第4話 ヒマだからな
もう一度よく周りを確かめる。それでも、やっぱりここはあの出会いの場所に間違いなかった。視線の先に、木の台で出来た通路への梯子もある。
泥地だった場所には、少しだけ水が戻っていた。
「分からないなら、もう一度」
それだけ呟き、自分を叱咤する。
何も分からないけれど、考え続けながら僕は竜の所に再度向かい、また一日かけてたどり着いた。
リムーバーゲルだからなのか、森のマナのお陰なのか、体が重くなったり、息が切れたりすることはない。疲れは本で読んだ知識で、言葉しか知らない。でも、悪いことではないのだろうと思う。
「同じことを繰り返してもダメだよね」
竜の態勢は何も変わってなかった。声はかけずに観察する。目だけで僕くらいある。丸まっていると大きい山みたいだ。黒いから、木々というより岩。
とりあえずその辺の枝を投げてぶつけようと、大きめの枝を拾った。
鼻のあたりに向かって投げる。放物線を描いて飛んだ枝は、竜にぶつかり乾いた音を立てた。
じっと見つめていると、竜のまぶたが開いた。
瞳の色は、物語の本に描かれていた月のような金色。瞳孔が縦に細められ、僕を見ていることが感じられる。そこまで時間は経たなかったと思う。竜はまた、ため息を吐いた。
今度は、僕は沼地に移動していない。けれど、視界が白みゆがんだ。次いで、全身を冷たさが支配する。
動けない。まさか、凍っている?
ゆっくり遅れて、冷たさが全身を包む。屈折する視界から、氷塊の中に閉じ込められたことが理解できた。もとはゲル状の全身が芯まで凍っていくのを感じる。
「……なるほ、ど?」
瞬きでもしてたかな? そして僕はまた一瞬で、あの泥地にいた。
予想できることはある。竜に僕が倒されたってことだ。
◇
僕が復活するのは、この泥地。確証はないけれど、そう考えた方が良いだろう。
再度竜のところに戻ると、今度は起きておりジッとこちらを見つめていた。
何かを考えているのか、目が鋭く細められる。
大きな口が開き、何かを言いかけたように見えたけれど、それは分からなかった。激しく振動したと思ったら、また泥地に居たからだ。
「まいったな。なんでやられてるのか全然分からないや」
ベールに一緒に森から出ようなんて言っておきながら、竜と対峙することすら出来ずにいる。もう帰ってしまおうかとも思うけれど、僕とベールが過ごした時間、学んだ時間に比べたらまだ大樹の
でも張り切って向かう気力もなく、トボトボと二倍以上の時間がかかって、僕はまた竜の所へ戻ってきた。
でもそこで見たのは、それまでとは違う光景だった。
図書館よりも随分と大きかった竜は、図書館よりも小さくなっていた。
「ヤット、来た」
振動が伝わるほどの重低音。
僕の全身が震えて溶けてしまいそうだけど、なんとか剣士の形を保って対峙する。
縮んだ竜は、黒かっただけの体躯が、触れれば吞み込まれそうな深い黒になっていた。大きく岩のような質感に見えた鱗も、サイズに合わせて小さくなり、今は図鑑で見た黒曜石のような光沢を放っている。
大きい時よりも、竜の存在そのものが濃くなった。そう僕は感じた。
「オイ」
「ん、あれ?!」
まだ振動で聞き取りにくいけれど、ハッキリと呼びかけの言葉だと理解できた。でも、本来ゲルのはずの僕の身体が、その呼びかけの一言だけで左腕のあたりから消失している。
「これでもダメカ。オマエ、いくらナンデモ弱スギナイカ?」
振動で分かりにくい竜の言葉に、少しの呆れが見えた気がする。僕への文句とため息。その一連の動作で僕の残りも消失部から飛び散っていく。
収まってしばらくすると、僕も雨水が溜まるように身体が再生を始めた。飛び散った部位は消えていく。
竜はその様子を黙って眺めていた。そして、その間に更に小さくなった。
そのままの形ではなく、黒い鎧に身を包んだ人型へ。鱗の艶めきを残す、肩口までの鎧は下半身も甲冑のようになっている。
長い尾っぽも鎧と同じ黒曜石のような質感だけど、肩口から伸びたヒュームのような腕は、あの泥地の地面のように灰色にくすんでいた。
金の瞳はそのままで、僕を刺す。
「これでいい」
言葉はさっきまでより流暢で聞き取りやすい。振動で僕の身体も散ったりしない。
