第3話 いってらっしゃい

 僕がベールと出会ってから、長い長い時間が過ぎた。僕の擬態も上手くなり、剣士の姿でも違和感なく動けるどころか、もう最初の姿よりも動きやすいくらいだった。

 鎧も硬くできるようになり、椅子の上から落ちても今はもう曲がったりしない。


 分かったこともある。衣服や鎧を擬態させても、元々は僕だからあんまり強くないってこと。復活するって意味が分かってなかったけど、試しに爪に擬態させた部分を切ったらすぐにそこが再生したこと。痛みはなく、小さい方はその時に乾いて蒸発したように消えてしまった。多分自分がケガした時には、大きく残っている方が復活するのだろう。


 長い時間で、本当に色々なことをベールと話して、調べた。

 僕とベールは、マナで生きているらしい。本で読んだような食事が必要なかった。そういう種族らしい。そのせいもあり、時間の感覚も曖昧で、出会ってから何日なのか何年なのかさえはっきりと分からない。森の中はいつも一定の明るさが保たれていたから、尚更。

 けれど、楽しかった。


 ベールは少し成長した。あどけなかった顔つきは、聡明さを漂わせシャープになり、好奇心で強くきらめいていた若葉色の瞳も、穏やかな光を宿すようになった。きめ細かい飴細工のような髪は、輝いたまま長く伸び、今ではいつも蔓で一つ結びにしている。いつもその横顔と色白の細い首を見てきれいだと思うけれど、口にしたら顔を見せてくれなくなるから言わない。


 そんな彼女だけど、話し方は全然変わっていない。だって僕と木々としか話していないからだと言うけれど、木々の声は相変わらず僕には分からない。エルフだから聞こえるのかも知れない。もし本当に木々が話してくれているのなら、物語のお姫様とまでは言わないけれど、お淑やかさというか、しっとりというか、見た目にあった口調も教えてあげてほしい。

 僕が言うとなぜか怒るから。


 そしてベールと僕の家、図書館の本もほとんど読み終えた頃、僕はベールがどうして一人のままこの森に居るのかを知った。


「竜のこと、だから知っているって言ったんだね」

「そうなの。あの竜が居るから誰も入って来られないし、私たちも出られないわ」


 図書館のらせん通路を一番上まで上がって、さらに天井まで続く梯子から繋がっている屋上の物見台は、森のどの木より高い位置にあって、どこまでも続く広大な緑の木々と、青く広がる空が地平線で交わっていた。

 その途中に、竜は居た。黒く、大きな体躯。丸まっており、寝ているのか顔は見えなかった。距離はそこまで離れていない。呼吸に合わせてか、黒い巨躯は膨張と収縮を繰り返していた。

 ベールは、木々があの竜が居るから出てはいけないと教えてくれたと僕に説明した。


「なんで今まで何もしてこなかったんだろうね?」

「分からないわ。出ようとしなければ興味がないんじゃない?」


 竜の話をしている時、ベールはきれいな顔をいつも顔をしかめている。それがなんだか嫌で、僕はあんまり聞かないようにしていたけれど、たくさんのことを学んで賢くなった今なら分かることもある。長い時間ベールと過ごしたから


「ベール、本当は森の外に行きたいんだね?」

「……当たり前でしょ。いまはリゲルが居るから楽しいけど、森の木がお話してくれたって、ずっと一人だったもの。本に書かれていた外の世界を、ずっと見てみたかった」

「……そっか。竜と会ったこと、話したことは?」

「ないわ」


 怖いもんねと、僕は頷き竜を見た。

 二人で過ごしている内に、僕は感じてきたことがある。


 、ということだ。


 誰もいないこの森に、ベールだけ木々の声が聞こえたり、ある日突然僕が居たり。

 もっと昔は、本当に誰か居て賑わっていたのかも知れない。この図書館だって賑わっていたのかも知れない。でもそのことを、ベールは覚えていない。

 確かなことは、今は彼女しかいないから、この森は彼女を守っているってこと。

 どうしてなのかは、いくら考えても分からなかったけど。


 だから多分、僕もそのために生まれたのだろう。記憶喪失じゃなくて、あそこが始まりだったんだと、今では確信していた。

 僕がベールのために生まれたのなら、やることは決まっている。


「ねぇ、ベールはエルフだから、きっと待っててくれるよね?」

「……リゲル?」

「僕が竜に森から出してくれないか、話してみるよ。無理なら何回も挑戦して、退かせてみせる」


 だからいつか、この森から一緒に出よう?

 そう僕は彼女に笑いかけた。青い髪、青い瞳、ベールのような白い肌。見せかけの身体だけど、ベールと過ごした長い時間で、僕は擬態した顔で笑えるようになっていた。


「そんなの危ないよ!」

「大丈夫。僕は再動する粘液リムーバーゲルだから」

「そうだけど……、竜だよ」

「話したことある?」

「ない」

「なら、本に書かれてないことだってあるかも知れない。待っていて?」


 僕はベールの手をぎゅっと握る。彼女が僕に教えてくれたように、僕も彼女に竜を知らせよう。もしかしたら、竜も森の中に居るのなら、彼女のために存在してるのかも。


「ちゃんと帰ってくるよ」

「絶対だよ?」


 寂しそうだったけど、ベールは頷いた。やっぱり森の外を見たいんだ。

 頑張ろう。きっと何とかしようと、言葉にはせず固く決意する。

 エルフは長生きだから、きっと待っててくれるよね?


 後日、ルートを決めたりして、出発する日を迎えるのはすぐだった。

 本当は内緒で出ようと思ったけど、二人と一人は全然違うから、ちゃんと見送りはしてもらうことにした。

 二人で過ごした図書館の扉の前で、ベールは笑顔だ。普段から悲しそうな顔はあんまりしないけれど、その笑顔がなんだか申し訳なくもあった。

 彼女のために、彼女をまた一人にする。


「行ってきます」

「いってらっしゃい」


 本の中の台詞でしかなかったやり取り、交わすのは初めてだった。

 よし、行こう。そう決意して手を振ろうと上げかけた腕ごと、ベールが僕を抱きしめる。これも、初めてだった。本のとおりなら、ここで彼女の柔らかな感触が伝わってというシーンなんだけど、あんまりビックリして、僕は溶けた。

 べちゃっと、ベールの腕を抜けて落ちる。


「あー! フフ、締まらないんだから」

「あーあ、ホントだね。でも、こっちの方が僕ららしいかな」


 良かった。今度は本当に、ベールの笑顔だ。





 竜がいる場所は、僕とベールが初めて出会った沼地から、歩いて丸一日くらいの距離があった。大きいとは思っていたけど、気づいてくれるかどうかも怪しいくらいに僕が竜より小さい。

 眠っているのか、幸い竜は頭を下げて目を閉じていた。

 驚くほどに静かだ。


「おーい」


 争いに来たわけではないから、僕は大声で竜に呼びかけた。

 その声に竜が目を開けて、めんどくさそうなため息のような仕草を見せたと思った瞬間、僕の目の前から竜は消えて、僕はベールと初めて出会った泥地に一人。


「あれ?」


 当たり前だけれど、その疑問に反応なんて返ってこなかった。

 

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