きーんこーんかーんこーん、きーんこーんかーんこーん、きーんこーんかーんこーん、きーんこーんかーんこーん……

 これは下校時刻を知らせる鐘である。夏休み直前なので、午後は一時半を回る頃に鳴った。

 部活以外の生徒はほとんど退散し、実質夏休み一日目を満喫している。しかし、例外は往々にしてあるもの。

「瞳ー、麦茶いる?」

「自分で持ってきている」

「さすが」

 狭くて暑い二階の片隅にひっそりとある生徒会室。ひっそりとしている割には仰々しい名前だと、市瀬いちのせひとみは常々思っていた。

「で、会長は見つかったか?」

「完全にとんずらされたね」

「……そうか」

 溜め息も吐きたくなるというもの。瞳はこの学校の生徒会副会長。行方不明のことが多い生徒会長に振り回される日常を送っている。

「もう帰ろう? 瞳。美月ちゃんたち待たせてるし」

 そう呼び掛けたのは生徒会書記の双海ふたみそう。瞳の幼なじみにして、右腕と呼べる存在だ。この暑い中、長袖にベストを着ているが、それを感じさせない爽やかさがある。軽薄でもなく、人を思いやれる人間なので、女子にモテそうだが、彼に浮いた話はない。瞳がいるからだ。まあ、瞳曰く、視力がほとんどない爽は眼鏡を取ると目が3になっている激ダサ男らしい。

 二人はただの幼なじみ。別段仲が悪いわけではないが、浮いた話にまでは発展しない。何故なら互いの認識は恋人でもなければ友達ですらなく、「仲間」だからだ。

 爽が口にした美月ちゃんとは箕輪のこと。今ファミレスでわいわいやっているだろう四人とは交流が深く、「フェイス」という組織をやっている。

「鹿谷からの依頼だったか。確かに早く我々も向かわないと、気を揉ませるだろうしな、鹿谷に」

「巴会長のことは顧問の先生に任せればいいよ」

「はあ……」

 瞳が溜め息を吐くのも仕方ない。学校の出席率は百パーセントの先輩なのに、何故か生徒会の仕事をせず、どこかをほっつき歩いている。せめてどこをほっつき歩いているかわかれば、瞳の心労も減るのだが。

 何が心労かというと、会長は生徒会が目を通す書類をほっぽってどこかに行っているのだ。生徒会総会の大変だったこと。その割「この議案通してちょ♪」みたいな書き置きを残してとんでもない企画書を置いていったりするので、その議案を通すために瞳は他の役員共々大変奔走した。

 まあ、夏休みに入ったのである。これまでのことに関する文句や個人的な意見については夏休み明けに全力でぶつけてもかまわないだろう。必要書類の提出、チェックは終わった。さすがに今日はあの御仁からの無茶振りもない。それなら、無茶振りされる前に下校してしまうのが得策だろう。

「帰るか」

「窓締めるね」

 戸締まりをチェック、生徒会室の鍵を職員室に返し、瞳と爽は下校した。

「うーん、相変わらず、見られてるなぁ」

 瞳と並んで歩く爽が呟く。瞳が爽を見上げた。

「なんだ? 不審者でもいるのか?」

「質問の振り幅広すぎだよ。いつものことでしょ」

「いつものことなら気にするな」

「そう言われてもなぁ」

 うーん、と爽は頬を掻く。それから瞳に告げた。

「瞳はもうちょっと自分が美人だって自覚した方がいいよ?」

「目が腐ったのか? 箕輪や夜風先輩の方が断然美人に決まっているだろう?」

 言い切る瞳に肩を竦めて返した。

 確かに公認のマドンナである箕輪や陰気だが、大和撫子然とした容姿の夜風は人気が高い。しかし、瞳も引けを取らないのだ。

 自信がないのかとも思ったが、強い口調にこもっているのは確信の色。つまり、瞳は本気であの二人には及ばないと思っているということだ。謙虚といえば聞こえはいいが、過小評価のように爽は思う。

