ビーーーーーーーーーーーーーーーーーーッガシャンッ!!

 その轟音の中に一人の女の子の悲鳴は消えた。が、見ていたものたちが今度は悲鳴を上げる。

「きゃあああああああっ」

「嫌だ、嫌だ! お姉ちゃん!!」

 弟とおぼしき男の子が、トラックに近づこうとする。姉が目の前でトラックに轢き殺されたのだ。現実味のない言葉の羅列。けれどこの上なく心に刻まれる事実。

 トラックのどでかいクラクションは鳴り続け、コンクリートのブロック塀にめり込んでようやく停まった。恐ろしい光景だ。瞳はあと一メートルでも前に出ていたら、巻き込まれていたかもしれない。

 そんな瞳はというと、いくら予想していたとはいえ、目の前で起こった惨劇に愕然とするしかなかった。四、五歳の女の子が受け止めるにはあまりにも生々しく、惨たらしい。

「どうにかする方法は、なかったのか?」

 見ていた夜風が聞いてくる。爽は首を横に振った。

「無理だ。これは過去に起こったことだから。過去は取り戻せない」

 至極真っ当な意見だった。更に爽は続ける。

「それにこれが映写機だというのなら、映像に僕らは干渉できない。ただ一つ、仮説として言えるのは……この映像は間違いなく、瞳の中にある過去の『トラウマ』だ」

「トラウマ……? 市瀬さんにそんなものあるの?」

 疑問に思うのは当然だ。瞳はその弱味を悟らせないように生きてきた。……あるいは、自らこの悲惨すぎる過去を記憶から消し去ったか。

 いずれにせよ、瞳はその過去は自分を弱くする、と自分の中から消し去り、誰に話すともなく過ごした。

「そりゃ、目の前でさっきまで喋ってた子が死んだらね……それに、聞いたことある。これって確かトラックの運転手が病気で気絶してたんだよね」

「十年ほど前のお話ですわね。私も箕輪の家で聞いたことがあります。まさかひーちゃんが巻き込まれていたなんて」

「ひどいのは、ここからだよ」

 爽が俯く。瞳がこれをトラウマと思ったのは、女の子が一人死んだからじゃない。

 お姉ちゃん、と絶叫していた男の子が瞳の方に寄ってくる。そして、瞳を罵った。

「人殺し!!」

 それはあまりに不当すぎる評価だった。

 瞳は殺してなんかいない。無情な言い方になるが、あの女の子は瞳の警告を聞かず、勝手に死んだのだ。

 けれど、まだ未就学児。人殺しの定義なんてわからない子どもである。子どもながらに傷ついた。当たり前だ。責められればそのままに受け取ってしまう。それが子どもである。

 瞳は自分を責めた。

 もっと早く気づいていれば。もっと早く警告していれば。もっと具体的に警告していれば。瞳の中にはもっとどうにかできただろう、という後悔が渦巻いた。

 瞳は同じ園に通う「お友達」が死んだのに、涙を流すこともできなかった。故に、「人でなし」とも言われた。血も涙もない、と。

「ひどいです……ひーちゃんは何も悪くないのに……」

 瞳が周りから取り残されていく映像が次々と浮かび、瞳は一人で蹲っていた。

 ……立ち直ったわけじゃなかったんだ、と爽は実感する。「あの日」の話をしないから、瞳はすっかり立ち直ったものだと思い込んでいた。

 それは間違っていた。瞳のあの絶叫、泣くこともできない絶望は心の中に深く刻み込まれていた。自分で自分に蓋をしただけ。

 一人、蹲る瞳に、爽は近づく。瞳は園児の姿のままだが、あれが瞳の本当の心なのだろう。

「──瞳」

 その肩に手を置いた。

「あれは瞳のせいじゃないよ。瞳は殺してなんかいない。瞳は正しいことをした。でも、正しい判断をしても尚、どうにもならないことだってあるんだ」

 聞こえているのだろうか。瞳は蹲ったままだ。

「ひーちゃん……」

 箕輪が心配そうに見つめる。他の面々も、一体どう声をかけたらいいのかわからない。

「五月蝿い!!」

 がばっと起き上がり、爽の手を思い切り払う。ぱしん、という音がして、爽がたたらを踏みながら退く。

 それを見た瞳があっと目を見開く。それから呻いた。目は爽のいる方向に向けられているのに、爽を見ていない。地面の方を見て、違う、違う、と少しずつ後退りする。

「ひーちゃん?」

 明らかにおかしい瞳の様子に箕輪が不審の声を上げる。けれど、それは聞こえていないようで……

「ちょっと待って、みんな、双海くんの足元に何か見えない?」

「ん、そういえば」

 睦の指摘に夜風が呼応し、爽も自分の足元を見る。そこには……

 ──血塗れの「双海爽」が転がっていた。

 爽は悟る。これはまやかしだ、と。しかし、目の前の瞳にはまやかしに見えていない。更には自分が突き飛ばしたから死んだ、などと思っている可能性もある。

「あ、あああ……」

 瞳の顔が絶望に、底知れぬ闇に染まっていく。

 市瀬瞳にとって、双海爽は唯一無二の存在だった。

 瞳の異常なまでの視力のよさに理解を示し、仲間になってくれた。「自分も不気味だと言われている能力があるんだ」と打ち明けて。

 交通事故のとき、爽は瞳を守ってくれた。予言めいたことをして気味悪く思われていた瞳を爽だけは理解してくれた。

 瞳には、運転席が見えた。運転手の頭がハンドルのクラクション部分に当たって、運転手は項垂れるような形で、目覚めることがないように見えた。その上、スピードを緩めるどころかスピードは上がっていくばかり。それが事故を起こすことなんて、火を見るより明らかだ。

 それを理解してくれる者は他になかった。そんな余裕、他の皆にはなかった。

 目の前で人が死んだのだ。そのショックを五、六歳そこらの子どもに受け止めろというのも酷な話である。

 故に、心の逃げ場として、子どもたちは「瞳を差別する」ことで自分の平穏を得ていたのである。ひどい話だ。

 そうしなかったのは、爽だけ。だからこそ、爽の存在が瞳にとって救いだった。

 その爽が、死んでいる。瞳の目の前に倒れている。血塗れで。

「そんな、そんな、そんな」

 周りの音が聞こえない。トリックオアトリートとかふざけたことを言って起きてくれたらいいのに。なんで死んでいるの? なんで私をひとりぼっちにするの?

