第8話 今度は僕が教えてあげる

「着いた」


 程なく到着した図書館の外には誰もいなかった。道中も竜が見逃すことはないと思うから、ベールは中に居るのだろう。


「……お前が先に行け」


 躊躇ためらうような口調で竜は言う。どちらが先でも構わないから、僕はそれに従った。

 扉を開けると、中は僕が過ごした時と変わらず、誰も居ないけれどきれいなままだった。寝床代わりの長椅子以外は。

 ベールはそこで横になっていた。

 名前を呼んでも反応がなく、駆け寄る。


「ベール!」


 彼女は長椅子に横たわり、座面に触れているところから根が生え、身動きが取れないでいた。……違う。木になろうとしているようだった。


「ベール! 聞こえる?!」


 何度か呼びかけると、彼女は右目を開いた。虚ろな光だ。座面に触れている左側は木の肌のような質感になってしまっていて閉じたまぶたも動かない。白かった肌も根の部分は茶色に変わっていた。

 木精霊ドライアドだから、木に還ろうとしているのかも知れない。


「形成するマナが霧散しかけている。もう手遅れだ」

「何とかできないの? 僕だって何回も君に倒されたじゃないか」

「また生み出すことはできるかも知れんが、そうなればお前が知るベールとは別物だ。お前は身体を保てなくなっただけで、存在がなくなったわけではなかった。彼女は違う、存在そのものが保てていない」


