第7話 バカ


 堕天使と狼が住まう森の奥。そこは、陽光が差せば淡い薄紅に包まれ、月光の下では深い紫が微睡むように漂う。

 散るように咲いた反対色の花が森を彩って、個性的な果実が花の機嫌を取っていた。

 

「ロウ、苺ってあったー?」


 キッチンに立つ彼の後ろ姿にメルトがぎゅっと抱き着くと、ロウは慣れたように手を止める。


「何に使うの?」

「可愛いから欲しい!」

「可愛くしたそれを、何に使うのって聞いてんだけど」


 堕天使がロウに触れるあいだ、彼は自由に魔法を使う。先程まで切り刻まれていた食材たちをボウルに投げ込むくらいの魔法なら詠唱も必要ない。

 手際よく片付けたロウは、メルトの持つ陽光のような金色の髪を暇潰しと言いたげに指に絡ませると、メルトが手に持つ空き瓶へ視線を落とした。


 ロウの視線を追い掛けたメルトは説明を開始する。


「これは惚れ薬とまでいかない、薬物やくぶつ! なのだよ!」

「へー……」


 薄く笑ったロウは、薬物よりもメルトの堂々とした態度に興味があるようだ。


「ほら、ひとくち」

「食ったらどうなんの?」

「わたしにベタ惚れ」


 胡散臭い、とでも思っていそうな彼の瞳に、メルトはぴしゃりと言い放つ。


「残念だけど、きみの分はないよ」

「だから、それ何用なによう?」

「ベルにあげるの。『嫉妬』を超えて、『独占』したくなったらしい。面白いよね、彼女。魔法使いに、惚れ薬を強請るなんて!」


 はぁ、と短く小さい溜息を吐いたロウはメルトから物理的に距離を取る。わざわざ扉の横に立ち、近くにある窓から庭を眺めてみせるのだ。

 メルトはこのあと自らに吸収される料理の出来上がりを待つように、テーブルにつく。薬と生成に使用する器具たちを机上に披露して、この先の展開にうっとりとして見せていた。


「あ、っそ。苺、赤はない」

「何色ならある?」


「青」


(青って。この狼は、いつまで不機嫌でいるつもりだ?)

 

 不機嫌な苺が青いのを、彼はよく知っているはずだ。庭に生息する植物はメルトが移動させたものたち。だが、あれらの世話をしているのも収穫も、今となってはロウの仕事になっていた。


「ねー、いつまで不機嫌やってんの?」

「べーつーにー?」

「こっちきなよ。魔力よこせって言ってないでしょ?」


 壁にべったりとつけていた重たい腰を上げて、渋々隣に来てあげましたとばかりに、ロウは向かいの席に座って頬杖を突く。

 彼が魔力を与えたくないなら、与えなくていい。やりたくないことを、無理にさせたくはないのだ。かつての黒天使が苦しかったことを、メルトは彼に強いたくない。

 

「メルトって、知らない事ってあんの?」


 ふと、ロウが呟く。メルトが広げる実験器具の数々を眺めて響かせるその声は、寂しさを纏う。

 

「何言ってんの。知らない事しかないよ」

「魔力は全部俺に吸われて、あんたには残ってないんでしょ?」

「魔力はないよー? ロウに全部移されちゃったもん」


 甘い物作りだとしたらロウも手伝ったかもしれないが、今回はベルの為に行う惚れ薬作りだ。硝子の計量器で分量の線を見るのも、魔法を使ってしまえばできない工程のひとつだ。


「魔力がないくせに、魔法を発動させようとしてるのは何なの。それ、知識で補ってるってこと?」

「なぜなに期だねぇ」

「あ、バカにしてる空気」

「君も、もっと真剣に魔法知識をつければいいのに。知識を得れば、もっと自由に魔法を使えるよ?」

 

 メルトは自分の詠唱に続くだけで魔法陣を生成されるのは心底つまらないと思っていたし、メルトの知識を通してしか魔法を使用しないことも不思議に思っていた。魔法使いを名乗るなら、魔法元素を理解して、条件に合った魔法式を解くように、魔法を扱うべきなのだ。

 ロウは、魔法を学ぶのはあまり好きじゃないらしく、簡単な魔法式しか覚えていなかった。

 

「メルトがいれば、俺の詠唱は必要ないだろ」

「私がいない時に使えないのは不便だろう?」

「天界帰る気?」

「帰んないよ」


 度々不安になるのか、ロウは確認を怠らない。言質をとったことを噛み締めて、密やかにほっとしている。持ちの悪い言葉の回答だけを求めて、短い安心を得ているのだ。


(今更、魔力が使いたくなるなら、堕天使にはなっていない。幾度となく伝えているはずだが)


「魔力を封じられても、源の君は此処にいる。一生君がそばに居れば、何も問題はないんだよ」


 ――何もせず、笑っているだけでもいい。


 狼に求めていることと、かつての創造神が堕天使に求めたことが重なっていく。

 この奇妙な関係に、沈み始めていることをメルトは分かっていた。

 フラスコの中で混ざりゆく液体を見つめて、自分たちのようだと思う程に。

 

「メルトは、いま、困ってない?」

「元々ないはずの魔力なんだ。無くても困らないよ」

「俺、いらないってこと?」


 落とされたその発言が、『彼が本当に聞きたかったこと』だとメルトに確信を与える。作業の手を止めて、メルトは彼を見つめた。長く見つめても、ロウは下を向いて目を合わそうとしない。


「バカだなあ。君のことはさといと思ってたんだけど、余りにも早計過ぎる。頭の回転が速いのかなぁ」

「バカだといらないってこと?」

「本当にバカだったの?」


 切なく擦れるロウの声。その言葉の真意を理解するより先に、メルトは反射で驚いたのだ。

 惚れ薬の制作は一時中断。メルトは向かいに座るロウの顔を無理矢理に上げさせる。

 

「私の魔法は、未だ咲いたとは言えない。上には上がいるし、知らない事もまだまだ沢山。君を通さないと、魔力はゼロで魔法も使えない。無くても良いけど、あるなら使いたいと思う私も、バカなんだ」

「……同じだ」

「そうだね。天界で死んだように天使をやるより、堕天使として君とたまに人間に触れる方が、よっぽど良いよ」


 今、ロウが狼の姿だったなら。耳は下がり、尻尾もぐったりと落としていることだろう。メルトは懐かしい黒髪に指を通して、ゆっくりとロウの頭を撫でる。

 

(どうしてこうも、君には私がいないとダメだと思わせるんだろうね)

 

「君が必要だよ。天界へ戻ることはないし、地上の何処へ行くにも、地獄へだって、君と一緒に行く」


 こんなのは、誓いにはほど遠い。呪いの言葉だ。


「……天界、帰る気ない?」

「一生、傍にいてくれるんでしょう?」

 


「機嫌は直った?」

「直ったかも」

「それは良かった! 実は、ベルの感情は面白いんだけど、少し濁るんだよね」


 惚れ薬の調合は終わり、ロウも片付けを手伝う。カチャカチャと音を鳴らす硝子たちが割れないか、メルトにとっては少し怖いところだ。

 

「濁る?」

「『嫉妬』に『独占欲』。おそらく、他にも彼女は感情を持っているんだよ」

「他? 『好き』でしょ」

「それもそう。でも、それだけじゃないと思うんだよね」


 意味が分からないと首を傾げるロウへ、メルトはと笑って言った。


「ちょっと、街へ降りてみない?」

 


 

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