第6話 彼女はもう居ない

「僕が生まれたベールと出会った泥地に、無かったハズの水が湧いていたんだ。環境が変わったってことは、ベールに何かあったんじゃないかな」


 弱くなった。そう僕に告げた竜に、僕は自分が見たことを説明した。


「……そうか」


 短く返事をした竜はしばらく思案して、決心したようにまた口を開いた。


「リゲルよ、あれのもとへ行くぞ」

「どういうこと? ベールに何かあったの? というか、急に会うだなんて」


 重ねる僕の疑問の言葉を、竜は舌打ちを一つ。風の弾を打ち出し、僕の顔を消し飛ばす。


「相変わらずクドイ。行きながら話す。このまま走るぞ、早く戻せ」


 僕の疑問には答えずに、竜は僕にそう指示する。けれど、なかなか再生が進まなかった。仕方なく球体状に変化し、転がることにする。


「これでも話せる。ただ足がないから森では遅いかも」

「良い。その程度の差で状況が変わるわけではあるまい」


 森を駆けるのは初めてのはずなのに、竜は枝葉を散らすことも、ぬかるみや木の根に足を取られることもない。何百と駆けてきた僕よりも圧倒的に速かった。やっぱりというか……枝の一つも揺らさない所作には、森に対する気遣いさえ感じる。少し悔しい。


「もう少しで勝てそうだったのにな」

「それはない」


 負け惜しみなのは分かっているのだろう。

 ひとり言とも取れた呟きを、竜は鼻で笑った。その声に威圧はない。


「だが、オレ以外からは、あれを守れるようにはなっただろう」


 明確に僕を評価するような発言は、あの一撃の時以外は無かったと言っていい。

 その一言が、今から向かうベールの状況が良くないということを示していた。

 だからこそ言っておかなきゃならない。

 対等には遠いけれど、ベールの友達として。


「ねぇ、って呼ぶのはやめなよ」

「なんだと?」

「彼女はベールだ。分かっているんでしょ?」


 進む速度は変わらない。もっとも、僕の速度に合わせているから竜にとってはゆっくりなんだろうけど、僕の言葉に反応も、こちらを見ることもなく、しばらく沈黙が続いた。


「リゲルよ、お前が初めてオレの前に現れた時の姿。あれは、かつてオレが戦い敗れた、勇者の姿だった」


 竜が話し始めた内容は、僕の言ったことの返答ではなかった。けれど、関係があるから僕に語るのだろう。





 竜は物語ものがたる。

 かつて自分がまだ若く力を過信していた頃、こことは違う場所でその猛威を振るい、多くの生き物を脅かしたことを。ヒュームの国の近くの山を縄張りにし、ヒュームだけではなく、他の種族にも貢物を要求したこと。

 歯向かうものを殺したこと。

 いさめる同族をも殺したこと。

 やがて邪悪なものとして討伐の対象となり、多くの種族から狙われ、返り討ちにしてきたこと。


「オレはそれがなぜ非難されるのかさえ、その時には知らなかった。ただ力があり得るものがあるならば、得ることこそ生きる意味だと信じてすらいた。だが、力には限りがない。それはオレにも、他の者にもそうだった」


 やがて、更に力ある者が現れる。

 それがベールの好きな物語の、ヒュームだった。


「圧倒的だった。手傷を負わせたはずが巧みなマナ操作ですぐに癒し、体躯の差は剣をマナの刃で伸ばし埋める。反対にこちらは小さきその者に攻撃が当てられず、焼き払うにも他の生けるモノ共が剣士を守った」


 剣士は竜に告げたという。争いは気づいたら始まっている。強者は強者で始まり、弱者は弱者のまま狩られる。お前はただ種族として強いのみで、研鑽けんさんのない赤子として敗れるのだと。

 それは僕が竜に言われた言葉そのものだった。


「死にかけたオレは、この森に逃げた。いや、戦意を失ったことを見抜かれ、見逃されたのだろう。死を目前にして、みっともなく逃げ出したのだ」


 自嘲じちょうするように竜は自身を語った。剣士はその後勇者と称されたことを知ったと、竜は続ける。

 正直負けたことが信じられないけれど、その体験がなければ、僕がこうして話せるような存在ではないということも、また納得ができた。


「死にかけたオレを癒したのは、一人の長耳族エルフだった。名をベールと名乗った。そして、彼女はもう居ない。お前が言うベールという存在。あれはエルフでもなければ、ベールでもない」


 意味が分からない。そう反論してしまうのは簡単だったろう。でも、その言葉は言えなかった。先を行く竜から、ポツリと雫が飛んできたから。


「当時は、他にもエルフがこの森に棲んでいた。彼女は中でも幼く、どうしてかオレを恐れなかった。癒しの技は拙かったが、何度も繰り返し、その時間ずっとオレに話しかけていた。やっとオレが言葉を話せるくらいに回復した時、彼女は笑った」


 意味が分からなかったと、そう竜は懐かしむ様に笑う。

 どうして? そう聞くことが、今の僕の役割だ。


「エルフ以外の友が欲しかった。オレを見てそう考えるなんて、信じられるか? まるで向こう見ずなお前みたいだ」


 身体ごとこちらを向き、それでも竜は木々を傷つけることなく進む。


「リゲルよ。お前が弱くなったのは、お前との戦いを経て、俺がお前の友であることを望み、を忘れる瞬間が一時でもあったからだ」


 金色の瞳は悲し気に揺れていた。表情が苦し気に歪む。戦いながらずっと見てきたから分かる。そこにあるのは、間違えようのない後悔だ。


「あれはオレが彼女との別れを惜しみ、彼女の存在を望んだことで森のマナが作用し生まれた、ベールの姿をした木精霊ドライアドだ。本人も知らないがな」

「……意味が分からない」

「今は分からなくていい。あれの元へ行けば分かる。そしてリゲルよ、お前もリムーバーゲルではない。お前が復活すると言っていた泥地。あそこは湖だった。孤独な木精霊が長い間友を望んだことで生まれた、意志を宿した水精霊アクアエレメント。それがお前だ」

「……君が願いベールが生まれ、ベールが願い僕が生まれた……?」


 そうだと頷き、竜はまた前を向く。


「摂理に反した歪んだ願いの連鎖で、あれとお前は生まれた。オレはそれを知りながら、彼女との時間を反芻するために遠目からずっと見ていた。今やこの森はその鳥かごだ」


 乾いた声で、竜は笑う。もう終わらせるべきだと。



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