 僕はまだ残っている右手を握る。温かいけれど、木の肌のようにザラッとしていた。ベールと何度も名前を呼ぶ。

 残った右の瞳に少しだけ光が戻り、


「おかえり、リゲル」


 そう彼女は笑った。

 カッと、全身が熱くなったように僕の中の何かが昂ぶる。

 ぎゅっと、握っていた手にさらに力を込めると、少しだけ彼女の温度が上がる。僕の熱が移った気がした。僕はまだ、何も彼女に返せていない。


「ただいま! ベール、僕たくさんのことを覚えたんだ」


 そう力強く呼び掛ける。ここに戻るまで、なんとかできるという予感があった。それはまだ消えていない。何も知らなかった僕は、ベールから学び、竜から学んだ。


「だからベール、今度が僕が教えてあげる!」


 これからも僕は、君と一緒に居たい。

 まだ君は消えずに待っていてくれた。だから僕のありったけで、君を救ってみせる。

 今この姿は、勇者なのだから。






「ベール聞いて! 僕ね、竜と友達になったんだ。この森から三人一緒に出よう?」


 僕はベールの手を握り、呼びかけた。

 握り返す力はない。

 笑みを浮かべてはいるけれど、弱々しかった。


「リゲル、会えて嬉しい。でも、私なんだか動けないの。ずっと待っていたんだけど、これがエルフの寿命なんじゃないかな……? みんなの声も聞こえなくなっちゃった」

「大丈夫だよ! 僕が何とかしてみせるから」


 僕はベールの手を握ったまま、笑いかけた。

 その様子に竜が怪訝な表情で近づいてくる。


「リゲルよ、どうするつもりだ?」

「君とベールがしてくれたことと同じだよ。僕の願いでベールを取り戻す」

「お前では……」

「それもなんとなく分かってる。僕は君みたいに強くない。マナも扱えない。だから二人で……違う、三人でやるんだ」

「?」


 ベールがまだ意識があるのなら、イメージができる。

 なら僕が竜に学んだことは、同じ精霊の彼女にも当てはまるはずだ。


「ベール聞いて! 僕、リムーバーゲルじゃなかったんだ!」

「……?」


 僕は虚ろな目の彼女に届くように、力強く声を張り、離れていた間のことを話した。

 あれから竜と何度も戦ったこと。

 その竜が、ベールが好きな物語の勇者と戦った竜そのものだったこと。

 でもベールと同じ名前のエルフと友達になって、イイヤツになったこと。

 そのエルフが死んで、寂しかったこと。

 自分が本当は水精霊で、ベールが生み出してくれた存在であること。

 ベールが本当は、竜の願いが生んだ木精霊であること。

 そして、これから一緒に森を出たいと思ってること。


「だからねベール、君も願ってほしいんだ!」


 何度も名前を呼び掛けながら、僕は話した。

 彼女は変わらず動けなかったけれど、残った片方の瞳を時折驚いて見開いたり、微笑み細めたりして聞いてくれた。

 竜の方に視線を動かし、最初は怖がっていたように見えたけど、視線が交わると涙を流した。


「……あれ?」


 その意味を彼女は分かっていなかったけれど、竜は驚き背を向け、天井を見上げていた。


「ほら、生まれ変わったって覚えているじゃないか」


 竜の背に言葉を掛けると、彼はうるさいと一言だけ返した。

 そして僕はベールに、説明の間に何度も挟んだ言葉をまた口にする。


「今度は僕が教えてあげる。だから、ここを一緒に出よう。ベール」

「……うん、そうね」


 彼女の身体は変わらないけれど、瞳には力が戻っていた。





「ベールが分からなくても、竜と僕が君を覚えてる。イメージして、また自分の姿を形作るんだ」 

「どうやるの?」

「うーん。こういうのはどう?」



 僕は語り出す。それは出会いの物語。



 ――ふと気がついたら、僕はここに居た。

 水音が聞こえた気がして、ぼんやりとしたまま辺りを見回そうと思ったら、その子がひょこっと僕の視界の横から顔を出して、影を作った。

 白い袖のない服に、薄黄色の広がりのある裾のズボンを履いた子供。


 僕を見つめるその瞳は、光を透かした若葉のような明るい緑色。覗き込むことでしだれかかるその髪は、美しいあめ細工のようにきめ細かく輝く金色。小さな顔に、可愛らしく飾るために付けたような小さい口。まだあどけなさの残る表情と、顔の横から生えているピコピコと動く長い耳。

 驚いているような、でも嬉しさか興奮を抑えられていないような、ぷっくりと鼻を膨らませて、その子は僕に問いかけた。


「あなたは、だれ? ――鼻のせいで可憐さが台無し」

「……ふふ」


 僕は語る。それはベールと僕の物語。出会ったその日を、可憐な彼女を、僕はハッキリと覚えている。物語は進んでいく。

 

 ――あどけなかった顔つきは、聡明さを漂わせシャープになり、好奇心で強くきらめいていた若葉色の瞳も、穏やかな光を宿すようになった。きめ細かい飴細工のような髪は、輝いたまま長く伸び、今ではいつも蔓で一つ結びにしている。


「――……いつもその横顔と色白の細い首を見てきれいだと思うけれど、口にしたら顔を見せてくれなくなるから言わない」

「そんなこと考えてたの?」

「ふふ、そうだよ」


 僕が覚えている彼女の全てを、願いを込めて僕は語る。少しだけ、ベールの髪がきらめきを取り戻し、張り付いていた長椅子から滑り落ちる。

 その様子に竜が驚き、片膝をついて、僕とベールが握る手の上からその手を重ねた。


「ベール。お前は知らないだろうが、かつてのお前にオレは救われた。命だけではない。力を振るうことしか知らなかったオレを怖がることなく、語らうことで、言葉を交わすだけで心が通うことを教えてくれた」

「……ごめんなさい、私はあなたと過ごしたことは覚えていないの。それに、リゲルが言ったことが本当なら、あなたの知ってるベールじゃないのね」


 ベールはしっかりとした言葉で話せるようになってきていた。申し訳なさそうに、目を伏せる。

 そんな彼女に、竜はそれでいいと、見たことがないような優し気な微笑みを向けた。その表情に、彼にとってのベールがどれだけの存在だったかが表れている。

 彼女の身体は、まだ根が張っている。けれど、僕がベールから学び、竜との戦いで磨いた形態変化を説明しながら、マナをコントロールしていくことで、少しずつだけどエルフだったころのベールの色を取り戻し始めていた。


「オレはお前を閉じ込めることが守ることだと思っていた。だが、違うのだな。ベールよ、お前とリゲルを、オレの背に乗せ飛ばせてはくれないか?」

「……優しい瞳。怖がっていたのが申し訳ないわ。あなたの名前は?」

「……名前?」

「竜じゃないの?」


 ベールの言葉に、僕も竜も首を傾げた。

 戦ってばかりで、考える余裕もなかったから。


「……信じられない。前の私はどうしていたの?」

「二人だけだったからな、あなたとしか……」


 そう応える竜は、少し恥ずかしそうだ。

 名前に思い至らなかったからかと僕は思ったけど、ベールの反応は違った。


「それはそれでロマンチック。……もし森の外に出ることになったなら、私がつけてもいい?」

「もちろんだ。お前が良いのなら」

「僕は?」

「ダメだ」

「なんでさ」

「お前も彼女から名を貰ったのだろう?」

「……ふふ」


 僕の不満気な声に、竜は素っ気ない。そんなやり取りに、ベールの心地よい笑い声が混ざった。穏やかな空気が図書館を満たす。


「物語はやっぱり物語ね」


 ベールは嬉しそうに僕と竜に視線を向ける。木の皮のように閉じていた左側のまぶたも開き、若葉色の瞳が二つ、懐かしい好奇心旺盛な光を宿している。


「どういうこと?」

「だって物語の絵では、二人は戦っていたのよ! それが、今では私と三人手を握っているの。これは新しい物語だわ」

「クク、そうだな」

「あは、その反応、とってもリーゼらしいね」

「これからが楽しみで、元気が出てきたわ」


 僕たち三人はお互いを見合い、頷き、また笑い合った。



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