第8話 隠し事
灰色の石畳を、カツカツと革靴が行き交う。商店に噴水広場。人が賑わう街並みは、ロウにとっては見慣れない場所だ。
「人……、多いな」
メルトの隣に立つロウは呟いた。人の感情を好んでいるメルトと違い、ロウは人の感情に執着はない。彼らが何をしていようと、ロウには興味がない。ただ、メルトが熱を上げる対象、という認識だけだ。水晶玉を通して、人間を鑑賞するメルトの横にいるのが普通だった。
(水晶玉にいたやつらが、いっぱいいる)
彼らの話し声が一気に耳に入って来るように感じる。ロウは、ここで森が静かなことを知った。
隣にいるメルトへ手を伸ばすと、捕まえたい腕がそこに無かった。確認するようにロウがメルトを見ると、彼女は口元に手を押さえて、ふらふらと歩き進めていた。
ロウが追い付こうと足を進めた瞬間、彼女は突然声を上げた。
「わああッ! 人! 多い!」
「メルト?」
異様に瞳をキラキラさせたメルトを、ロウは何度か見たことがある。それこそ、水晶玉の前。あとは、ケーキを持った女が遊びに来た時。
「人間がいっぱい……! 全員生きて、自分の好きに生活しているなんて!」
「メルト、待って」
きゃあきゃあ言いながら、街中へ走って行くメルトをロウは追いかける。ロウにとっては、初めての街だ。見知らぬ人間がいる街で、頼れるのはメルトだけ。当の本人は、目を輝かせて街の人間に夢中だった。
初めての街、それはロウだけに該当するイベントではなかったのだ。
「犬だーっ! 紐で繋がれてる! 可愛いいい!」
「俺も犬になれるし、お前を紐で繋ぎたいくらいなんだけど!?」
(人間が好きなのは知ってたけど、犬まで好きなんて聞いてねぇ!)
「ごめん」
「びっくりしたんだけど」
ロウは無理矢理にメルトを捕まえて、街の端にあったベンチまで連れて来た。
気まずそうに謝ったメルトを目の前にして、ロウは本当に謝る気持ちがあるのだろうかとさえ思った。彼女はベンチに座らせてからも落ち着きがない。
「本当にごめんって! 天界から覗いてはいたけど、実際に近くで沢山見たのは初めてで」
「天使は人間と関わらないの?」
「死に近い人となら……」
(死にそうなヤツって、ああやってペラペラ喋ったり、自由に歩いたりしてないんじゃねえの?)
聞くまでも無いな、とロウはメルトを見て思い知る。はぁ、と溜息を吐いて片手で頭を掻いた。メルトが一瞬でもロウの事を忘れてしまった事実がロウは悲しかったが、きっちりメルトを捕まえられたことが彼の心を安心させた。
「それより、ベルの好きな人は、町長の息子らしい」
「蝶々?」
「うん。親が決めた許嫁らしいけど、あの女の子を口説いてる人かな?」
メルトの視線を追うと庭にいる蝶ではなく、水晶玉で見たことのある男が女と立っていた。
(ケーキを持ってくるあいつじゃねーし)
「いいなずけ?」
知らない言葉が次々に出る。ロウが知らないことが多いのは、思い出せないことが多いからだ。自分の出生もわからないロウが持ってる初めの記憶は、黒い天使が翼を溶かして、涙を落としていたところからだった。
「結婚の約束をしてるの。ベルが決めたわけじゃなく」
「勝手に?」
「うん。人間はそういうこともあるんだよ」
(メルトもそうだけど、人間って勝手に決められること多くないか?)
黒い天使をやっていたらしいメルトは今は堕天使で、天界では神の言うことを聞いていたらしい。人間の感情に強く反応するメルトは、天界で感情を知らない時間の方が長かったらしい。
ロウがメルトから聞いた過去の話は、どれもロウの心に上手く刺さらないのだ。
「俺だったら、やだけど」
「そっか。でもベルは、彼に惚れ薬を仕込みたいほど彼を好きらしい」
「それって、いいの?」
気持ちや記憶を変えることは罪だと、メルトは言っていた。
「絶対に惚れる、とは言えないし。効果は切れる。魔法ではないからね」
ロウには、その言葉が引っかかった。
「魔法なら、好きにさせられんの?」
「可能だよ。罪ではあるけど」
「それ、本当に好きなの?」
気になる事をメルトに聞いたことなんて、今迄何度もあったのに。
ロウは自分の心臓が脈打つ音を、こんなに煩く感じたのは初めてだった。
「――だから、大罪なんでしょう?」
柔く微笑んだメルトを、ロウは美しいと思った。
初めて彼女を見たあの日。ぼやけた視界の中で、メルトだけが綺麗だと思った感情をずっと大事に持っているのに。
初めて思ってしまった。罪とされていることを、してみたいと。
学べば叶うことをロウは知っていた。知らないやつを追いかけて、地上へ堕ちたバカな天使。狼に魔力を奪われて、ひとりで魔法を使えなくなっても自分の好きな事を愛する堕天使。
(そんなやつを、俺は今。自分の為に、塗り替えようと?)
――――――――
蝶々の男も、ケーキの女も、街の人間もどうでもいい。ロウは、メルトと暮らす森へ戻った。
ふたりの家に帰っても、心臓の音がうるさくて堪らない。自分の体に詰められた魔力は、メルトの物だ。それを使って、自分の願いを叶えてしまおうなんて。一瞬でも思ってしまった自分が、ロウは恐ろしかった。
「ロウ。どうしたの? 言ってごらん」
「ッ、触んな」
何も言わないロウに、メルトは魔法をかけようとする。魔法式を学んでなくても、メルトが何をさせたいかくらいは、なんとなく理解していた。
触られれば、魔力を使われる。魔力を使われれば、魔法でこの気持ちがメルトにバレてしまう。
メルトに知られるのは嫌だ。こんな風に手を叩いてしまうのも嫌だ。
(こんなことをしても、俺がメルトの行動をなんとなくでも分かるなら、メルトもそうなんじゃないか?)
ロウに触るのを諦めたのか、メルトがブランケットを投げつけてくる。ぶつけられたそれを掴んで、自分の身体を覆うとメルトが口を開いた。
「君さ、」
「言うな。言わなくていい」
「聞き方を変えよう。当てても良い?」
「当てるな。何も、言わないで」
(何を言われたくないのかも、分からない。全部の言葉が嬉しかったのに、今は何も言われたくない)
「そう? わかった、言わない」
パッと両手を開いて、メルトはひらひらと振った。まるで、『触らないから安心して』と言われているようだった。こんなに優しいメルトの手を叩いた自分が、憎らしくて堪らなくなる。
「言ったって良いんだよ? 言いたいことがあるなら、声に出して良い」
心配の声と、感情への興味の声が含まれてる。ロウは、メルトがロウ自身の感情にも興味を持ってくれるのが嬉しかった。それでも。
「何も変わらないからだろ。じゃあ言わない」
(何か、変えたかったのか?)
自分の発した言葉で、ロウは気付いた。自分は、メルトと何かを変えたいらしい。だから、魔法を使いたいんだろう。
「私はまだ、君に魔法を使ってないよ?」
「――っ、わかってる。使ったら、許さない」
「こわ! 何されるんだ」
「そうだな。……食うかもしれない」
(本当に、最低の狼だ。俺は)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます