ぷおおおおおおおおん……

 マフラー改造疑惑のある車が通っていったのだろう。鷸成でなくともその音が聞こえた。

 が、今はそんなことは重要ではない。

 睦は汗だくである。それもそうだろう。その思考回路は困惑を極めていた。

 自分が強めの霊感体質であることは自覚している。フェイスに依頼した内容の中にも幽霊関係がなかったわけではない。昔から幽霊を見て、幽霊の声を聞くことはあったし、極めつけには金縛りにも遭ったことがある。生まれてこの方十数年だが、なんて人生だ、とは常々思うところだ。

 現在の状況を整理しよう。

 都市伝説の幽霊「ティアちゃん」に取り憑かれた。ティアちゃんはずっと一緒にいたという。フェイスのみんなに相談してみたところ、唯一声を聞き取ることができる鷸成が「何を言っているかわからない」と申告。しかし、自分は普通に会話している。

「ばりやばない?」

「睦くん、落ち着こう。それ何語?」

 混乱した頭で口から出たのはよくわからない言語だった。爽はまだ口をつけていないお冷やを差し出す。

 睦は言われるがままに水をぐびぐび飲んだ。箕輪が何故か目を輝かせ、「素晴らしい飲みっぷりですわぁ!」と一人ごちた。

「ええと、つまり」

 水で物理的に頭を冷やせたのか、睦が端的に言う。

「ティアちゃんが取り憑いている状態が精神衛生上大変よろしくないので解決していただきたいのですが、お引き受け願えますでしょうか」

 睦の口から放たれたのは改まった依頼の内容だ。その目は真っ直ぐフェイスのリーダーである瞳を見ている。

 が。

「除霊でもしてもらえばいいだろ」

 一蹴。だが、正論すぎて反論が一つも思い浮かばない。さすがは生徒会副会長。時折ポンコツだが、リーダーなだけあって、必要なときは弁が立つ。

 身も蓋もない言われように呆然とし、睦から表情の失われる様を見て、爽が必死にフォローの言葉を探す。

「た、確かに瞳の言う通りだと思うよ。ティアちゃんを無理矢理あの世送りにしたいんならね」

「あの世送りにしたいというか既にあの世の者ではないか」

 切れ味の凄まじい反論である。が、ここで怯まないのが爽がリーダー補佐たる所以だ。

「考えても見なよ、瞳。睦くんは確かに僕らへの依頼のうちの九割方を担ってるよ。ほぼ十割といっても過言ではない。でも、彼が何の考えもなしに僕らフェイスを頼ってきたことはないんじゃない?」

「……ふむ」

 それに、と付け加える。

「重要なのは、鷸成でさえ聞き取れないティアちゃんの言葉が睦くんには聞き取れて、会話を成立させていること、だと思うな。除霊だけなら霊媒師に頼めば済む。けど、ティアちゃんはそれだけでは済まない、何らかの理由を持っているんだ」

 わぁ、と横合いから華やいだ声が上がる。箕輪である。

「さっすが爽くん。いつもながらに推理が冴え渡っていますねぇ」

 ぱちぱち、と小さく拍手を送る箕輪に誰も笑いかけなかった。察したのだ。

「……箕輪」

「はい、なんでしょう?」

「もしかしてわざと、私と爽には依頼の仔細を教えなかったのか?」

 瞳が怒っている、ということを察知し、他の面々は沈黙を貫くが、箕輪は朗らかに笑う。

「やだぁ、そんな悪意的な受け取り方しないでくださいよぉ。私はお二人が忙しいと思ったので、文面を手短にしただけですよぉ?」

 箕輪と瞳の間に挟まれて座っている夜風の顔色が悪い。それもそうだろう。夜風は鼻が利き、感情臭を読み取ることに長けている。今、二人の間にはとても複雑な感情臭が漂っているはずだ。

 瞳の怒りは強い。が、箕輪の行動には一切悪意がないのを知っている。故に怒りづらい、という感情。一方、箕輪からは感情臭が一切しない。代わりに石鹸の香りがする。こんなに強い怒りをあからさまに向けられるであろう場面でこいつはにこにこしながら、「何も思っていない」のだ。恐ろしいことである。

 基本、箕輪からは感情臭がしないのだが……夜風は異様としか思えなかった。

「あ、あのさ」

 そんな複雑な空気の中、挙手しながら発言したのは睦だった。慣れはしないが場数は踏んでいる。

「元々そういうことになるだろうなぁ、とは思っていたから、僕の口から、一から説明するよ。それでどうかな?」

 瞳はふむ、と軽く顎を引き、顎に手を当てて考えた後、頷いた。

「まあ、依頼内容は依頼人から聞くのが妥当だ。箕輪の行動も悪手ではない。聞かせてもらおう」

 場の空気が少しだけ弛緩し、一同が胸を撫で下ろす。

 それから、長い話になるから、何か小腹に入れよう、という提案に全員が賛同し、この席何回目になるかわからない追加注文を取った。

 ちなみに、紙の裏に透けて見えた数字の桁に少し瞳が青ざめた。誰が払うんだこんなん。

「あらぁ、お支払いならご心配なくぅ。私が食べた分がほとんどですからぁ」

 箕輪がほわほわした笑顔で言う。瞳がすかさず突っ込む。

「公衆電話使用目的以外での現金の持ち込みは校則違反のはずだが?」

「いいえ、瞳ちゃんったらぁ、忘れたんですかぁ? 現金の持ち込み自体は校則違反ではなく、やむを得ない場合、校内で教師に預けておけば、違反ではありませんよぉ?」

 む、と瞳が押し黙る。箕輪の言う通り、教師に預けておけば違反にはならない。

「でも、そんなに大金持ち歩いて大丈夫なんですか? そもそも」

 睦からの至極真っ当なツッコミにも、箕輪は朗らかに答える。

「あらぁ、むっくんはまだ慣れていないのかしら? 箕輪家は結構なお金持ちなんですのよ? そこに令嬢として入った私は、学校行き来するのにいちいちタクシー使わなきゃならないんですのぅ」