 自分に自信がない、というわけではないので、過小評価を否定しづらくはあるのだが。

 まあ、爽が感じている視線は実は瞳が美人というだけてなく、爽がそこそこなイケメンであることも起因するのだが、全く気づいていない様子だ。

 もしくは、長袖カーディガン、長袖シャツにベストの二人の姿が、蝉も怠そうなこの暑さの中で異様に見えるだけかもしれない。

 まあ、視線がいくつ刺さろうと、慣れてしまえばどうということはない。二人共、あまり無駄話や与太話が好きな類の人間ではないのだ。歩いていれば、目的地に着いた。

 ドアを開けて店に入ると、爽は何も言わずに箕輪たちの元に向かう。瞳の足にも迷いはなかった。それは二人の信頼関係云々ではなく、各々の能力に起因する。

「あ、ひーちゃんに爽くん、やっと来ましたねぇ。お疲れさまです」

 頬にホイップクリームのついた箕輪が満面の笑みで出迎える。そんじょそこらの男子なら召されるこの笑顔も、慣れでどうにかなるらしく、爽は遅くなってごめんね、と爽やかに応じた。

 相変わらず異空間にいるみたいだ、と爽と箕輪のやりとりを見ながら睦は感じる。陰キャとまではいかないまでも、転校すること十数回、友達の一人もろくにできなかった自分が、美男美女が言葉を交わす華やかな空間にいずっぱりでいられるようになるなど、五、六年ほど前の自分に想像ができただろうか。全く、人生とはわからないものである。

「ところで」

 席に就くなり、瞳が睦の方を指差した。

「そこにいる女は何なんだ?」

「こーら、ひーちゃん。人を指で指しちゃ駄目ですぅ」

 どうやら、瞳には見えているらしい。さすがというかなんというか。

「この子が今回の依頼案件です……」

 フェイス。それは五感のいずれかに秀でた者たちの集まりである。普通に溶け込み、生活する者もあれば、その異常性を持て余したり、異常性を誤魔化して、影で苦しんでいる者がいる。

 そんな者たちのために設立されたのがフェイスという組織だ。組織といっても、メンバーはここにいる睦以外の五人のみである。瞳をリーダーとし、リーダー補佐として爽、依頼仲介人として箕輪が立ち回っている。

 睦はというと、小学校で彼らと知り合って以来、彼らに依頼を持ち込む常連客となっている。

 睦は話し始める。

「よくわからないんだけど、この女の子の幽霊……都市伝説の『ティアちゃん』に取り憑かれてしまったんです」

「いつから?」

「気づいたのは今朝ですが、ティアちゃん曰く、『ずっと一緒にいた』そうで……怖」

「ティアちゃんって喋れるんだね」

 見えもせず、聞こえもしない爽が関心する。爽はオカルトマニアなどではないが、若干の霊感がある。

 クールにジンジャーエールを飲んでいる風な幼なじみに瞳が問う。

「その心は?」

「気配が既に禍々しい」

 よく見ると手ががたがた震えている。

 爽は触覚に優れており、視線や気配などに敏感だし、空気の流れや風を読める。そのため、見えなくても幽霊の気配がわかったりする。

「なんだか寒そうですねぇ。ホットのコーヒーでもお飲みになられてはいかがでしょう? ここのは豆の煎りが深いので、苦味が強いですが、コクも深く、一介のドリンクバーにしておくには勿体ないくらい美味しいですよ?」

 一介のドリンクバーのコーヒーに対してここまで明確な表現で語ったのは箕輪。彼女は味覚に秀でており、味の分析が上手く、その圧倒的な語彙力でその魅力を他者に伝える能力まである。霊感はこれっぽっちもないのだが、睦とのやりとりであった通り、何故か幽霊に触れる。

「深煎りなのか……なかなか芳ばしい香りなわけだ。それでいてくどくない。……しかし、フレーバーティーはあまりおすすめできない。紅茶の香りが死んでる」

 箕輪の言葉に乗って語り出したのは夜風だ。フレーバーティー云々は完全に好みの話であるが、彼女は嗅覚が優れている。それは人の体臭などから感情臭を嗅ぎ分け、心を読めるレベル。

「えー、コーヒーにっがいじゃん~。みんな大人舌すぎて俺お子ちゃま~」

 へらへらとしているが、これでティアちゃんの声が聞こえているのが鷸成。ヘッドフォンをしながら会話を成立させていることからわかる通り、聴覚に優れている。霊感というほどではないが、そういう現実的ではない音が聞こえる。

「鷸成、睦の隣で大丈夫なのか? お前も心持ち顔色が悪いぞ」

「うっそ~!?」

 鷸成に指摘したのは瞳である。瞳は洞察力、観察力が優れているが、その根本にあるのは視力のよさである。その視力は些細な色の違いも細やかに分析し、五百メートル先から手を振っている人物が見えるほど。

