまで手を握っていたはずなのに、いません」
「っ……」
手を握っていたのにいなくなるとは。
「狐に拐われないようにね」
会長の言葉が脳裏をよぎる。
狐とは古来より、神の使いとしての認識と、妖怪としての認識が混在する生き物だ。こっくりさんなんかはその二つの属性をまとめ上げた怪談話と言えるだろう。
瞳が拐われた。何物とも知れないものに。
けれど、闇の中で当てずっぽうで動いても意味がない。状況を確認しないと。瞳が錯乱して離れただけかもしれない。
それなら、鷸成が足音を拾っているかもしれない。そう思い、声をかけようとしたが、それより先に、鷸成から進言があった。
「あれ、なんか声がする。子どもの声……」
「え?」
「子どもがたくさんと、二人くらい大人の女の人がいるかな」
霊的なものだろうか。霊感のある爽は特に何も感じないが。
「あ、私にも聞こえてきましたぁ」
「楽しそうだな」
箕輪と夜風の霊感なしの二人組の言葉に、霊的なものではないと察する爽。よく耳を澄ますと、確かに子どもの声が聞こえた。がやがやとしているが、賑やかで確かに楽しそうだ。
「ようちえ、んわっ」
睦が何かを言いかけたところ、不意に辺りが明るくなった。瞳以外の者の姿が確認できる。
「まぁ!」
明るくなったそこは電車内ではない。青空の下、てちてちと歩く幼稚園児たちの姿だ。担当の先生が、子どもたちが勝手をしないように声がけをしている。ほのぼのとした光景だ。
「え、何これ~」
「微笑ましいな」
「子どもたちに僕たちは見えていないのかな」
歩道と車道を区切るブロックをこんこんと蹴る鷸成。どうやら物には触れるらしい。夜風が子どもたちの姿に和み、一方で睦が子どもたちに手を振ってみる。無反応だ。
「触れるのに見えていないなんて、まるで私たちの方が幽霊みたいですわねぇ」
「え、普通に嫌なんだけど」
呑気に言う箕輪にドン引きする睦。
そんな、各々にこの空間に馴染んでいくメンバーに爽は合わせられなかった。非常に混乱していたからだ。瞳もいないこともそうだが……この光景、見たことがある。
それは瞳の──
ピンポンパンポーン。
結論に至ろうとしたとき、それを挫くくらい間の抜けた音階が車内放送を流す。
「特別車両の特殊装置、『映写機』を起動しました。皆さま、いかがでしょうか」
「えっ、映写機?」
目を丸くする睦。鷸成はそうなんだ~と納得してしまっているが、爽には違和感しかない。
映写機といえば、フィルムをセットして映画を見せる機械だ。こんなにも奇遇に、過去に見た光景が映し出されることがあるだろうか。映画などではなく、人の過去を。
まあ、「映写機」と名付けているだけで、映画を映すなんて一言も言っていない。列車が強い霊的空間であることから考えて、これは比喩か何かなのだろう。
「ところで、ひーちゃんはどこに行ってしまったのでしょう?」
箕輪の言葉にはっとする。辺りを見回しても瞳はいない……と思ったが、園児の中に懐かしい姿を爽は見つけた。
「あれだ」
園児の中で、みんながきゃいきゃいと騒ぐ中、一人無言でむつむつと歩く女の子。キャラクターものや意味のわからないアルファベットの羅列の入ったTシャツを着ている子どもたちの中、Tシャツの上にカーディガンという大人っぽい格好をした女の子は、ああ、なるほど、今の瞳とほとんど変わらない、園児の瞳だ。
「あらあらまあまあ、身長、一メートルありますかねぇ。可愛いですねぇ」
幼くとも大人っぽいという個性を失わない瞳を可愛いと形容してしまう箕輪。たぶん自分より小さければ可愛いのだろう。
それはさておき。
「え、僕が思ったのは一分の一スケールの市瀬さんなんだけど」
「あの瞳だって一分の一スケールの瞳だよ」
そういうことでないのはわかっているが。爽はとりあえず、この現状を理解するための時間を必要とした。
瞳がおらず、ここは瞳の過去。「映写機」という装置。それが何を映し出しているのか。もしかしてここが映写機が映している中……
リーダーを張れる瞳がいないため、リーダー補佐である爽が冷静に状況を分析しなければならない。この謎の空間からは、やはり脱出しなければならないだろうから。
この光景には見覚えがあるのは言った通りだ。
「あ、あれ爽くんでしょうかぁ? ちっちゃいし、眼鏡してませんねぇ。そして目が3じゃありません」
「ちょ!? 美月ちゃんまでそんなこと思ってたの!?」
顔の良さは定評があるのだが、眼鏡を取ると爽は目が3だと瞳が言っていた。まさか箕輪にまでそう思われているとは思わなかった。ちょっとショックである。
箕輪がにこにこ笑った。
「まさかぁ、冗談ですわぁ」
冗談かましている場合か?
と箕輪の呑気さに軽く怒りを覚えていると、鷸成が首を傾げた。
「あれ、なんか車の音が近づいてくる」
「え? 車なんて見当たらないけど……」
睦が周囲を見回して不思議がる一方、爽の顔が青ざめた。
間違いない。これは「あの日」だ。
幼い頃の記憶。きっと瞳が心の奥に封じていたはずの過去のトラウマ。爽もしっかり現場にいたから覚えている。
鷸成が続けた。
「にしても五月蝿いな。これはトラックかな。しかもクラクション鳴らしっぱなし……って、まさか」
超常的な聴覚を持つ鷸成はこれから何が起こるか、悟ったらしい。園児たちに叫ぶ。
「危ないよ、逃げろ!!」
「鷸成、私たちはあちらから見えていないし、聞こえていない」
「そんな……」
そう言葉を交わしているうちに、トラックが視認できるところまで走ってきた。空気に乗って、微かにクラクションの音がずっと鳴っている。
そう、
園児の中の瞳が振り向いて、トラックを見た。百メートル以上離れているが、瞳の視力なら余裕で運転席の状況までわかる。
瞳は弾かれたように列の先頭に出て、通せんぼをした。
「ちょっとぉ、瞳ちゃん何やってるの?」
「ここから先、進んじゃ駄目。トラックが突っ込んでくる」
すると、それを笑い飛ばす女の子が一人。三つ編みに結われた尻尾をひらひらとさせながら、瞳を嘲笑う。
「横断歩道だよ? 子どもが大勢渡るってわかるじゃん? 普通車は停まるんだよ。歩行者優先なんだから。そうしないと運転手さんが警察に捕まるんだよ」
「それで完全にルールが守られるんだったら警察はいらないし、安全が守られるんだったらルールもいらない」
毅然と言い返す瞳。この光景も爽は見たことがあった。一つ上のクラスのお兄さんお姉さんたちと一緒に散歩していたときの出来事だ。瞳の発言に難癖をつけたのは瞳と手を繋いでいたお姉さん。
「年下のくせに生意気。みんな、横断歩道渡っちゃおう」
そこに先生が制止をかける。
「待って。横断歩道を渡るときは、車が停まるのを確認してからですよ」
「えー、行こうよー」
先生はそのお姉さんを下がらせようとする。トラックはもうすぐそこまで来ている。このスピードなら、程なく横断歩道を通過するだろう。
それだけなら、まだいい。
「下がって!!」
「は?」
悲鳴のような声を上げて、瞳はお姉さんに最後の警告をしたが、先生によって、安全圏へと引っ張られる。
トラックは目前だ。
「きゃあああああああっ」
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