第11話 嘘と炎


 姿を消したメルトが行き着く先なんて、街以外に有り得ない。

 ロウがそう思う理由のひとつに喧しい神の存在がある。知らない誰かに言葉を渡されたとしても、ロウが求めるのはメルトの言葉だ。


 ひとつ救われたとするならば、メルトが天界に帰った可能性を即座に潰せたことくらいだった。


 狼の姿は、街では目立つ。それでもロウが騒ぎ立てられないのは、異様に静かな街のおかげだ。以前のような明るい賑わいはなく、淀んだ空気を漂わせる。


「こんなだったか……?」


 数週間振りの街は冷めた空気を纏い、陽が落ちたにしても暗く静かだ。

 

「いま、おはなししたー?」


 少し離れた場所に居た子供から、話しかけられる。噴水に腰掛けていた少女がロウに気付いてぱたぱたと駆け寄ってきた。


(お、っと。気を付けないと。えーっと、こういうときは)


「わんっ!」

「あれ? ママ、いまわんちゃんが」

「コラ、ママから離れないで。悪い魔女がいるかもしれないでしょ」


(――悪い魔女?)


 魔女、と聞いたロウは、方々から聞こえる声に耳を傾ける。そして、人間たちの言葉を聞いた瞬間、脚の群れを交わして一目散に走り出す。


「森にすむ魔女を捕まえたらしい」

「明日、火あぶりの刑が行われるって!」

「町長の息子に毒を盛るなんて。ベルちゃん、騙されちゃって可哀相に」


(早く、メルトのところへ行かないと)


 不思議なことに、メルトの居場所がロウには分かっていた。どちらに走ればいいのか、何処へ向かえばメルトに会えるのか。それだけがロウにとって、唯一の救いだった。

 メルトが近くなるにつれ、魔女の話題が増えていく。路地の隙間を縫って、排気口の穴を潜る。狼の姿がどうしようもなく窮屈で、記憶の中にいるメルトを懸命に思い出す。


(ああ、メルトはなんて言ってたっけ)


 魔法式を理解して扱うならば、ロウはひとりだって魔法を使えるはず。

 手放しで魔力を渡すより、貴方自身が魔法式を扱えるようになりなさい。


 一生、傍にいてくれるんでしょう?


 嬉しい言葉も、苦言みたいな教えも、すべてメルトがロウに与えたものだ。

 記憶の中で笑うメルトに、ロウは笑い返す。

 狼の姿では通り抜けられない隙間を目の前に、ロウは唱えた。


Ma=k+ov*r変身を


 ◇


 牢獄の中。高い位置にある四角い窓を見上げていたメルトは、自分の名を呼ぶ声に気付いて目線を下げる。


「メルト、」

 

「犬!」

「俺だ。わかんない?」


 町で騒いだあの日みたいに。目を輝かせたメルトに、ロウは泣きそうになった。

 たった数時間、離れていただけだ。


「わからないはずないだろう。近くに来たことも、わかってた。――怒ってる?」

「怒ってるよ」


 犬の姿のまま、抱き締められるのも心地良い。無理矢理に狼の姿に変えられて、声を奪われたのに『怒ってない』はずがないだろう。怒っていたはずなのに、なんだか可笑しい。

 

「ごめんね」

「許さない」

「食われる?」

「お前次第。逃げよ?」


 合流できれば、メルトは魔法が使える。会うことが出来れば何も問題ない。そう、思っていたのに。


 すぐに答えてくれないメルトに、ロウは心が揺れる。不安が溢れてしまう。燻っていた炎が、メルトを前にして燃えていくようだった。

 

「きっと、彼らは私を処刑するよね」

「……町で、聞いた」

 

「大丈夫。そんな不安そうな顔をしないで?」

「大丈夫じゃない。俺は、メルトがいないと」


(どうかしてる。捕まってるのも、処刑されそうなのも、俺じゃなくてメルトなのに)


 どうして自分が涙を落として、メルトに慰められているのか分からなかった。

 

「いなくならない。安心しなさい」

「処刑って、何。殺されるってことだろ」

 

 答えを迷うように目を伏せて、それでもメルトはロウを見て正答を渡す。


「そう」

「だったら、俺止めるから」

「大丈夫」

「大丈夫じゃないんだって、俺が、メルトを」

「ロウ、落ち着いて聞きなさい。魔法が必要?」


 告げようとした言葉を遮って、メルトはロウへ問う。


(無理に大人しくさせられるのは、もうウンザリだ)


「――聞く。何?」

「処刑されても、おそらく私は死なない。だから、安心してほしい」

「どういうこと? バカじゃねえの?」


「死ぬって概念は、地上に生まれた者の持ち物だ。私は、堕ちても天使。おそらく死ぬことはない」

「『おそらく』外して。絶対死なないって言え」

「言うことは簡単だけれど」

「わかんねーってこと?」


(知ってる。嘘なら言えるという事だ。そんな事は、許さない。俺には、嘘を吐かないでと言っておいて)

 

「死んだ天使を知らない。死んだと言えるのは、堕天使となった私くらいだし。悪魔でさえも、死ぬことは許されてない」

「堕天使は死ぬかもしれないじゃん」

「だから、『おそらく』をつけてんの。嘘は吐いてない」


 ロウがなんとなくメルトの言いたいことを察せるように、メルトもやっぱりそうなのだ。『嘘を吐かないで』という願いを、自分だって忘れていないと主張するようにメルトは真っ直ぐにロウを見つめる。

 その視線に答えるようにロウがメルトを見つめ返す。悩むように口を噤んで、少し目を逸らして。こんなのは己の弱さと直面するようだ、とロウは頭を振って考えを放棄した。


「無理。俺――」

「わかった! 絶対に死なない」


 我儘を言う犬が面倒になったのか。突然のそれは、流石に。

 

「嘘だろ!」

「私が信じられない?」

「わからないって、言ったばかりだろ?」

「君、処刑方法は知ってる?」

 

「……町の人が、火あぶりにするって」

「魔女狩りと言えば、だもんなあ」

「逃げよ、俺と。なんで逃げないの? 逃げられる魔力を、俺は持ってるでしょ。こうして会えるチャンスが、次にいつ来るかわからない。メルトひとりじゃ、魔法は使えない。なのに」


 心配してるロウがバカなのかと思うほど、メルトは動こうとしないのだ。

 窓からは、夜空が見えていた。それを見上げるメルトは、困ったように溢す。

 

「逃げる心配より、演技力の心配をした方が良いと思うんだよ。――火であぶられて、死ぬ気がしない。翼を溶かされた時の方が、よっぽど死という感覚に近かった気がする」

「火であぶられたこと、あんの?」

「かなり昔に、炎の中を歩き続けたことが何度か……」

「今は! 死ぬかもしれないだろ!」


 堕天使になった自覚を持ってほしい。第一に、メルトはロウがいないと魔力が使えない。にもかかわらず、その自信はどこから来ているのか。ロウには分からなかった。

 

「わかった。せっかく会えたんだ。ひとつ、願い事を叶えて?」


 月明かりに仄かに照らされた堕天使は、狼に願い事を託したのだ。

 

 

 

 

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