 令嬢として入った、とは意味深な響きだが、実際、箕輪という家は相当でかい。そこの令嬢ともなれば、毎日リムジンで送り迎えされない方がむしろおかしい。

「ふふ、だからみんなと会うときは楽しいんですよ? お忍びで出歩けますからねぇ」

 睦はフェイスという組織には所属していない。故に、面々の事情についてもほぼ表面しか知らない。

 何故フェイスが結成されたのか、とか、厄介事とわかっていながら何故依頼を引き受けるのか、とか、個々の事情とか、気になることはたくさんある。が、睦はいつも目の前のこと、自分のことでいっぱいいっぱいで、聞けずにいる。

 今回こそはみんなのことを知れるといいのだけれど……

 食事が全員分運ばれてきたところで、睦は食べながら話し始めた。

「それで、ティアちゃんなんですが、僕の目の前に突然現れて泣き出したんです」

「大丈夫? 死亡フラグ立ててない?」

「立ててたらこんな呑気に相談しませんよ」

 泣いている少女の幽霊。勘がただひたすらに強い睦はすぐに都市伝説のティアちゃんと結びつけた。故に「どうして泣いているの?」とは聞かなかった。

 でも、ティアちゃんが泣いているということは誰かしかに死が待っているということなのでは、と推測した。「どうして泣いているの?」と聞きさえしなければ、無害といってもいい。

 そこを衝いて、睦はティアちゃんと対話することにした。

 ティアちゃんは泣きっぱなしだったが、ちゃんと応じてくれたという。

「それで、ティアちゃんが言ったんです。『愛してほしいの』と」

「『愛してほしい』?」

 爽が疑問符を浮かべる。それに頷くように、ナポリタンを食べながら鷸成が言う。

「幽霊が愛してほしいだなんて変な話だね~」

「変ではないよ」

 睦が否定した。

「ティアちゃんの生前がどんなかはわからないけど、もしかしたら、誰にも愛してもらえずに死んだのかもしれない」

 睦の主張にフェイスのメンバーがしんとなる。睦は沈黙に戸惑った。

「えっ、えっ、僕変なこと言った?」

「いえ、至極真っ当なことを仰いましたよぉ。睦くんだからこそわかる感覚でしょうねぇ。素晴らしいですわぁ」

 箕輪はいつも通りの笑顔で答えてくれる。どどめ色の飲み物が怖い。

「まあ、親から愛を得られない、周りから愛されない。自分に愛が向けられないから死を選ぶ、というのは愚かしいことこの上ないが、昨今、そういう事案が増えているのは事実だ。そのティアちゃんとやらもそういう口なのだろう」

 カルボナーラをくるくると巻きながら、冷静に瞳が断ずる。爽が苦笑いした。

「夏休み明けの自殺者の話? 瞳、そういう話昔からずっと苦手だもんね」

 爽は言うと、ジェノベーゼをはむ、と口に含む。

 確かに夏休み明け、九月一日の自殺者、しかも学生は特に多いと言われる。睦の親も、転校を繰り返して陰鬱だった頃の睦を九月が来るたびに心配していた。

「それで……何故、私たちへの依頼に繋がるんだ……?」

 怠そうにスープパスタから麺を掬い上げながら、夜風が問う。

「それが、ティアちゃんから『あなたの友達を紹介してほしい。そしてみんな愛してほしい』とのことで」

 ぱあっと睦の隣の少年の表情が明るくなる。真っ赤なソースにまみれた状態で、もごご、もごごと何やら言っているが、理解できない。

「当然、こんなに長くお世話になってて、縁を切らないでくれるなんて、友達以外の何者でもないよ」

「ふごごー!」

「どういたしまして」

「ねえ、なんで二人は会話成立してるの?」

 横で見ていた爽がとうとう突っ込む。

 睦はきらきらとした笑顔でこう宣言。

「勘です!」

 睦はこういうやつだった、と呆れながら、瞳はフォークに綺麗に巻かれたカルボナーラを口に放り込むのだった。

 咀嚼し、飲み込むと、瞳は切り出す。

「にしても、『愛してほしい』と言われてもな……具体性に欠ける。友達を紹介してほしいの時点で、なんとなく恋愛的な意味ではないことは察したが、『愛する』と一口に言っても難しい。その上、肝心のティアちゃんと会話できるのは鹿谷だけときている。交流なくして、愛も何もあったもんじゃないだろう」

「では、私は触れますから、愛いっぱいにぎゅーっと抱きしめて差し上げましょうかぁ?」

「今朝自分をところてん扱いしてきた人に抱きしめられても食べられるとしか思わないよ……」

「食とは愛の融合ですわ!!」

 と、箕輪が語る。ところてん案件を思い出したらしいティアちゃんが睦の傍らでがたがたと震えた。

 んんー、と咳払いをし、睦が話を仕切り直す。

「それについても、ティアちゃんから提案されているんだ」

「おお、話がきな臭くなってきたな」

「瞳、失礼だよ」

 まあ、幽霊からの提案など、きな臭い以外なら現実味がないとしか言い様がないだろう。

「ある場所に来てくれれば、みんなと話せるようになるって言ってるんですよ」

「胡散臭いな」

「ある場所って?」

 いちいち口を挟む瞳を遮るように爽が聞いた。

「駅です」

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