 霊感はあまりないが、霊視能力はあるようで、彼女の目にはくっきりはっきり、金髪碧眼の少女の幽霊が見えている。

「ちなみに、そのティアちゃんってどんな子なの?」

 戯れに鷸成が尋ねると、瞳が少し考えてから答える。

「女の子だ」

 全員がずっこけた。

 代表して爽が突っ込む。

「そりゃ、都市伝説の『ティアちゃん』は少女の幽霊って言われているし、ちゃん付けの時点で性別は察しているよ……」

「そうだったか。わりと女の子らしい女の子だぞ。幽霊とか、死んだ人が着ているとか言われているあれ……ええと……白い、着物?」

「死装束ね」

「そうそれ、ではないし」

 へえ、と一応関心のあるように反応してあげる辺り、爽もさすが幼なじみというか、気遣いのできる男である。

「じゃあどんな服装なの?」

「ええと、肩出てるやつ」

「ノースリーブ?」

「違う」

「キャミソール?」

「違う」

「ワンショルダー?」

「なんだそれ?」

 お洒落知識がない以前の語彙力の問題がそこには存在している。もちろん、生徒会の副会長という座に就いている以上、普段はこんなではないのだが、プライベートな日常になると一気に語彙力を失くす。玉に瑕である。

「オフショルダーのことでしょうか?」

「そう、それだ!」

 箕輪が救いの手を差し伸べて、ようやく解決した。

「っていうか、僕に聞いた方が早くなかった?」

「あ」

 静観していた睦が声をかけると、瞳、鷸成、爽が固まる。確かに見えていて声も聞こえる睦に聞くのが一番早かっただろう。

 そんな睦は五感と並べて人間の「第六感」と言われている直感能力に秀でている。その勘は根拠がないながらに百発百中で、予言者めいた彼を気味悪がる者も少なくなかった。

 睦は特にこれといった欠落はないが、幽霊に取り憑かれたり、事件に巻き込まれたり、あるいは事件を起こしたり、と何かと幸薄いのが特徴である。

「ティアちゃんは金髪にミントグリーンの目をしている女の子だよ。髪は長くて、後ろでバレッタでまとめてるね」

「バレッタって何だ?」

「髪留めの一つだよ、瞳」

 瞳のお洒落度のポンコツぶりに頭を抱える爽。まあ、瞳は視界の邪魔になるのが嫌で、常に髪を短く切り揃えているため、髪留めと縁遠いかもしれないが。一応ティーンエイジャー、年頃の女の子なので、知識くらいはもう少しあってもいいだろう。

 そんな爽はよそに、瞳はティアちゃんを見つめる。それは穴が空くのでは、と思えるほどに。

「ど、どうしたの?」

 角度的に自分が見られているようにも感じるため、睦が身を引きながら問う。

 しばらく無言で見つめ続けたが、やがて一つ唸ると首を横に振る。

「すまん、気のせいだろう。他人の空似というやつだ」

「幽霊にも他人の空似とかあるの……?」

「いや、現実に存在する人間に似て見えただけだ」

「尚一層怖いんだけど」

「幽霊と生きてる人間が似てるなどあり得る話ではない」

「言い切る?」

 親戚の霊とかならワンチャン似ていてもおかしくないが……と睦はティアちゃんを見る。

 金髪にミントグリーンの目、白い肌は日本人じみていない。

 まあ、身近に外国人なんていた覚えはないから、これは確かに見間違いかもしれないが。

「美人さんの幽霊ならいいんじゃない? 害がなければ」

 爽が軽い調子で言うと、睦がばんっと机に手を叩きつけ、勢いで立ち上がる。

「害があるからこうやって相談してるんじゃないですか!!」

「あ、それもそうか」

「そうだよ~。爽兄ったら、全く~。時々言うことが見当外れだよね~」

「うっ」

 後輩からの容赦ない一言に爽はダウンした。

 けれど、鷸成に睦の辛さがわかるのも事実。

「こんな声でずっと泣かれてたら頭おかしくなるよ……」

「そんなにひどい声なの?」

「しんどい」

 うー、と鷸成はヘッドフォンの上から耳を塞ぐ。

「なんて言うの? きーんって感じ?」

「耳鳴りかな?」

「うーん、かなり高い声というか……正直何言ってるのかわかんない」

 鷸成の話を聞き、箕輪があら、と反応する。

「むっくんはコミュニケーションが取れているようでしたが?」

「え」

 皆が一斉に睦を見た。睦は青ざめている。

「え、まじ……?」

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