「瞳ちゃんはヒーローなんだよ」

 そう言ってくれたのは、貴方だった。

「そんなわけないよ」

 ぐい、と瞳の髪を引っ張る存在があった。見ると、見覚えのある女の子の顔をしている。

「ヒーローなら、なんであたしを救ってくれなかったの? あたしはトラックに轢かれたわよ? あんたの警告を無視したから? それは違うでしょ。あんたに勇気がなかっただけよ。『あたしの身代わりに死ぬ』勇気が」

 そう、あのとき、この女の子が助かる方法が皆無だったわけではない。瞳がこの子の代わりにトラックの前に出て、この子を安全な方へ突き飛ばせば、この女の子は助かった。

 けれど、瞳はそれを選択しなかった。

「おまえの生き汚さのせいで、ぼくのお姉ちゃんは死んだんだ」

 今度は見覚えのある男の子。瞳の足にしがみついて、がらんどうの目で瞳を責め立てる。

「おまえは死ぬのが怖かったんだ。トラックに轢かれて死ぬ。一日に一回はニュースで見るような残酷な話。その物語の悲劇のヒロインになりたくなかったんだ。異常性故に幸せを求めるおまえはヒーローになんかなれなかった。中途半端な偽善者だ」

「!!」

 そうだ。ヒーローはいつだって「みんな」を救う。一人を失ってしまった瞳はヒーローを名乗る資格はない。

 徐々に表情を失っていく瞳をよそに、黒いどろどろとした塊で人の形を取る姉弟は二人で会話を始める。

「ねえ、お姉ちゃん。ぼくがどうして死んだか知ってる?」

「どうしてあんたは死んでしまったの?」

「ぼくは、いじめに遭ったんだ」

 瞳が目を見張る。

 弟のサイドストーリーなど、瞳は知らない。別な小学校に入ったらしいから。

 それが、いじめに遭っていたとは。

「みんな、お姉ちゃんのことを罵ってきたんだ。『人の言うこと聞かないから死んだ』『身勝手だから死んだ』『死んで当然だった』って、お姉ちゃんのことなんにも知らないくせに……!」

 それで瞳が責められるのはとんだとばっちりである。けれど、今の瞳は冷静ではない。

「お姉ちゃんが全部悪いみたいに言われるのもおまえのせいだ。おまえが変なこと言うから」

 それで姉を貶めて、殺した、と弟は言い切る。根拠も滅茶苦茶な論理。けれど、瞳はその論理に呑まれた。

「私が、悪い?」

「そうだよ!」

「私の、せい?」

「そう!!」

 姉弟が怨念を持って黒く、瞳に絡みつき、息もできなくなるように締め上げる。

「だからおまえは死ね」

 空気が喉から先へ入ってこない。不思議と苦しくはない。苦しいのは、息じゃなくて心。息はもう諦めた。もう息をしたくない。生きたくない。

 自分は一人の人間の命を奪った、罪人なのだから。

「ひーちゃん!!」

「市瀬さん!!」

 箕輪と睦が二人の幽霊を瞳から引き剥がそうとする。睦は霊感があるし、箕輪は触れる。

 箕輪は触れる、というか……

「本物のところてんにして食してさしあげますわ!!」

 黒酢片手にそんなことを宣う。

 そんな箕輪を箕輪さんらしいや、と苦笑いしつつ、睦がサポートする。

「話は聞いていたが、八つ当たり甚だしいな」

「っていうか幽霊のくせに五月蝿いよ!! 死人に口無しって知らないの!?」

 死人に口無しの格言を未就学児と小学校低学年が知っていたら恐ろしい。

 けれど、どの声も瞳には届かない。瞳はもう生きることを諦めてしまったから。

 幽霊をなんとか引き剥がした睦であったが、切り刻むための包丁を要求する笑顔の箕輪にドン引きする。幽霊たちまでもが顔色を失い、先程までの威勢のよさも失っていた。

 倒れた瞳に鷸成が駆け寄る。瞳から呼吸の音がしない。血の巡る音もしない。生きるのをやめようとしているのがわかった。

 夜風は感じていた。瞳のことを散々に言ったあの幽霊たち。今は黒酢をかけて食そうとする箕輪にすっかり怖気づいているが、感情臭がしなかった。つまり、あれらの言葉には何の感情もこもっていないか、何者かが作り上げた虚像ということだ。

 つまり、ロボットと変わりないということである。この空間も映写機がどうのこうの言っていた。何者かに操作されて生み出された機械という点では、あの姉弟霊と変わらない。

 ただ、瞳に的確にダメージを与えていることにはちがいない。瞳からは感情臭が消えかけている。それは無……諦めからくるもの。

 未練を残した幽霊ならば、強い感情臭を放つ。霊感はなくとも、それくらいはフェイスの面々で乗り越えてきた試練の中でわかったことだ。問題は幽霊でもないものに自分たちのリーダーが殺されるということである。

 夜風が鍵と鳴る人物を見やると同時、一斉に着信音が鳴った。

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