第2話 リゲルにしましょう!
ベールに連れられて来たのは、森の中でひときわ大きな木の根元。そこには大きな扉が付いていて、窓もある。彼女が住んでいる家だということはすぐに分かった。
差し込む光はもうないくらい木々は茂っているのに、不思議と明るい。
「ここが私の家、本がたくさんあるの。だからきっとあなたのことも分かるわ」
「大きいね、本当に一人で住んでいるの?」
「そうよ」
家の中は、住むためというよりも読むための空間だった。
空洞の大樹の図書館。壁面を上に向かってらせん状に通路が伸びていて、壁が本棚なっている。届かない高さは棚ではなく窓になっているが、それでもベールには届かない高さに棚がありそうだ。大きなテーブルにたくさんのイス。受付台のような場所があり、その後ろにベンチ型の長椅子。長椅子は寝台の代わりにしているのか、籠編みの枕がある。
明りらしき物はなくて、でもここも不思議と明るい。
「明るいね」
「この森はマナが満ちてるから」
「マナ?」
「マナ。森や湖もそうだけど、みんなが生きるための栄養のこと。明るいんじゃなくて、みんながマナを通して見せてくれているのよ」
「そうなんだね」
なんだかよく分からないから、そんなものだと思うことにした。
座ってて。と、ベールは言って本を探しに行ったけど、僕に座るためのお尻はないから、らせん通路の下で待つことにした。
彼女はすぐに戻ってきて、一冊の本を僕に見せた。
「生き物図鑑! これならあなたが誰か分かるかも」
「君のことも載っているの?」
「もちろん。私はこれで調べたんだもの」
「ふーん、ベールはどうして記憶喪失だったの?」
「それが分かれば、多分今こうして一人でここには居ないわ」
「……そうかも」
本の状態は良さそうだった。多分これもマナと呼ばれるものがベールの生活する森には満ちていて、環境を整えてくれている結果なのだろう。マナとは多分そんな便利なものなんだろうと、僕はまた納得することにする。
彼女は本を床に置くのが嫌だったのか、自分が床に足を延ばして座り、太ももの上に本を開いた。
そのまま座らせることが気になったけど、出来ることはないから黙って僕も本の読める位置に動く。それを確認して、ベールは僕に当てはまる図鑑のページがないか探し始めた。ページをめくる手つきは滑らかで、彼女がたくさんの本を読んできたことが伝わってくる。
しばらく会話もなくページをめくる音だけが続き、あるページで手が止まった。
「……あなた、
「リムーバーゲル?」
「そう。身体が青くて透明な種族。スライムに似ているけど、核が見当たらないから、こっちの方が近い気がする。この図鑑にも詳しくは書かれていないくらい珍しいみたい。一カケラでも身体が残っていたら、そこから復活することができて、死ぬことが確認できていないから
「そう言われても、知らないよ。なんであそこに居たんだろう?」
「うーん、湖が無くなっていたし、実は体が水でできているんじゃない? 図鑑にも載っていないから、私が初めての発見者かしら!」
本のことになると話したいのか、元々おしゃべり好きなのか。ベールは興奮して僕にまくし立てる。けれど、全然ピンとこない。
リムーバーゲル? 本当に? でも確かに、図鑑に描かれている絵は、青くて丸い。腕はないけれど。それに僕は見ていないけれど、水はなかった。なんとなくそうなのかなという気もしてくる。
「ちょっと何かに擬態できないかな?」
「できないよ」
「分からないじゃない! やってみよう?」
僕よりも一生懸命に彼女は言う。そしてまた数ページ進めて、見開きの絵を僕に示した。それは、炎を吐く
「エルフじゃないね」
「
そう語るベールはどこか遠くに視線を投げた。寂しそうに見えるけれど、理由は分からない。
僕はじっとその絵を見つめた。リムーバーゲル、擬態。まだピンとは来ないけれど、僕より賢いベールが言ったのだから、試すのは良いのかもしれない。
竜に立ち向かう人間。見た目はエルフと同じようだけど、ガッシリしていて、耳が短くて丸い。
しばらく絵を観察していると、僕の視線がだんだん高くなっていった。理由はすぐに分かった。足が生えたからだ。腕も長くなり、指も五本に。身体は青いままだけど、ベールの肌をじっと見ていると青白く変化した。ベールみたいに元気そうな色にはなっていない。
「できたじゃない! でも、裸ね。なんだか見た目もツルツルで寒そう」
そう言われて、絵の剣士を確認すると、だんだんと肌が服に変化した。どんどん胴体は鎧のような硬質的な見た目に変化する。なるほど、擬態。確かにできた。ベールの言う通り、リムーバーゲルだったのかも。でも、
「できたけど、歩き方が分からないや」
そのまま尻もちをついた。今度はお尻がある。べチンと音がして、硬そうだった鎧の擬態もぐにゃりと前かがみに合わせて曲がる。
その光景を見て、不思議! と、ベールは瞳を輝かせて笑った。
「私はエルフで、あなたはリムーバーゲル。なら時間はたくさんあるから、これから覚えましょう! 本だって、一緒に読みたいわ」
「そうだね、ありがとう」
「お礼を言いたいのはこっち! でもそれならいつまでもあなたじゃダメね。名前、思い出した?」
「ちっとも」
「なら、リゲルでどう? リムーバーゲルのリゲル」
「覚えやすいね」
「でしょう? なら、今日からあなたの名前はリゲルにしましょう!」
ベールは尻もちをついたままの僕の手を、よろしくねとぎゅっと握った。声も大きく興奮した彼女は顔も赤く、手も熱い。僕といることを喜んでいることは確信できたから、僕も嬉しかった。
こうして長い時間、僕はベールとたくさんのことを話し、本を読み、たくさんのことを覚えた。
そしてそれは、ベールがここに一人で居ることへの違和感を強くしていく結果となった。
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