けれど、竜から感じられる感覚は圧倒的に色濃くなっていた。小さくなって、竜としての何かが濃縮されたのかもしれない。竜自身は分かっていないのか。
ただ、意味の分からないまま泥地に戻されて、それがどうしてかってことと、ここに戻ってくることばかり考えていたことを僕は後悔した。
やっぱり帰ってベールに謝れば良かった。
竜の体躯で満たしていた空間は、当たり前だけど草木なんてなく、土がむき出しだ。
二本の足で立つ竜が、その土むき出しの地面を尾っぽで叩き、岩肌のような固い材質に変化させた。
何度かその地面を確かめるように踏みつけ、頷く。
その光景をポカンとして眺めていると、竜はジロリとこちらを見た。
「お前、弱いのにどうして生きている?」
「……リムーバーゲル、だから。多分」
隠して覆るものがあるとは思えないから、正直に僕は伝える。
「お前が?」
「多分。僕は僕しか知らないから。ねぇ、君が竜で、凄い種族だってことはもう分かった。この森にエルフが一人だけで住んでいるの、知ってるんでしょう?」
竜は僕の質問を聞いて、ニィッと頬を引き上げた。鋭い牙が覗く。
なんとなく、僕がここに来た理由も知っているのかもしれない。なら最初からこうして話をしてくれれば良いのにと思う。
「ああ。あれは美しいからな」
「なら、森から出たがっているの、知っているんでしょ?」
「……鳥かごの鳥が逃がしてくれと言って、逃がす奴がいるのか?」
「なら、他のエルフは? 君は知っているんじゃ――」
そこまで言いかけたところで、僕の頭だったところは消失していた。擬態だから驚くだけだけれど、何をされたか全然分からない。
再生する僕に、苛立たし気な舌打ちが届いた。
「お前、弱いくせに何様だ? その姿、勇者気どりで来たのだろう? それなのに質問ばかり。他のエルフ? そんなものは居ない。鳥かごにはあれだけだ。逃げるなら、要らん。殺す」
「ダメだ! それはさせない」
竜のハッキリとした宣言に、僕は激しく反応する。腕に力を籠めて、竜に駆けだす。
「バカじゃないのか?」
けれど、二歩目を踏み出す間もなく、僕の足だった部分は消えていた。勢いのまま受け身も取れずに転がった。
「お前は弱い。始めはあくびしただけで蒸発し、次はまた現れて少々驚いたが、何の抵抗もなく凍った。それからまた来た時にも、お前は声を掛けただけで霧散した」
黒い騎士の姿をした竜は、ゆっくりとこちらに歩み寄る。顔には怒りが滲んでいた。剣はない。五本の指の爪が伸び、剣のように融合する。
「その程度のヤツが、させないだと? 無策で。知っているか? 争いは気づいたら始まっているのだ。強者は強者で始まり、弱者は弱者のまま狩られる。それを勇者気どりのお前に教えてやる」
竜は、尻もちをついたような格好で足の再生を待つ僕に、つまらなそうに剣を差し込んだ。差し込まれたところから、身体が熱くなり沸騰する。
「あぐ……ぁぁぁ!」
もとはゲル状で痛みに鈍いはずの僕に、激しく熱い痛みが襲った。沸騰したところから身体が崩壊していき、痛みが全身を支配し、今まで出したこともない声で絶叫する。
「ヒュームの勇者は、不死身ではないが強かった。お前ではない。……お前では、あれは守れん」
見下し告げられる言葉。その声には、出会ってまだ数刻の竜だけど、不思議と物悲しい色が見えた気がした。
物語を読み終えた後のベールのような……その世界には手が届かないという、諦め?
……そうだ。ベールが望んだ。望んだんだ。
だから僕はここに居る。
「弱くても……! それでも――」
僕は左腕を竜の剣に叩きつけた。あっさりと腕は切断される。
腕が落下してしまう前に、ゲル状に変わってしまう前に、右手で素早く掴み、竜の顔めがけて投げつけた。届く前に腕は液状に変わってしまったけれど、その雫が数滴竜の顔を濡らす。
初めて届いた、僕からの一手。
「僕は何度でも、君に挑む」
そう意志を籠めて、金色の瞳を睨みつけた。
「お前、名前は?」
「……リゲル」
ニィっと、竜は牙を見せた。
「良かろう。何度でも受けてやる。……ヒマだからな」
その言葉を最後に、僕はまたあの泥地に居た。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます