竜と長耳族と青いリゲル

つくも せんぺい

第1話 あなたは、だれ?

 ふと気がついたら、僕はここに居た。

 水音が聞こえた気がして、ぼんやりとしたまま辺りを見回そうと思ったら、その子がひょこっと僕の視界の横から顔を出して、影を作った。

 白い袖のない服に、薄黄色の広がりのある裾のズボンを履いた子供。


 僕を見つめるその瞳は、光を透かした若葉のような明るい緑色。覗き込むことでしだれかかるその髪は、美しいあめ細工のようにきめ細かく輝く金色。小さな顔に、可愛らしく飾るために付けたような小さい口。まだあどけなさの残る表情と、顔の横から生えているピコピコと動く長い耳。

 驚いているような、でも嬉しさか興奮を抑えられていないような、ぷっくりと鼻を膨らませて、その子は僕に問いかけた。


「あなたは、だれ?」


 鼻のせいで可憐さが台無し。

 まだ幼い高い声。多分、女の子。作り物かと見紛みまごうその姿を見て、僕が気がついたこの場所は、その子が立ち振る舞うには少々泥々が過ぎるんじゃないかって、問いかけとは全然関係ないことを考える。

 頭上は木々に囲まれているけれど、不思議と明るい。僕がいるのは地ベタで、雨が降っていたのかぬかるんでいた。それとももう水はないけれど、大きい水たまりか何かだったのか。

 彼女は木の靴が汚れるのも構わずに、僕と同じぬかるんだ泥の上に立っている。


「あれ? 聞いてる?」


 その子は首を傾げ、もう一度僕に問いかける。しゃがみこんで今度は上目遣いに僕を見た。髪が泥についてしまいそう。問いかけられているのは分かってはいるけれど、気になって仕方がない。

 立ち上がったら、一緒に立ってくれるかな。そう思い立ち上がろうとして、立ち上がれないことに気がついた。

 今度は手を動かそうとして、動いた。顔の前に持ってくると、何だか色が青っぽい。むしろ向こう側が透けて、髪も瞳も青くなった彼女が見える。


 彼女の言葉は、意味もハッキリと分かる。彼女の瞳の色も、地面の泥の色も知っている。よく見えないけれど、空が空だということ、木が木だということもハッキリと答えられる。名前は知らないけれど、彼女の種族の呼び名だって。

 じゃあ、僕は?


「……僕」


 声は出た。


長耳族エルフじゃないの?」

「エルフ? エルフは私だよ? あなたは、エルフじゃない。なんか青くて丸いし。いまここに来たら、この湖の水がなくなっていて、あなたが居たの」


 青くて丸い。どうやらエルフとは違うみたいだった。

 それにしても、やっぱりこの泥地には水があったみたい。


 僕は足の方に目を向けるけれど、足らしきものもない。

 ぺたぺたと手で体の形を確かめると、言う通り丸かった。よくよく確かめると、口もなければ目もない。顔って何? っていうくらいツルツル。

 でも、いまエルフと言ったその子がしゃがんでいるのと同じくらいの大きさはあるらしい。


「僕、口がないのにどうして喋れるんだろ?」

「どうしてって、木だってお話しするんだから、あなたも話せるでしょ」

「なんで目がないのに君が見えるのかな?」

「なんでって、木だって目がなくても見えているから、あなたも見えるでしょ」


 そう聞かれることが不思議でたまらないのか、エルフの少女は大きな瞳をさらにクリッと大きくした。彼女のように目と口がなくても、普通らしい。


「そうなの?」

「知らないの? 変なの」


 彼女は声を上げて笑った。大きな瞳を細めて、小さかった口が大きくなる。僕はただその様子に見惚れた。


「ねぇ、君はだれ?」

「私はベール。あなたがさっき言った、エルフ。あなたは、だれ?」


 僕の問いかけに、ベールは笑顔を僕に向けて答えてくれた。そしてもう何度目かの質問が返ってくる。


「僕、誰なんだろうね?」


 どうやら、僕は僕が何なのか分からないようだった。名前も、種族も。


「それ、私が聞いたんだけど」


 ベールは少し困ったように、また笑いかけてくれた。


「本で読んだわ。記憶喪失っていって、私もそうだったのよ。このままここに居ても仕方がないから、私の家であなたのことを調べてみましょ? 誰もいないけど、本だけはいっぱいあるの!」

「そうなの? ベールも記憶喪失?」

「そうよ。元、記憶喪失。本と、木が教えてくれて、色々覚えたのよ。本、分かる?」

「本は分かるよ。なんでだろうね?」


 あなたが分からないなら、私が知るわけないじゃないと、ベールは肩をすくめた。

 それから、僕たちが居る泥地から、少し目線を上げた位置にある梯子はしごを上って、木製の台の上から顔を出した。どうやらその木の台が通路上になっているところから、ベールは降りてきたようだ。


「こっち」

「……どうやって?」


 手招きするベールに、僕は問う。動けないんだけど、と。


「あー、えっと、手だけで動けないの?」

「……ちょっとなら」

「なら梯子は無理かなぁ。なら、あっちまで転がって来られそう? 台に上がるのは引っ張って手伝うから」


 彼女の指さす方を見ると、道ではないけれど緩やかな上りになっている場所があった。途中で泥地から草むらに変わり、草むらが途絶えたところで彼女のいる木の台の通路と同じものが造りつけてある。


 なるほど、丸いから転がる。そう納得しながら自分でそう意識すると、視界が変化して動いているのが分かった。ぐちゅっと泥が音を立てている。

 けれど、転がっているにしては視点は変わらないし、泥で見えなくなってしまうこともない。まぁでも、目的の場所には近づいているから問題はない。

 登り坂も緩やかだからか、難なく進む。


 草むらに入ると、一本一本が身体に入り込んでくるみたいでくすぐったい。手をかざすと、実際に入り込んでいた。草より柔らかいのが、僕みたい。

 こっちとまた声がして、彼女が通路のところで手を上げている。


「良かった。ちゃんと来られたね」


 そう言いながら通路と地面の段差に上るために、僕の手を掴んだ。

 彼女の手は僕の腕をしっかり掴んで、通路にひっぱり上げる。さっきまで草が入り込むほど柔らかかった手は、今度は彼女の手を掴めるくらいの固さになったみたい。

 僕は僕のことが分からないけれど、今分かっていることを全部合わせて考えても……。


「ねぇ、僕って変?」


 そう思えた。足元を見ても、泥の上を転がったのに汚れていない。


「変かどうかは分からないけれど、青くて丸いあなたみたいな生き物は初めて見たわ」

「僕も僕みたいな生き物、初めて知ったんだけど」

「だから調べましょ? ちゃんと転がってたし、話せるし、触れるし、今はそれで良いじゃない!」


 不安そうに聞こえたのか、ベールは出会ってから一番大きな声と笑顔で僕に言う。どうして彼女が一人で居たのかも僕は知らない。自分のことばっかり考えていたと気づいた。


「それは、そうかも。ベールは賢いんだね」

「えへへ、私も分からなかったから、本だけは沢山読んだの! でも知らないこともまだ沢山。あなたの事は知らないけど、きっと分かるわよ」

「ありがとう」


 その言葉に納得したのか、ベールは僕より数歩先を歩き始めた。

 きめ細かい髪の毛が揺れきらきらして、木靴が軽やかに鳴る。

 機嫌の良さそうなその姿に、僕は初めて出会ったのがベールで良かったと思った。


 森の葉の天井から差し込む光が柔らかに道を照らし、目を細めながら見上げるベール。


「今日ね、初めてみんな以外の友達ができたんだよ!」


 そう木々に語りかける。嬉しそうにベールは笑って話しているけれど、僕には何も聞こえない。彼女も少し変わっているのかも知れないなと、僕は感じていた。




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